高校まで、私の得意科目は英語と国語で、理数系はどちらかといえば苦手でした。しかし、生意気な高校生だった私には、文科系は他人がやったことや決めたことを学ぶものが多いように思え、抵抗がありました。
一方、自然の原理を研究する科学には、やりがいがあるのではないかと考えました。なかでも脳の研究に憧れて、医学部を目指したのです。
しかし、入学試験も英語と国語で点を稼いで合格したような状態でしたので、教養学部の段階ですでに授業が難しくなり、大学時代の私はたまにしか授業に出席しない劣等生でした。勉学への意欲を失い、ほぼ不登校の時期もあったほどです。
この体験は、精神科医になり子どもの診療に携わるにあたり、多いに役立っています。当時は大変な思いをしましたが、その大変さを知れたことは、不幸中の幸いといえるかもしれません。
そんななか、精神医学だけは他の学科と異なり、興味を持つことができたのです。
「基礎的な脳神経科学は無理かもしれないけれど、精神科の臨床はやってみたい。」
という気持ちが漠然とありました。そんな折、当時東京大学医学部附属病院の精神神経科におられた齋藤治先生(現・立川パークサイドクリニック院長)の研究(精神疾患の患者さんの眼球運動の研究)をお手伝いさせていただく機会があり、それがきっかけとなり精神科に進もうという気持ちが現実的になりました。
医学部卒業後は東京大学医学部附属病院精神神経科で研修を受けることにしました。当時は今とは研修制度が異なり、卒業してすぐに精神科で研修を受けるという流れになっていたのです。
私が卒業した1988年当時の東京大学医学部精神科は、まだ学生運動の影響が残っており、外来・病棟・分院の3つに分裂し、研修も3か所がそれぞれ別々に募集する仕組みになっていました。
私は外来で研修を受けたのですが、外来には「小児部」が置かれていて、通常の精神科だけでなく自閉症を中心とした子どもの症例を診療する経験を積むことができました。
当時、自閉症は「知的障害を伴うことの多い重篤な疾患」だと認識されることが多かったのです。
しかし、知的障害を伴わない「高機能自閉症」というタイプもあることがちょうど注目され始めた頃でした。東京大学医学部精神科外来小児部でも、高機能自閉症の症例が少しずつ診断されるようになっていました。
高機能自閉症の一つであり、流暢に話ができるタイプのアスペルガー症候群と思われる症例の受診も時々あり、医局のカンファレンスで議論されることもありました。
今でこそ広く知られるアスペルガー症候群ですが、当時の日本ではほとんど知られていない、珍しい症例だったのです。
その後、私は東京大学医学部附属病院で2年の研修を終えた後、国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経医療研究センター病院)に移っておられた齋藤治先生からお誘いいただき、同病院のレジデントになりました。
この時点では、まだ一般の精神科医を目指していましたが、武蔵病院の臨床経験を契機に、私はアスペルガー症候群にのめり込むことになります。
当時の病名で「精神分裂病」(現在の「統合失調症」)と診断されていた武蔵病院の入院患者さんに、アスペルガー症候群の可能性のある方が何名かいらっしゃいました。そのことに最初に気づいたのは齋藤先生でした。
毎日のように齋藤先生とアルペルガー症候群について話すうちに
「もっと本格的に、アスペルガー症候群を専門にしたい。」
という思いが強くなりました。
しかし、どうすればアスペルガー症候群の経験が積めるのか。考えあぐねた私は、自閉症の専門家である清水康夫先生に相談をしました。すると清水先生から「アスペルガー症候群を専門にするなら、子どもを診れるようになったほうがいい」というアドバイスをいただきます。
そして、清水先生が所属していた横浜市総合リハビリテーションセンター(YRC)に私を誘ってくれたのです。
横浜に移った当時の私は子どもの専門家になるつもりはなく、「子どもを少しだけ診察しながら大人のアスペルガー症候群の専門家になろう」という軽い気持ちでした。しかし、気づいたらYRCで20年もの歳月を過ごすことになったのです。
YRCは、障害児の地域リハビリテーションに関する横浜市の拠点に指定されており、発達障害の早期発見と早期療育に取り組んでいました。
私もその一員として、地域の幼稚園・保育園、学校、福祉保健センターなどと頻繁に連絡をとりながら、発達障害の診断と支援に没頭。20年にわたり勤務したおかげで、一時は担当していた横浜市港北区内にある30の小学校すべての特別支援学級のどこに誰が通っているかをほとんど把握するほど、地域の診療に奔走しました。
考えてみると、若いうちから20年もの間、医師が一つの病院に勤めるというのは、珍しい例かもしれません。
しかし、これはとても貴重な経験で、長期にわたり一つの場所に腰を据えて臨床にあたったことで、あらゆる発達障害の患者さんを診ることができました。
長期間同じ病院に勤めたよい点として、継続して一人の患者さんを診れたことがあります。このように、長期にわたり患者さんをフォローできたことは、医師として大きなやりがいにもつながりましたし、得られたものも非常に多かったのです。
発達障害の診療では、本人の診察だけでなく家族のメンタルヘルスや所属する幼稚園・保育園や学校などの関係機関との連携が欠かせません。
初診の前に必ず家族や関係機関から必要な情報をいただき、初診では本人の面接あるいは行動観察と家族との面接に最低でも1時間はかけます。再診も原則として30分に設定しており、必要に応じて家族の仲介のもとで関係機関との連絡もとります。
何か問題が起こってから動くのではなく、特に大きな問題がない段階から将来起こりえる問題について予想し、それを可能な限り防ぐことが重要なのです。あるいは、防ぎきれなくても負の影響を最小限にとどめられるよう、細心の注意を払っています。
個々の症例を長期間継続して診療できた経験によって、今では、起こりえる問題の予想を立てることがある程度できるようになりました。
地域に根付き臨床に取り組んだ経験を生かし、自閉症の疫学に関する論文もいくつか執筆しました。なかには、世界初の報告につながった研究もあります。
たとえば、自閉症の発生率の報告や、高機能自閉症が多数存在していることを実証した研究は、私たちの論文が世界で初めてです。
また、1998年に「MMRワクチン(麻疹、流行性耳下腺炎、風疹の混合ワクチン)が自閉症の原因になりうる」という論文が医学雑誌であるLancetに掲載され、英米を中心に大きな議論を巻き起こしていました。
私たちの研究グループでは、日本においてMMRワクチンが一時期実施された後に中止された経過があることに注目し、ワクチン接種が行われていた時期と中止後との自閉症の発生率を比較することを試みました。
その結果、MMRワクチンが自閉症の原因として関与していないことを立証することができたのです。この研究はアメリカやイギリスで大きく報道されましたし、イギリスでは高校の生物学の教科書に今も紹介されています。
私は、臨床研究の発端となる気づきは、臨床家にしか捉えられないものがあると思っています。というのも、私の場合、発達障害に関してはどんなにインパクト・ファクターの高い雑誌に掲載された論文よりも、臨床現場で育まれた実感の方が結果的には正しいことが多かったからです。
MMRワクチン論争がそうでした。臨床研究は、実験室のデータのようにきれいに統制することが難しい場合が多いのですが、それでも研究デザインを工夫し、臨床家にしか示せないデータを導き出すことが重要であると思っています。
長らく児童精神医学の領域に携わってきましたが、児童精神医学を専門とする医師の不足を実感しています。2014年より信州大学医学部附属病院に活動の場を移しました。私はここで児童精神医学を専門的に学べる体制を築きたいと思っています。
長野県では200万人の長野県民に対し、児童精神科を専門とする医師は10名程度です。ただ、研修医や学生の中には、この領域に興味があるという方たちが少なからずおられます。また、小児科領域のなかでも精神科に関心を持つ医師は少なくありません。そうした人たちが心置きなく学べる環境を作る必要があります。
先進国では大学に児童精神医学の臨床講座があるのが当たり前ですが、日本の大学ではほとんどありません。小児科または精神科に分類されてしまうのです。
日本でもきちんと独立した講座をつくり、発達障害をはじめとする「子どもの精神疾患」を専門とする領域をつくる。このことが、児童精神医学を専門とする医師不足解消への近道なのだと思います。
このように、児童精神医学がきちんと独立した講座になることは、今後の日本社会にとっても、非常に価値が高いことだと考えています。私は長く児童精神科の分野に携わってきましたので、その経験を生かし、後進を育成していくことが私の使命だと感じています。
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信州大学医学部附属病院
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