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インタビュー

日本の専門医制度を考える-「扇骨(せんこつ)」とならないために

日本の専門医制度を考える-「扇骨(せんこつ)」とならないために
坂本 二哉 先生

東京大学医学部 元教授、日本心臓病学会 創立理事長、半蔵門病院 循環器内科 霞が関ビル診療所 非常勤

坂本 二哉 先生

開いた扇子を裏返してすかしてみると、細長く裂いた竹の骨が目に入ってきます。この扇骨は先に行くほど広がり、隣り合った骨との間隔が離れていきます。元東京大学教授・日本心臓病学会創立理事長の坂本二哉先生は、専門領域が細分化された現行の専門医は扇骨のようだと指摘しておられます。日本における専門医制度について、坂本二哉先生にお話をうかがいました。

実は、私は当初から現行の専門医制度には反対の立場をとっていました。たしかに専門医制度発足の趣旨は良かったのかもしれません。しかし実際のところはどうでしょうか。私が創立した日本心臓病学会にも、かつて専門医制度への協力要請がありました。ところが話を聞いてみると、ある会員の多い大きな学会に出席すると10点の評価が与えられるのに対し、当初から教育に力を入れてきた我々の日本心臓病学会への出席に対する評価は3点のみだというのです。

多くの学会がその英語表記において”Society”と称していますが、日本心臓病学会は“Japanese College of Cardiology”です。Collegeとは勉強をするところであり、我々は教育を非常に重視しています。活動の中で発表が占める割合はおよそ3分の1から5分の2ほどであり、それ以外の部分では若手医師に対する基本的な教育として、それこそPhysical Examination(身体所見)や聴診などから取り組んできました。

我々の学会のようなところでしっかりと教育を受け、知識を得たことに対して点数をもらうというのであれば話はわかりますが、そうではなくむしろ逆の扱いになるというのではとても参加することはできないと考えていました。

また、教育に対する意見の相違に加え、経済的な部分でもさまざまな問題があると考えています。たとえば我々はFellow of the Japanese College of Cardiology:FJCCという制度を設けており、優れた業績を持ち資格審査委員会が承認した会員をFJCCのメンバーとして認定していますが、申請時の事務手数料以外には会費を徴収していません。むしろ、学術集会参加費を免除するなどの特典や自由に集うことができる部屋を用意するなどの好条件を付与しています。金銭や出席の有無で会員を縛り付けるという方法は全く私の意に沿わないことで、学会への参加は自由でなければなりません。

参考リンク:「Fellow of the Japanese College of Cardiology(FJCC)設立の精神とその包括的意義

この制度はアメリカのThe American College of Cardiology; ACCの理念を元にしたもので、我々Japanese College of CardiologyにおいてもEarly Morning SessionやLunch on Session、Evening Sessionや市民公開講座の開催など、国内では先駆的な取り組みを行ってきました。

このような取り組みが成功を収めると、他の学会も次々とそれを真似て取り入れるようになっていきました。しかし、そこには本当に勉強したい会員が集まっているわけではありません。逆に会費さえ払えば出席したことになり、点数がもらえるというようなことがまかり通っているのが実情です。我々はこのような権威のない現行の専門医制度とは一線を画していかなければならないと考えています。

専門医制度がうまく機能していないことで一番困っているのは患者さんたちです。たとえば私が風邪をひいた患者さんののどに殺菌・消毒液としてよく使われるルゴール液を塗ろうと思っても、その処置は内科ではなく耳鼻科でなければできないため、耳鼻科で初診の手続きをする必要があるという、実におかしなことが起こっています。

私は昔の医者ですから、心臓だけしか診ないなどということはありませんでした。神経も診れば皮膚科の病気も診ます。ある大学病院の皮膚科でさじを投げられたという患者さんを2週間で治したこともありますし、口内炎を治すこともあります。

ところが今の医師はパソコンのディスプレイに映る電子カルテばかり見ていて患者さんを診ていません。私自身が患者として通っている睡眠時無呼吸症候群の外来で担当医が変わったとき、新しい担当医は私のほうをまったく見ようともせず、前回と変わりはありませんからといって次の予約を入れようとした医師がいたのです。

「あなたはそれで診察をしているといえますか、そんなことなら受付でもできますよ」と私が一喝したところ、その医師は非常に驚いた様子でした。おそらく他の患者からそのようなことをいわれたことはなかったのでしょう。患者が入ってきたらまず顔を見るということから始まり、診察とはどうあるべきかを懇々と説いたところ、次の外来からは非常に丁寧な対応をするようになりました。

また、私が診ていた胃潰瘍の患者さんが、どうしてもある大きな病院で診てほしいというので紹介した際には、1か月待たされた挙句、初診時にいきなり「あなたの診療時間は5分です」といわれたそうです。初診の患者さんを5分で診ることなど、どうしてできるでしょうか。私ならば初診の患者さんを診るときには、どうしても30分はかかります。

今の専門医は「胃が痛い」というと、患者さんが痛みを訴えているところに手を当てることすらせずに胃カメラ(内視鏡検査)に回してしまいますが、診察では患部に手を当てて直接触ってみるということを必ず行うべきです。傷口や患部に触れ、聴診器を当てることによって病気が見つかることはたくさんあるからです。再来患者なら顔色を見ただけで異常だと思うことが少なくはありませんし、現に癌の発見の手口もつかめるのです。

専門医の中には心電図の自動解析の結果を鵜呑みにするような医師がいることにも驚かされます。たとえば循環器の専門医といっても、カテーテルを用いたインターベンションを専門とする医師もいれば、かつての私のような何でも屋もいましたし、逆に心電図一本やりで心エコー(超音波検査)も知らないという医師もいます。レントゲン像にしても放射線科からのレポートを読むだけという医師が少なくありません(もちろん、東京大学病院検査部の大門雅夫先生をはじめとして私が信頼するエコーの第一人者もいるのは確かですが)。

昔、ある病院の循環器内科ではこんなことがありました。8つのグループがあります。中には実験しか行っていないグループもあります。たとえば心電図は心電図のグループがみていますが、カテーテルのグループは心電図をみていません。カンファレンス(症例検討会)ではそれぞれが自分たちの意見を述べるのみです。かつては週1回あったものが年に8回しか行われない…という事態も起きました。これで本当に患者さんのことをきちんと診ることができるでしょうか。

 

扇子を開くと、表にはきれいな図柄が描かれていますが、裏を返してみると扇骨と呼ばれる骨が入っているのが見えます。この扇全体が1人の患者さんだとすると、現行の専門医の中にはこの1本1本の骨のところしか診られない医師がいます。専門化するほど先が開いてしまい、隣り合った領域との間が離れて関係が希薄になっているのです。

ある病院のデータでは1日におよそ3000人の患者さんが来院しているとされていますが、1人の患者さんが平均5つの診療科にかかっているといいます。その中には、本当は1つの科ですべてを診ることができる患者さんも多くいるはずです。たとえば糖尿病高血圧脂質異常症や心臓病などいくつもの病気を抱えている患者さんがいたとしても私は全部診ていますし、もちろん一般の開業医でも同じことを行っています。

内科は本来、総合的な医療を行っていた診療科です。なぜ「総合内科医」や「総合診療専門医」をことさら強調しなければならなくなったのか。私はいま一度教育制度のあり方を見直さなければならないと考えています。

もし専門医制度を作るのであれば、今のように循環器だけの専門医を作ることに疑問を呈しています。6~7年かけて臨床を中心とした内科学全般の基礎というものを身につけたうえで専門に進むという、アメリカ式の専門医制度の方がまだ望ましいのではないでしょうか。しかし、そのアメリカの専門医制度でさえけっして評判が良いとはいえません。日本の今の専門医制度ではその水準に及んでいるのでしょうか。患者さんにとって本当に価値のある専門医制度を作っていかなければなりません。

日本の医療を本当によくしていくためには、厚生労働省や文部科学省の関与から独立した形で、医療行政を司る省庁を新たに設立するような思い切った施策が必要なのかもしれません。私はそこに医師をはじめとする医療従事者が参画しているべきであると考えています。