院長インタビュー

時代を先取りする老舗病院がめざす姿——河北総合病院の取り組み

時代を先取りする老舗病院がめざす姿——河北総合病院の取り組み
河北 博文 先生

社会医療法人 河北医療財団 理事長

河北 博文 先生

この記事の最終更新は2018年02月28日です。

社会医療法人 河北医療財団 河北総合病院は、前身である「河北病院」として、1928年に内科と小児科をメインとした30床の小さな病院として開設されました。その後、現在にいたるまで地域のニーズに合わせて診療科数と病床数を増やし、現在は分院を含め、52診療科、407床の規模を有しています。

56.2万人という人口をかかえる東京都杉並区の中核病院として、同院はどのような取り組みを行っているのでしょうか。理事長である河北 博文先生にお話を伺いました。

当院は1928年の開設当初からこの土地で、長らく地域住民の健康を支えてきました。

当時は感染症で亡くなる方も多く、平均寿命も60歳前後でした。また、地域にある病院が感染症の治療を行うことが当たり前でした。

時代は変わり、平均寿命が延びるにともない、がん生活習慣病も増えてきました。当院は、そういった時代のニーズに合わせながら、地域のみなさまが必要な医療が受けられるよう、病院機能の充実を図っています。

当院では、開院当初から小児科の診療を行っています。開院当時は、子どもの脱水をともなった感染症である疫痢の死亡率が高く、多くの子どもたちが亡くなっていました。

その状況をみて、当院は世界的にもめずらしい「持続点滴注入療法」というものを行いました。これは、抗生物質がなくても、まずは点滴で水分と栄養を補給し、その点滴で子どもの免疫力が回復するのを待つ治療法です。

この持続点滴注入療法は、疫痢による子どもの死亡率の改善に貢献しました。

感染症が昔ほど多くなくなった現在は、外傷以外のほぼすべての領域の診療を行っています。特に重点を置いているのが、アレルギー疾患と心の診療、発達障害診療です。地域で暮らす子どもたちを支えるため、24時間365日入院診療に対応できる体制を整えています。

当院が開設されてからしばらくは、戦争の影響で混乱の時代が続きました。このころは、出生数が非常に多かったため、それを受けて当院も産婦人科を開設しました。

現在でも産婦人科には力を入れており、「マタニティ・レディース スクエア」として、2018年1月現在は常勤医6名、非常勤医13名、助産師22名、他に看護師4名の充実した診療体制を整えています。総合病院としての特性をいかし、各診療科と連携しながら、合併症を持った妊婦さんへの対応も行っています。

感染症の診療を多く行っていた当院ですが、戦後から徐々に社会情勢が変わってきました。経済成長にともなって生活習慣病が増えるなど、診療する疾患も変化していきました。

そういった社会の変化を受け、また、私の父でもある先代の院長の「医療はもっと地域の医師会や診療所の人たちとやるべきだ」という意思もあり、1981年に在宅医療をスタートさせたのです。

在宅医療を行うためには、訪問診療だけでは不十分です。看護、介護も取り入れようと、トータル ホームヘルスケア サービス(T.H.H.S)という形ではじめました。診療も看護も介護も、1か所でできるようにしたのです。

現在は、家庭医療学センターの訪問診療、看護・リハビリ部門「河北訪問看護・リハビリステーション阿佐谷」として事業を継続しています。患者さんそれぞれのニーズをくみ取り、包括的な地域ケアでサポートができるよう心がけています。

当院では、1986年にSRHS(杉並地域医療システムズ)という病診連携システムを始めました。これは、当院がセンター病院となり、地域の診療所と連携するシステムです。患者さんには、診療所から登録してもらい、その方のカルテを病院同士で共有するというものです。当初、7つの診療所からはじまりました。

カルテを見ると、その病院の診療水準がわかります。そのため、カルテを見せ合えるくらいの信頼がなければ、病診連携は難しいと思います。

システム開始当時、厚生科学研究費を2年間申請し、厚生省にこの取り組みについて報告をしました。このシステムは、必ず将来、日本の社会で必要になると当時から考えていましたが、まさに今、地域医療構想というものが持ち上がっていますね。

当時はインターネットがなく、ファックスができたばかりのころです。診療所で診察をしたら、その日に情報が送られてくるため、毎日たくさんの書類が届いていました。このころから築いてきたものがまさに、当院と地域との関係です。

2004年から、河北医療連携の会(KHC:Kawakita Health-care Collaborations)という地域病診連携組織を発足させ、2018年1月現在で236か所の診療所に登録していただいています。

当院は、長野県茅野市に「N.K.Farm」という研修所を保有しています。ここでは馬を飼育しており、座学研修のほか、農業体験や乗馬といったプログラムが実施できるのが特徴です。

施設名の「N」は、NatureのNですが、「自然」とは訳していません。動物などの自然界も知恵を持っているという考えのもと、ここではNは「知恵」と訳します。「K」はKnowledgeのKであり、「知識」を意味します。

「Farm」は、さまざまなものが育っていくところ、という意味合いです。育てるという受け身ではなく、自ら育っていくという自主的な意味を込めています。

N.K.Farmはそういった概念のもとで教育を行う場として運用しており、年間約20プログラムほどの研修がここで行われています。

時代のニーズに合わせて規模を拡大していくなかで、だんだんと病院機能を変える必要性が出てきました。必要な機能をすべて備えようとすると、当院の土地だけでは足りません。まずは、ほかの土地に病院機能の一部を移すことにしました。

健診センターを高円寺に、透析センターを杉並区内の別の場所に移転させ、リハビリテーション病院と老人保健施設を開設しました。分院やサテライトクリニックも開設し、併設されていた看護学校は早稲田速記医療福祉専門学校に事業継承してもらいました。

そういった病院機能の移転・拡大を行っているうち、各施設が点だったものが、面としてつながっていきました。この面をもっと強くして、杉並区を支えていきたいと考えています。

これからの構想として考えているのは、患者さんの「医食住」すべてに関わることです。働くことや、学ぶこと、何かを楽しむこと、そういった「コト」の部分に関わっていくために、いくつかの企業と協力し、積極的に地域づくりに取り組んでまいります。