横浜市には、日本の市町村のなかではもっとも多い、人口約374万人の方々が暮らしています(2019年4月時点)。
この374万人の方々を支える横浜市の救急医療には、市が構築した重症外傷センターが2つあります。また、市や消防、医療がひとつとなって救急医療を行うALL Yokohama体制が整っており、1人でも多くの命を救うため、よりよい救急医療体制を検討しています。
本記事では、横浜市立大学 大学院医学研究科 救急医学教室 主任教授/附属市民総合医療センター 高度救命救急センター センター長である竹内一郎先生に、横浜市の救急医療の特徴や今後の展望についてお伺いしました。
横浜市の救急医療の特徴のひとつは、119番通報から病院搬送完了までにかかる時間が短いことです。2016年(平成28年)の資料では、119番通報から現場到着までが平均9分、現場到着から搬送開始まで平均21分、搬送開始から病院到着まで平均9分と記録されています。
横浜市の救急搬送が短時間である理由としては、高速道路があり交通の便がよい、市内に救命救急センターとして指定されている病院が9つあり搬送先が点在している、などが考えられます。
市が主導して構築した重症外傷センターが2つあることも、横浜市の特徴のひとつです。
重症外傷センターは、横浜市立大学附属市民総合医療センターと、済生会横浜市東部病院に設置されています。
重症外傷センターとは、緊急手術、カテーテル止血手術などの根本的治療を行うことができるセンターです。 専用のCTや手術室などが設置されているため、重症患者が運び込まれたときには、肝臓が破裂しているかなどの診断がすぐにできます。
重症外傷センターの役割は重症外傷者の救命はもちろん、若手外科医の育成をする場にもなっています。
昨今、交通事故が減少しており、1つの病院あたりに搬送される重症外傷例は年に数例となっています。これは非常に喜ばしいことですが、これからの医療を担っていく若手の外科医の重症外傷例の治療経験が乏しくなることが課題でした。
しかし、重症外傷センターを開設して重症外傷例の救急搬送が集約化されたことで、外科医が多くの処置経験を積むことが可能となり、若手外科医の育成にも大きく貢献しています。
横浜市の重症外傷センターでは、1人でも多くの患者さんを救命するためにはどのようにすればよいか、検証と改善を繰り返しています。
本来は救命できたにもかかわらず、適切な診療を受けられなかったことによって死亡することを、「防ぎ得る外傷死」といいます。この防ぎ得る外傷死を少しでも減らすため、横浜市の重症外傷センターでは、防ぎ得る外傷死に該当する症例について、外部委員会に検証を依頼しています。その結果に基づいて、重症外傷センターでも検証を行い、改善策を講じることで、より多くの命を救うことに尽力しています。
横浜市は市・消防・医療の垣根が低く、密な連携をしていることもあり、横浜市一体となって市民を救うALL Yokohama体制が構築されています。
このALL Yokohama体制について、横浜マラソンの事例をもとにお話しします。
横浜市で開催される横浜マラソンは、3万人ほどが参加する大きなマラソン大会です。この横浜マラソンには、参加者の救護などのために、横浜市内の各病院からさまざまな医療従事者を派遣しています。こうしたイベントには、1つの病院が主体となり医療を提供するケースが多いですが、横浜市では、各病院が1つになり医療を提供しています。
特にAll Yokohama体制の力が表れたのは、2018年の横浜マラソンでした。これまでの横浜マラソン(冬季開催)の救急搬送は一大会あたり10件ほどでしたが、2018年の横浜マラソン(10月開催)は熱中症患者が続出したことで救急搬送は50件を超え、横浜マラソンとは関係のない通常の救急医療に支障が出る可能性が浮上しました。
そこで横浜市は、消防局所有で緊急走行が可能な大型バスを救護車として使用することにしました。このバスを横浜マラソンの現場に移動させて、救護者をまとめて乗車させ、点滴等の処置を行い病院に一括搬送しました。
このように、市・消防・医療の密な連携が日常的にとれているため、臨機応変な対応をとることができます。
東京2020オリンピック・パラリンピックでは、横浜スタジアムで野球とソフトボール、横浜国際総合競技場でサッカーの競技が予定されています。
大規模国際イベントの東京2020オリンピック・パラリンピックは、救急医療の需要が高まり、オリンピック・パラリンピックとは関係のない通常の救急医療の運用に大きな負荷がかかる可能性があります。そうした状況でも、どこか1つの病院が主体となるのではなく、市や消防、複数の医療機関が一体となったALL Yokohama体制であれば、突発的な救急医療の需要増加時の対応も可能であると考えています。
ALL Yokohama体制で横浜マラソンのように状況に応じた柔軟な体制で、東京2020オリンピック・パラリンピックに臨みたいと思っています。
2020年5月に新病院完成予定の横浜市立市民病院に、新たな機能として、横浜市の救急ワークステーション(医師や救急救命士などの救急医療に携わるスタッフが集まる場所)の整備を進めています。
救急ワークステーションに要請があると、医師や救急救命士が現地に赴くドクターカーの運用も検討されており、救急救命士の人材育成の効果も期待できます。
この救急ワークステーションが、ALL Yokohamaの考え方で運用されることが期待されます。
2019年4月現在、横浜市には消防ヘリコプター(以下、消防ヘリ)が2機あります。しかし、横浜市は各病院とのアクセスがよく、基本的に救急車による救急搬送で十分であるため、現在消防ヘリが診療に活用されることはありません。
そこで、横浜市は消防ヘリの有効活用方法を検討しました。検討した結果、くも膜下出血や大動脈解離などの特定の病気の救急転院搬送で活用することになりました。
これは、消防ヘリの安定性を考慮した結果です。救急車は走行中に振動があり、この振動によって解離性大動脈瘤が破裂したり、病状が悪化したりする恐れがあります。そこで、救急車の振動によって悪化が考えられる病気の救急転院搬送に関しては、消防ヘリの使用が認められました。
この体制づくりや、消防ヘリの活用は、横浜市民の安心安全だけではなく、今後横浜で行われるオリンピックなどの国際的イベントで、万一多数傷病者事案が発生した際の対応にもつながると考えています。
横浜市には「横浜市民のために、新しいことができる体制」があります。
重症外傷センターの検証・改善の繰り返しをする体制や、横浜マラソンの緊急搬送にバスを急遽使用するという垣根の低い柔軟な体制などは、医療・消防などの行政が「横浜市民のため」という同じ目標を見据えて動いているため、実現できている体制だと思います。
横浜市には救急医療検討委員会・救急業務検討委員会という委員会があります。この委員会は市民代表、マスコミ代表、介護施設代表、医療関係者など、さまざまな職種の代表によって構成されています。そうした委員会のなかで重症外傷センターが必要であるという答申が出て、実際に設立し、その後も検証・改善の繰り返しを行っているというのは、委員会が心から横浜市民のことを思っているからだと考えます。こうして新しいことに取り組んでいき、日本の医療体制の先導になることができれば、さらに嬉しいです。
これからもALL Yokohama体制で医療に励みますので、安心して過ごしていただきたいと思います。
横浜市立大学 救急医学教室、横浜市立大学附属市民総合医療センター 高度救命救急センター長
日本救急医学会 救急科専門医・指導医日本循環器学会 循環器専門医日本集中治療医学会 集中治療専門医日本内科学会 総合内科専門医・内科指導医日本心血管インターベンション治療学会 CVIT認定医
1997年、群馬大学医学部卒業。循環器内科医として榊原記念病院、北里大学病院、小田原市立病院等で研鑽を積み、2007年から北里大学病院 救命救急災害医療センターへ。講師、准教授を経て、2017年には横浜市立大学救急医学教室 主任教授として赴任。以後は70名の救急医を擁する大きな医局をまとめながら、横浜市の外傷診療体制、オリンピックやプレホスピタルの体制、新しいドクターカー体制、消防ヘリコプターの利用など新しい取り組みを進めている。
竹内 一郎 先生の所属医療機関