臨床試験は患者さん全体という「集団」のためによりよい治療を求めて行われるという側面がありますが、実際の臨床では一人ひとりの患者さんに対する「個の医療」が重要です。臨床試験の視点と実臨床が必ずしも一致しないとき、「個の医療」を優先するにはどうすればよいのでしょうか。東京大学医学部附属病院臨床研究支援センター “CresCent” センター長の山崎力先生にお話をうかがいました。
臨床試験の視点では、Aの薬とBの薬を比較して、Aの薬がBよりも20%よいということが証明されたら、皆がAの薬を使い始めます。しかしそれですべての患者さんがハッピーになれるというわけではありません。実はAよりもBの薬を服用したほうがよいという患者さんもいます。どんな病気の治療薬にも、患者さんそれぞれに相性というものがあるからです。
AがBよりも優れているというのは、あくまでも平均でしかありません。「Aがいい」という方もいれば「Bがいい」という方もいて、「Aがいい」という方の人数が少し多いという、それだけのことなのです。しかし実際の診療の場では、目の前の患者さんにとってAがいいか、それともBがいいかは服用してみなければわかりません。服用前からわかっていれば、その患者さんにとってよいほうの薬を処方することができますが、それがわからないため、全員にAの薬を処方するということになるのです。
それが臨床試験の結果の「個の医療」への応用の限界です。つまり、個々の患者さんに対する医療と集団に対する臨床試験の結果は必ずしも一致しないということが、もっとも重要なメッセージなのです。
心房細動(しんぼうさいどう)という一種の不整脈が起こると、心房が電気的には細かく震えて物理的には止まった状態になり、血流が滞るため心房のとくに左心耳と呼ばれる部分に血栓(血のかたまり)ができやすくなります。この血栓が血流に乗って脳の血管で詰まると心原性脳塞栓(しんげんせいのうそくせん)を引き起こします。プロ野球球団の読売巨人軍 終身名誉監督である長嶋 茂雄監督がこれを発症したのは広く知られています。
したがって心房細動の患者さんは、脳塞栓予防のために血液を固まりにくくする薬を継続的に服用する必要があります。これが抗凝固療法です。抗凝固療法ではこれまで長い間、ワルファリンという薬が使われてきました。これに対して4種類の新規抗凝固薬(NOAC)が相次いで開発され、それぞれをワルファリンと比較する臨床試験が行なわれました。その結果、NOACがワルファリンと同等ないし、少しよいということが証明され、抗凝固療法では大半がNOACを使うようになりました。
ワルファリンは血液を固まりにくくする働き、つまり抗凝固効果が適正に維持できているかどうかをPT-INRという指標でモニタリングします。これはプロトロンビン時間という血液の固まり方をみる検査値を世界標準に換算したものです。ワルファリンは効き方に個人差があるため、薬の量や服用の頻度を細かく調整して、PT-INRが適正な範囲にコントロールされることが重要なのです。
その点でNOACは手間のかかる調整が必要なく、安定した効果を発揮するというメリットを強調したプロモーションが行なわれました。しかし実際には調整を「しなくていい」のではなく、抗凝固効果をモニタリングする方法がないため、調整が「できない」と言ったほうが正しいのです。すべての患者さんに同じように抗凝固効果を発揮していればいいのですが、実はそうではないということもわかっています。
ワルファリンがきちんとコントロールできる割合は、専門医が治療しても患者さん5人のうち4人程度です。全体としては3人のうち2人程度はコントロールできますが、1人はどうしてもコントロールできないということになります。血液を固まりにくくする働きが悪ければ血栓ができて脳梗塞を起こしますし、逆に効きすぎても脳や消化管で出血を起こしてしまいます。そして、ワルファリンが適正にコントロールできている患者さんにくらべて、できていない患者さんでは脳梗塞や出血のリスクがおよそ2倍になることがわかっています。
臨床試験ではこのワルファリンを服用しているグループ(適正にコントロールできている患者さんとできない患者さんが含まれる)とNOACを服用しているグループを長期間にわたって比較します。そうすると、ワルファリンを服用しているグループのうち、コントロールできている3分の2の患者さんの治療成績がいかに良くても、残り3分の1の患者さんで脳梗塞や出血のリスクが高いため、結果としてはNOACに軍配が上がることになります。
したがって、本来はまずワルファリンでの治療を試み、コントロールできない患者さんに対してNOACを処方すべきなのです。ところが実際には正しい情報がきちんと伝えられていないために、専門医以外の医師がこぞってNOACを処方し始めるということが起こっています。我々は患者さん一人ひとりに対する「個の医療」という視点をけっして忘れてはならないと考えます。
国際医療福祉大学 大学院 医学研究科 医学専攻・公衆衛生学専攻 教授
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