院長インタビュー

地域住民に信頼され、安全で良質な医療の提供を目指す――金沢医療センター

地域住民に信頼され、安全で良質な医療の提供を目指す――金沢医療センター
阪上 学 先生

独立行政法人国立病院機構 金沢医療センター 循環器内科 院長

阪上 学 先生

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1873年に創立された金沢衛戍病院を前身に持つ金沢医療センターは開院以来、北陸地区の基幹病院として地域医療に尽力してきました。血管病センターやがん診療部を設置して急性期医療に注力する一方で災害拠点病院としての役割も担い、2024年1月に発生した能登半島地震では被災した方々を積極的に受け入れ、災害時の医療を支えました。

そんな同センターが担う役割や今後の展望について、院長である阪上 学(さかがみ さとる)先生にお話を伺いました。

当センターは金沢衛戍病院として1873(明治6)年に創立され、150年あまりの歴史を刻んでまいりました。当センターの周囲を囲む土塀は、1899(明治32)年に加賀藩家老の屋敷跡へと移ってきた当時のもので、金沢市に現存する土塀の中でもっとも古いとされています。その後、陸軍病院として運用されていた昭和の時代を経て国立病院機構に移行し、現在の金沢医療センターとなったのは2004(平成16)年でした。

当センターは27の診療科と554床(一般病床:512床/精神科病床:42床)の病床を有する総合病院であり、石川県内で最初に地域医療支援病院の指定を受けた医療機関でもあります(2008年4月)。かかりつけの先生方と密に連携して地域の患者さんを支える一方、大学病院などに協力を仰ぎ、命に関わる心臓・血管の病気やがんの診療にも力を注いでいます。

脳梗塞(のうこうそく)心筋梗塞といった命に関わる病気は、血管が弾力性を失って硬く・もろくなる動脈硬化が原因で発症することが分かっています。動脈は私たちの全身を流れている血管ですから、1つの臓器だけでなく全身の状態を評価したうえで、個々の患者さんに適した治療を行うことが重要です。

当センターの血管病センターではリスク管理をしつつ適切な治療を行うため、循環器内科、心臓血管外科、脳神経内科/外科、呼吸器内科/外科が集結し、お互いに連携しながら患者さんの治療にあたっています。2012年末には北陸地区で初めて、カテーテル血管撮影室と手術室を兼ね備えたハイブリッド血管撮影室を設置しました。当センターにはそれぞれの分野におけるスペシャリストといえる医師が在籍しており、検査や治療に伴う放射線被ばくにも配慮しつつ、皆さんに不安なく治療を受けていただけるような環境整備に努めています。

当センターは2007年にがん診療連携拠点病院に指定されました。これに伴って新たにがん診療部を設置し、金沢市を中心にした石川中央医療圏の地域がん診療連携拠点病院としての役割を担っています。さまざまながんに対して、放射線治療、化学療法(抗がん剤治療)、手術療法など多面的な治療を行うことが可能であり、緩和ケアを含めてがん患者さんをトータルサポートしています。

近年がん手術においては手術支援ロボットを用いた体への負担が少ない手術(低侵襲手術(ていしんしゅうしゅじゅつ))が広まりつつあり、保険診療にてロボット手術を行えるがんも増えています。当院においても2024年6月に手術支援ロボット・ダヴィンチを導入し、前立腺がん(泌尿器科)や胃がん(消化器外科)をはじめとしたがん手術に活用を予定しています。

当センターは地域の基幹病院であると同時に、災害拠点病院としての役割も担っています。私は当センターの院長のほかに石川県の災害医療コーディネーターを務めており、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の流行下においては医療調整本部の一員として対応にあたってきました。

当センターは2020年4月より小児科と産科・婦人科の2病棟をコロナ病棟として運用しておりましたが、2023年5月にコロナが5類に移行した後は病棟の再編を検討しておりました。コロナ禍に滞っていた周産期医療を正常化させるべく病棟の改装を進めていたところ、2024年1月1日に発生したのが能登半島地震でした。幸いにも休眠状態の病床が48床あったため、被災された方々を躊躇なく受け入れることができました。

当初こそ病床数に余裕があったものの、甚大な被害を受けた地域から入院患者さんを受け入れたり、救急患者さんを受け入れたりすればすぐに病床が埋まってしまうことが予想されました。しかし、それ以上に懸念されたのが人員の不足です。たとえ患者さんを受け入れる病床があっても、患者さんを診る医師や看護師がそろわなければ十分な医療を行うことはできません。

一番の課題は看護師の確保でしたが、これについては国立病院機構のネットワークを駆使して何とか乗り切ることができました。地震発生後の1月5日(金)に看護師の派遣を要請し、翌週の10日(水)からは問題なく診療を行えるようになりました。北は北海道、南は九州、全国各地にある国立病院機構の病院から応援をいただき、スピード感をもって被災者支援にあたれたことは非常によかったと思います。

MN

私は石川県のお隣の福井県敦賀市の生まれで、医師になった当初は地元でクリニックを開こうかと考えていました。ところが30歳で当センターに着任して以降、思いがけず医師人生の半分以上をここで過ごしていることになります。

私は循環器内科医として不整脈に対するカテーテルアブレーションなどを専門にしておりますが、この地で診療していくうえで欠かせないDMAT(災害派遣医療チーム)や原子力災害などに関する研修を受け、2011年の東日本大震災後に現地を訪れたこともありました。震災後の町を歩いていた際に被ばく量を測定してみると、私たちが普段行っているカテーテルアブレーションによる被ばく量のほうがはるかに上回っていることを知り、愕然としました。当センターが治療に伴う被ばく量の低減に努めているのは、こんな背景もあるのです。

当センターの理念“私たちは生命の尊さと人権を尊重し、安全で最良の医療を目指します”を実践するためには、患者さんの心身の負担に配慮しつつ良質な医療をご提供しなければなりません。今後も時代とともに変化する地域の医療ニーズにお応えできるよう、病院としての機能を充実させてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

*病床数、診療科、提供する医療についての内容等の情報は全て、2024年6月時点のものです。

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