世界中の患者さんのために。そして、世界中の甲状腺を専門とする医療者のために

DOCTOR’S
STORIES

世界中の患者さんのために。そして、世界中の甲状腺を専門とする医療者のために

隈病院の名誉院長として、世界内分泌外科学会の会長として、甲状腺医療の進歩に貢献する宮内昭先生のストーリー

医療法人神甲会 隈病院 名誉院長
宮内 昭 先生

髙井新一郎先生との出会いと甲状腺外科への道

もともと、医師とは縁のない家系に生まれました。私の両親は、子どもの頃どちらも貧しく、十分な教育を受けることができなかったと聞いています。そのため、子どもにはよい教育を受けさせたいという思いがあったのでしょう。今でいう名門と呼ばれる学校に進学させてもらい、両親の希望もあり、医師への道を歩み始めました。
大阪大学 医学部に進学した後は、自身の専門として外科を選択しました。白黒はっきりしたことを好む自分には、結果がハッキリと分かる手術によって患者さんを治療する外科が向いていると思ったからです。
当時、大阪大学の外科には、主に心臓・循環器や呼吸器を扱う第一外科、主に消化器や乳腺・内分泌を扱う第二外科がありました。当時の花形は第一外科で、第二外科には洗練されていない印象をもっていました。しかし、甲状腺や内分泌を専門とする髙井新一郎先生との出会いがきっかけとなり、第二外科に惹かれるようになります。
講義や実習でお伺いする髙井先生のお話は非常に理路整然としていてスマートでした。髙井先生のもとで勉強したいと思った私は、第二外科を選択。思えば、この髙井先生との出会いが、私を甲状腺外科・内分泌外科の道へと導きました。

病理診断の経験を積み、その奥深さを知る

大阪大学の麻酔科と外科で、それぞれ半年間の研修を行った後は、吹田(すいた)市民病院で2年間、外科の経験を積みました。この2年間を通して、病理診断に興味を持つようになります。
病理診断によって不要な手術を避けることができれば、患者さんの負担を減らすことができるからです。たとえば、当時、胃がんの治療では胃の切除が一般的でした。しかし、病理診断の結果、良性だった場合には胃の切除が不要となります。このような経験を重ねるうちに「病理ってすごいな」とその奥深さに感嘆するようになりました。
吹田市民病院から大阪大学に戻った後、教授との面接時にも、病理診断に興味があることを伝えました。それから、学内留学として病理診断について学ぶよう指示を受けました。2年半の間、1週間に1日だけ外科の仕事をするほかは、基本的に病理の教室に居候しながら経験を積ませていただきました。
この病理診断の経験は、のちに甲状腺腫瘍の外科を専門とするうえでも役立ちました。後述しますが、2019年現在私が院長を務める、隈病院の診断技術を大きく向上させることができたのも、このときの経験があったからです。

非常勤の医師として、甲状腺専門病院である隈病院へ

大学に戻りましたが、当時はまったくの無給医でした。そこで1974年にいわゆるアルバイトの非常勤の医師として、隈病院にやってきました。恩師である髙井先生が、当時の隈病院の院長隈寛二(くまかんじ)先生と知り合いであり、紹介を受けたことがきっかけとなりました。以来、週に一度隈病院で診療を行いました。1983年に香川医科大学に赴任してからは飛行機などを乗り継ぎ神戸にやってきて、隈病院で外来と手術に従事する生活を約16年間にわたり継続しました。
この時期から、非常勤医師という立場でありながら、隈病院で積極的にいくつかの新たな取り組みを実施してきました。

患者さんのために新たな取り組みを実現していく

たとえば、病理診断の経験を生かして、1980年に甲状腺腫瘍の穿刺吸引(せんしきゅういん)細胞診*の導入を提案したのです。隈先生は私の提案を受け入れてくださり、同病院では穿刺吸引細胞診をスタートし、私が細胞診を検鏡診断しました。
穿刺吸引細胞診を開始してから、診断技術は大きく向上しました。それまでの触診や超音波検査では発見することができなかった、3mmに満たないような小さな甲状腺がんをも発見することができるようになりました。このような結果を、誇らしく思っていたこともあります。
しかし、そのような思いはすぐに変化しました。当時、甲状腺微小がんは、手術による切除が一般的な治療法でしたが、本当に手術を行うべきか疑問を抱くようになったのです。
剖検(ぼうけん)で発見される甲状腺がんの頻度や超音波検査と細胞診を用いた検診で発見される甲状腺がんの頻度が、臨床的罹患率の約1,000倍も高いことから、多くの甲状腺微小がんは進行せず、たとえ進行したとしても、その時点で手術を行えば手遅れになることはないのではないか、全ての微小癌に手術をすることは、むしろ、声帯麻痺など害のほうが益よりも大きいのではないかと考えるようになりました。これらのことから、甲状腺微小がんでは「経過観察を行い、もし腫瘍が増大進行すれば手術を行うのがよい」と考えるようになりました。
そして、甲状腺微小がんの非手術経過観察を、隈病院医局会に提案させていただいたのです。もしも、隈院長が、患者さんのメリットよりも病院の利益を優先するような考えをもっていたら、反対されたであろうと思います。手術件数が減ることは、病院の利益が減ることを意味するからです。
しかし、隈先生はまったく逆でした。「患者さんのために」という信念がぶれることはなく、私の提案に共感し、受け入れてくださったのです。
この提案がもととなり、隈病院では、甲状腺微小がんに対して手術を行わず経過観察を推奨する方針をたてました。この成果は、後に、2015年アメリカ甲状腺学会の甲状腺腫瘍取扱いガイドラインに取り上げられました。また、2010年の日本内分泌外科学会の甲状腺腫瘍診療ガイドラインでも容認され、さらに現在の診療ガイドライン(2018年版)では、積極的に経過観察を推奨すると変化しています。

穿刺吸引細胞診:細い注射針で病変から直接細胞を取り出し、顕微鏡下で観察する検査

「隈病院の次の院長になってほしい」隈寛二先生から直々の打診

香川医科大学で助教授を務めながら、非常勤医師として隈病院への勤務も続けていた頃のこと。院長である隈先生から、ある打診を受けます。それは「隈病院の次の院長になってほしい」というものでした。
甲状腺微小がんの経過観察の提案を受け入れてくださるなど、「常に患者さんのために何がよいのか」と考え行動される隈先生のことを私は尊敬していました。そんな院長の申し出であればという思いで、次期院長の道を選ぶ決意をします。そして、1998年、数年後に次の院長に就任することを前提として隈病院の副院長になりました。
ちょうど副院長になったばかりの頃、隈先生が新たに隈病院の理念を掲げました。そのひとつに「甲状腺疾患中心の専門病院として最高の医療を均等に提供すること」があります。
この理念には強く共感しました。しかし、これは裏を返せば当時の隈病院では、このような医療の提供を実現できていなかったことを意味します。もちろん当時から甲状腺専門病院としての使命を果たそうと努めていたことは間違いありません。それでもさらに高みを目指すため、あるべき姿として、このような理念を掲げたのです。
隈病院に入職し、最初に隈先生に申し上げたことがあります。それは、「ここは隈病院ではない、隈市場ですね」ということでした。それほど、当時の隈病院では、医師によってやり方が異なっていたのです。たとえば、診断の基準や手術の方法も医師ごとに異なっていました。これを平準化するとともに改善を繰り返し、それを世界中に発信することこそが甲状腺医療に貢献することだと思うようになりました。
「隈病院に来たすべての患者さんが誰でも均等に最高の医療を受けることができるような体制を実現する、そして世界中の患者さんと医療従事者にその成果を還元していく」。隈先生が掲げた理念を実現するための挑戦が始まりました。

論文発表や研究を通した世界中の患者さんへの貢献

院長に就任したのは、副院長として入職してから3年が経ったときのことです。院長になったからといって、一方的に自分の方針を押し付けるだけでは、人はついてきません。ひとつひとつ地道に体制を整備していきました。
医師たるもの、目の前の患者さんの治療に精一杯あたることは何よりも大切で、当然のことです。私も一外科医として、常に「誰よりもよい手術をする」という気持ちで、安全・確実でかつスピードが速い手術を行うよう努めてきました。
同じように、全ての医師がレベルの高い手術を行うことができるよう、ベテラン医師と若い医師を組ませて、2人で手術をさせるような体制を築きました。また、術前カンファレンスでは、全ての症例について皆で検討を重ね、どのような手術を行うのか徹底的に共有しました。これらの取り組みの結果、常にレベルの高い手術を提供できるような体制が築かれるようになったと思っています。
また、私は、実際には診ることがない患者さんへの貢献も同じくらい重要であると考えています。世界中の甲状腺疾患の患者さんのため、また甲状腺の治療に従事する医師のため、甲状腺専門病院として専門的な知見を発信することも大切な役割なのです。これによって、まだ診たこともない患者さん、将来診る可能性のない患者さんの健康や病気の治療に大きな影響を及ぼすことができます。
そのため、研究や論文発表にも力を注いできました。特に院長に就任してからは、後進に対してもアカデミックな活動を推奨し、研究の指導や学会参加費の支援など、さまざまなサポートを行ってきました。
このような体制の整備もあり、隈病院は研究の分野でも大きな成果をあげるようになりました。2015年、アメリカで開催された国際甲状腺学会議で、Johns Hopkins大学病院のDavid Cooper教授が特別講演をされました。講演の中で発表された、最近10年間の施設別の甲状腺に関する論文数の報告。それによると、隈病院は世界で第3位。そして、甲状腺がんに関する論文数では、世界で4位ということでした。非常に驚くとともに、誇らしく思ったことを覚えています。
今では、国際学会で「Kuma University」と大学や研究機関と間違われることがあるほどです。診療のみならず研究の成果でも広く認められているといえるでしょう。

「神戸から世界へ」を合言葉に努力を続けていく

当時の院長である隈寛二先生がなぜ私を見込んでくださったのか、今となっては正確な理由は分かりません。ただ、患者さんのため、よりよい病院をつくりあげるため、全力を尽くしてきた自負があります。隈夏樹理事長の協力を得ながら、診療や研究、病院の体制づくりに力を注いできました。持ち前の探究心を武器に、新たな活動は今も積極的に取り組んでいます。
私は、「こう成ろう」と何かを目指したことはありません。常に「こう在ろう」という在り方、在るべき姿にこだわってきました。日頃から、最高の医療を全ての患者さんに均等に提供するよう努め、そして、得られた知見を発信するという地道な取り組みを続けてきたに過ぎません。その積み重ねが、現在の隈病院をつくりあげたと思っています。
2019年、私は、これまでの実績が認められたのか、国際内分泌外科学会のプレジデント(会長)に推戴されました。まさか自分が選ばれるとは思っていませんでしたが、非常に名誉なことであると思っています。
これからも世界中の甲状腺疾患の患者さんのため、甲状腺疾患に取り組む医師のため。「神戸から世界へ」を合言葉に、努力を続けていきます。

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