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精神的に追い詰められている10代のあなたへ―ちょっとだけ人生を延長して情報収集を

精神的に追い詰められている10代のあなたへ―ちょっとだけ人生を延長して情報収集を
松本 俊彦 先生

国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 部長、国立研究開発法人 国立...

松本 俊彦 先生

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この記事の最終更新は2018年05月22日です。

死を考えるほどにつらい、自分だけじゃ手に負えないトラブルを抱えて悩んでいる……。

そんなどうしようもなく困難な状況に陥ったとき、どうすればいいのかわからず行き詰まってしまうこともあるでしょう。

今回は、10代のとき生きづらさに悩んだ経験のあるライターが聞き手となり、実際に役立つ生きるためのヒントを国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦先生に伺いました。

――私は10代のときいじめ被害を受けて、死を考えながら生きていたときがあります。そもそもそのような感情をいだくこと自体は悪いことなのでしょうか?

松本先生:つらいときに死にたいと思うことは、悪いことではありません。それは、異常な事態における正常な反応です。

とても困難な状況にあって他に解決策がないとき、楽になる方法として「死」を考えることで意識活動をすべて止めることしか思いつかなくなる状況が現実にはあると思うんです。

ですから、決して悪いことではないですし、異常なわけでもないということです。

――「死を考えてしまうのに死ぬのは怖い」という子どももいると思います。その気持ちを、「自分は死ぬ勇気がないのだ」と捉えてしまうこともあると思うのですが。

松本先生:死ぬのが怖いと思うのは、正常なことです。基本的に、人は死ぬことが怖いという本能が植え付けられていることによって、向こうみずな行動をしなくて済んでいます。決して勇気がないわけではなく生きる力があるということだと思います。

ですが、死が怖くなくなる場合もあります。たとえば、リストカットをはじめとする自傷行為です。一時的にリストカットをすることは、生き延びるために必要なことかもしれません。

しかし、それを長く繰り返すことで痛みが怖くなくなって、自分の体を傷つけることへの抵抗感や、死への恐怖が徐々になくなってくるんですよね。

多くの人は死を考えても踏みとどまることができるのに、それがだんだん踏みとどまれなくなってくる。このように、長期的にみると自傷は自殺に結びつくので心配です。

――自傷の話が出ましたが、10代だとつらい気持ちのやりどころがどこにもなく、心の痛みを和らげるためにリストカットやOD(薬の過量服用)などの自傷行為に走ってしまうことがあると思います。自傷行為をすることも異常なのですか?

松本先生:異常というより、最悪ではないといういい方のほうが適切かもしれません。もちろん、自傷行為がとてもよいと肯定できるものだとは思わないですが……。

つらくて苦しくてどうしようもない今を、一時的に気を紛らわしてなんとか生き延びるために、痛みや薬で人工的に意識をシャットダウンさせる子どもがいることは事実です。

――どのような子どもがそのような自傷行為を始めてしまうのでしょうか?

松本先生:一概にはいえませんが、家族や周囲で自傷している人を見てしまい、自傷という一時的な延命措置を発見する子もいます。

また、親など自分が認めてもらいたい、愛してもらいたいと思っている人から繰り返し暴力を受けている子どもは、暴力と愛情のつながりについて心のなかで混乱してしまうことがあります。

その結果、自分への暴力に対しても少しハードルが低くなって自傷してしまうことがあるんですよね。自傷って、言い換えれば自分への暴力であるともいえますから。

先ほども述べましたが、自傷行為自体が悪いということではなく、自傷行為によって死なずに済んだという側面は実際にあります。ただし、それでは根本的な解決策にはなりません。

――自傷行為が根本的な解決策ではないということはわかっていても、自分の精神を安定させるために自傷行為に走る子もいると思います。

本人が自傷行為でなんとか生きていられるのなら自傷行為を続けてもよいのでしょうか……。

松本先生:自傷行為は、長期的にみると自殺につながることがあるので続けてもよいとはいえません。

まず、自傷行為を続けることがよいか悪いかの前に、つらい状況に追い込まれたときに「なぜその方法をとってしまうんだろうか」と考える必要があります。

10代の子どもが自分じゃ手に負えないつらい状況に置かれた場合、どうするのが一番よいと思いますか?

――そのつらい状況から逃げる、などでしょうか。

松本先生:それもありますが、一番よいのは大人に助けを求めることだと思うんです。自分では手に負えなくて困っているわけなので。

でも、自傷行為をする子どもの多くは、大人に相談することをよしとしないわけですよ。

なぜなら、信頼できそうな大人が近くにいなかったり、信頼できそうな大人がいても「大人の手を煩わせるのは申し訳ない」と思っていたりすることもあるからです。

あるいは、かつて勇気を出して大人に相談したけれど全然解決しなかったとか。

そう考えると、先ほども話した自傷という行動は、「大人に助けを求めても無駄なんだ」と絶望した子どもたちが、つらいときに誰にも助けを求めずにその場を一時的にやり過ごしているだけなんですよね。

だから、ゴールは自傷をしなくなることではなくて、つらいときに人に助けを求められるようになること。あるいは、助けを求められるような人が近くにいるような新しい関係性を作ることなんです。

なかには、助けを求めるスキルを身に着けないまま無理やり自傷をやめようとする子もいます。しかし、それは根本的な解決策ではありません。

まずは、なかなか自傷行為を止められないことを安心して話し合える関係性を誰かと作っていくことが大切です。

保健室

――難しいかもしれないですが、つらいときはまず大人に話してみることが根本的な解決のための近道なんですね。問題はどの大人に話すかということだと思います。

子どもでコミュニティが学校と家しかないとなると、本当に信頼できる大人がゼロだということもあると思います。まず相談する、打ち明けるに値する大人の選び方のヒントはありますか?

松本先生:まず相談してほしい大人は、スクールカウンセラーと保健室にいる養護の先生です。スクールカウンセラーは専門的な訓練を受けているので、おおよそ適切な対応をしてくれると思います。

また、養護の先生もスクールカウンセラーほど専門的な教育を受けているわけではないですが、担任や各教科の先生とは異なる価値観で動いてくれる人が多い。

スクールカウンセラーと養護の先生であれば、少なくとも相談して頭ごなしに説教したり叱責したりする人はいないと思うので、ぜひ相談してほしいですね。

――たしかに私も養護の先生には何度も救われました。万が一、養護の先生やスクールカウンセラーに相談しても解決の糸口が見えない場合は、どこに行けばよいのでしょうか?

松本先生:子どもたちには、保健所(保健センター*1)がよいかなと思ったりもします。

保健所にいる保健師の方たちは、子どもが1人で保健所に来たということの背景や意味をちゃんと考えてくれます。

もちろん、親にアプローチすることもあるかもしれませんが、親とうまく関わりながら、子どもたちを安心できる場所につなげる努力はしてくれると思います。

何より、住民票がその地域にあれば、行政サービスなのでお金はかかりません。

保健師の方々は、子どもたちのことは子どもの専門家である児童相談所*2につないでくれ、親には訪問や電話などで関わってくれたりします。

彼らは子どもたちの立場に立って助けてくれると思うので、ピンチのときは行ってみてください。

1 保健センター…市町村が設置している総合的な保健サービスを行う施設

2 児童相談所…子どもの福祉に関して、相談や援助を行う行政機関

SNS画面

――私はいじめられていたときスクールカウンセラーに相談したことがあるんですが、教師やクラスメイトに情報が漏れており、状況がさらに悪化したことがありました。

もし、スクールカウンセラーや養護の先生などに相談してもだめだったという場合どうしたらよいのでしょうか?

松本先生:児童相談所はあるのですが、中学生や高校生の子どもたちが行くには少しハードルが高いですよね。でも座間の事件以降、LINEで10代向けの相談窓口ができてきました。それは、利用する価値があると思います。

いのちの電話やチャイルドラインに実際に電話する10代は、ほとんどいません。しかし、ある「いのちの電話」では、メール相談を始めたら10代の子どもから相談がくるようになったと聞きます。

メールやSNSというのは10代の子供たちにとって非常に使いやすいと思う。SNSだと地域をまたいだサービスもありますし、スマホを持っている子は試してほしいです。

座間の事件…2017年に神奈川県座間市で起きた殺人・死体遺棄事件。SNSで自殺願望を投稿した若者が狙われた。

――SNSは、使い方を間違うとリスクもあると思います。Twitterなどで自殺願望をつぶやいている人もときどき見かけますが、そうしたネガティブな投稿をすることはやめたほうがよいのでしょうか?

松本先生:個人的には、やめろというつもりは全然ありません。何も言わないよりは、ネガティブな言葉であってもSNSを使って言ったほうが楽になると思うんです。

人間って、実は言葉に結構救われているんですよ。誰かに傷つけられたとき「ムカつく!傷ついた!」と頭のなかで思うだけでも多少楽になっているものです。

ですから感情を言葉にしてSNSでつぶやくことはとても大事。ただ、やはり一定のリスクがあることも承知しておかなければなりません。

――具体的に、どのようなリスクがあるのですか?

松本先生:公開でつぶやくと、怪しい人が近づいてくるリスクや、つらい状況からの回復の妨げになりかねないコミュニティに誘われるリスクなどがあります。

SNSには本当に救ってくれる人も混ざっているので難しいところですが……。

――鍵をかけたり、非公開にしたりして、そうしたリスクは避けたいところですね。

子どものなかには、学校に話せる人がおらず、オフ会などでリアルに会える話し相手をSNSで探す子もいると思います。実際に会って悩みを共有するのは有効ですか?リスクが大きすぎますか。

松本先生:これが難しい話で……。たとえば、自殺だけではなく薬物依存症についてもそうなんですが、回復するには仲間が必要です。

でも、回復しようと思っていない仲間と会うと、また薬をやるだけなんですよね。

だから、その仲間が回復を目指しているのか、そうでないのかといった、「今どのような地点にいるのか」ということがとても大事です。

しかし、SNS上では「本当に死にたくて死ぬ仲間を探している人」なのか「死を考えていた状況からうまく切り抜けつつある人」なのか、なかなか見分けはつかないと思う。

だからこそ、SNSで知り合った人とリアルで会うことはちょっと慎重に考えたほうがよいと思います。対面での相談サービスが国、県、市などの行政がしている場合はぜひ行ってみるべきです。

直接会うかどうかについては、その人がつらい状況にある人を援助する専門家なのかどうかという点が判断の基準になるかと思います。

――対面でなくてもSNS上でつらい感情を誰かに話してみるのは、ハードルも低くてよいのかもしれませんね。
松本先生:私が思うに、人生のなかで一番悲惨なことは単にひどい目に遭うことではなくて、1人で苦しむことだと思うんですよね。

「僕もつらかった経験がある」という人と出会えるだけで、少し楽になるというか。
生きているとどうしようもない状況ってあるじゃないですか。そのとき、リアルで話せる仲間がいれば一番よいのかもしれませんが、SNS上で絶望をわかち合う仲間がいてもよいと思います。

暗い部屋でパソコンと向き合っている人

――インターネット上で相談できる仲間として、「この人は適切ではないな」という人はいますか?

松本先生:自傷した写真や動画をアップする人とは距離をおいたほうがよいかもしれないです。

「自傷しちゃった」とつぶやくのは構わないのですが、自傷した写真や動画をアップする人をみてしまうと、自傷を我慢している子には自傷のスイッチが入るきっかけとなってしまうことがあるからです

そのような人とは距離を置きつつ、SNS上で同じような気持ちを持った人に出会ってほしいと思います。

鍵つきのノート

――どうしようもなくつらい感情が湧いたときに、心を落ち着けるためにするとよいことはありますか?

松本先生:もし文章を書くのが嫌でなければ、誰にも見られない秘密のノートやブログに気持ちを書くのはすごくよいことだと思います。

私は、SNSの裏アカウントを推奨したいですね。リアルの友達とつながっているアカウントで投稿すると、周囲が心配して実生活に支障が出ることもあるので秘密のアカウントでつぶやく、と。

たとえば、身近な人は全員ブロックして全く知らない人とだけつながるなどの裏アカウントで、思いきりネガティブなことをいえばよいと思う。

ただし、SNSでネガティブな気持ちを吐き出すときの注意点もあります。自分の秘密が漏れないように、SNSの公開範囲は慎重に設定することです。

ほかには、他の人の裏アカウントを見るのもよいと思います。その人たちが書いているネガティブな言葉のなかに「これがいいたかったの!」という自分の気持ちを的確に表した投稿がみつかることがあるかもしれません。

SNSで言葉や表現を盗むことも大事。自分の気持ちを表現するために語彙力を増やすということも、生き延びるための1つのスキルですよね。

――私は、学校にも家にもどこにも居場所がなく追い詰められたことがあります。学校や家の他に子どもの心が安らぐ場所はありますか?

松本先生:たとえば、NPOが運営している子ども食堂があります。そのようなところが、学校や家にも居場所がない子どもたちの避難場所にできたらよいなと思います。

今は子ども食堂がブームになって増えてきているので、試しに行ってみる価値はあるかもしれないですね。

一方で、私としては少し懸念点もあります。実際に子ども食堂に来ているのは、居場所がない子とは同じ悩みを持っていない子どもたちが中心となっていることがあるからです。

もし、子ども食堂がそのような状況に本当になっているとしたら、生きづらい子にとっては劣等感を覚えてしまう場所になってしまうかもしれません。

本来はそうではなく、学校にも家にも居場所のない子が使えるようになってほしいと願っています。

――子ども食堂って最近耳にするようになりましたよね。新たな子どもの居場所として定着すればよいですね。ある図書館では、学校がつらいときは図書館へと発信していますが、図書館もよさそうですよね。

図書館

松本先生:図書館は実はよいような気がしています。図書館は不思議な場所で、学校にも連絡されないですし、あまりうるさく何かをいわれない場所ですよね。

自治体によっては青少年会館という子どもたちが使える公的な場所があり、卓球をしたり本を読んだりできるスペースがあったりします。青少年会館もあまり学校や家に連絡されないので行ってみるとよいと思います。

あと、お寺もよいかもしれません。お坊さんが地域の青少年の悩みごと相談を受けていることもあります。

お坊さんのなかには、宗教・宗派に関係なく文通してくれる方もいます。もし、どこにも居場所がなくなったら、一度地域にあるお寺を訪ねてみるのもよいかもしれません。

学校

――私は中高時代に、学校に「行きたくない」ではなく、もはや「学校に行けない」ということがありました。そもそも学校って絶対に行かなければいけないものなのでしょうか。

松本先生:学校は行かなくてもよいのではないですかね。学校に行っていなくても成功した人はいっぱいいますし、学校がすべてではないことは事実だと思う。

ただし、学校に行かずに部屋にこもっていても、とにかくいろんな情報を集めておくことが大事です。学校には行っても行かなくてもどっちでもよいので、生き方の選択肢に関して情報収集は常にやってほしい。

――学校に行かずにずっと家にいると、「外に出なさい」といわれる場合もあるかもしれませんが……。「外に出なきゃ行けない」という強迫観念ってもう捨ててよいですかね。

松本先生:なぜ、我々は外に出なさいといわれるのか。単に日光浴をしろとかそういうことではなく、「人と出会いなさい」ということなのではないかと思います。

人と出会うというのは、必ずしもリアルで出会う必要はない気がします。SNS上のコミュニケーションでもよいですし、もうこの世にはいない人と本で対話をするのでもよいですし。

だから「外に出なさい」ではなく「いろんな人の生き様にふれあいなさい」といい方を変えたほうがよいですよね。

――私は小さい頃、友達を作ることが苦手でした。友達を作るのが苦手な子は、どうやって周りとうまくやっていけばよいのでしょうか?

松本先生:そうですね。ときどき自分は友達いっぱいいるとか、Facebookの友達が何人いるとか話している人がいますが、あれはほとんど真の友達じゃないと思うんですよね。

人生を通して、1人でも2人でも真の友達がみつかれば、それは本当に素晴らしいことです。

ただし、そのような友達と出会うことは、容易ではないということもお伝えしたい。みんな友達作りの強迫観念に駆られていますけど……。

――学校では、友達を作ることこそが素晴らしいという風潮で本当に生きづらかったです。友達がいないのはよくないと決めつけられているような……。

松本先生:学校のクラスメイトが友達なわけではないですよね。学校では、友達に関してすごく美化されていますが、大切なのは、表面上の「友達」ではなくて教室のなかで比較的「話しかけやすい人」だと思います。

学校や職場に話しかけやすい人が何人かいるだけで、少し居心地がよくなるのは事実じゃないですか。

子どもたちが考える友達かどうかは別ですが、友達というより話しかけやすい人をみつけることが大事。真の友達は容易にはみつからないものですからね。

――精神的に追い詰められている子どもが生き延びるために、心が安らぐ居場所と人とのつながりを少しずつ作っていくことが大事だと思います。そのほかに大事なことや必要なことはありますか?

松本先生:子どもたちがすぐに追い詰められてしまう一番の原因は、人生にはいろんな選択肢があることを知らないことだと思います。

子どもだからしょうがないところもありますが、追い詰められてしまうのは、流行りの言葉でいうと「情弱」(情報弱者の意)だからかもしれません。

これから先、生き延びていくために絶対プラスになるのは、たくさんの情報を集めること。いろんな人の生き方に関心を持って、いろんな大人たちの失敗談や成功体験の情報収集をすることが大事だと思う。

誰でもよいのでいろんな人の生き方を知っていくと、必ず自分と同じような状況の人がみつかるんですよね。それも1人や2人じゃなくて、探してみるとたくさんいる気がします。

手っ取り早くいろんな生き方があるということを知るためには、本やインターネットでいろんな情報を集めるとよいと思う。子どもたちには、なんとか親を説得してスマホを手に入れてほしいです。

――スマホひとつで世界は広がりますもんね。事情があってスマホを持てなくても、図書館のパソコンルームに行ったり、友達にスマホを貸してもらったり、携帯ゲーム機でもネットにつながれますよね。

松本先生:友達や先生は話してくれないかもしれませんが、ネット上にはたくさん情報があります。

世界にはいろいろな個性や感覚、性的指向を持った人がいます。その情報を得れば、あなたは決して1人ではないと気づけるはず。だから、とにかく情報収集をしてほしいです。

生き延びるために死に物狂いになった経験は、何とか生き延びて大人になったときにきっと思わぬ底力になる。そしてその底力は、自分の売りになっていることに気づくことができるときがくるんじゃないかな。

――最後に、死を考えている、生きづらいと思っている10代の子どもにメッセージをお願いします。

松本先生:とにかくこれまで出会ってきた人が人間のすべてではないし、実はまだまだいろんな人がいて、いろんな生き様や生き方があります。ちょっと人生を延長して情報収集をしよう。

これまで経験してきたことがすべてではないし、これから起きることのすべてでもない。今後いろんなことが起きるから、ちょっと死ぬのを保留にしてもらいたいです。

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