妊娠高血圧症候群の病態が今世紀に入り明らかになりつつあり、新たな予知・予防法についても研究が進んでいます。近年の研究について、獨協医科大学 産科婦人科学教室主任教授(産科担当)の成瀬 勝彦先生にお話いただきました。
妊娠高血圧症候群のうち、赤ちゃんへの影響も大きい“妊娠高血圧腎症”は妊娠15週までの胎盤形成異常、具体的には子宮内膜に存在するらせん動脈の分解異常により、妊娠後半期に血流不足・低酸素が起こることで発症するものが多いことが分かってきました。このタイプは治療が難しいことに加え発症時期も早く、ほか重篤な合併症(常位胎盤早期剥離、子癇など)につながりやすいことが分かっています。
一方で、脂肪組織に由来する高血圧も妊娠中に発症します(妊娠高血圧症候群)。脂肪組織は、1996年に“アディポネクチン*”というサイトカイン**が特定されたことから、現在では巨大な内分泌臓器であると考えられています。この物質は脂肪細胞が自ら代謝を高めるための自己制御型のサイトカインの一種で、高血圧や糖尿病などの病気を発症すると減少することが分かっています。そして正常な妊娠では、アディポネクチンの値は下がることが分かっています。赤ちゃんに栄養を与えるため、妊娠中の体は自然なメタボリックシンドローム状態にするようあらかじめプログラムされているからですが、この状態が制御できなければ妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病が発症すると考えられています。
*アディポネクチン…体内から分泌されるたんぱく質の一種
**サイトカイン…生理作用を活性する物質。そのうち脂肪細胞から分泌されるものをアディポサイトカインという。
妊娠高血圧症候群の発症を抑えるためには子宮らせん動脈の分解を確実に行えるようにすることが不可欠ですが、これについてはまだ方法がありません。また、この分解があることでヒトは分娩時に出血で命を落とす可能性があるので、そのような治療が発明されたとしても全ての妊婦さんに同じことをすれば、出血で命を落とすお母さんが増えてしまうでしょう。
そうではなく、妊娠高血圧症候群を発症する可能性が高い人を選び、血液が固まりすぎないようにして胎盤ができるだけ長持ちするようにすれば、安全に発症を予防することができるでしょう。その考えで、問診や初期の血圧、超音波での子宮の動脈の観察や、血液中の特殊なタンパクの濃度から妊娠高血圧腎症のリスクを計算し、特にリスクが高い人に低用量(弱い)アスピリンを飲んでもらうと発症率が約3分の1に減ったという無作為割り付け研究*(Rolnik DL, 2017)が発表されました。
わが国のガイドラインでも妊娠高血圧症候群の既往のある妊婦さんや、高血圧をお持ちの女性に低用量アスピリンを処方することが弱くすすめられています。
*無作為割り付け研究:研究参加者を介入群(治療群)と対象群などのグループに無作為(ランダム)に分け、治療法などの効果検証を行うこと。
これまで妊娠中に使用できる降圧薬の種類が少なく効果も不安定であったことから、妊娠高血圧症候群を薬剤で治療することについてはあまり研究が進んでいませんでした。しかし近年、多くの降圧薬が妊婦さんに対し使用できることが分かってきています。そのようななか、世界規模の研究で血圧はしっかり下げたほうが母児の予後がよくなるという報告が発表されました(Magee LA, 2019)。さらに、わが国の調査でも分娩時の高血圧で怖い“母体の脳出血”が発症しやすいことも明らかになり(Yoshimatsu J, 2014)、分娩時も積極的に血圧を下げる対応をすることが望まれるようになってきています。
胎盤に原因があるものに対し、脂肪組織の関連した妊娠高血圧症候群では赤ちゃんが小さくなる確率もそれほど高くはなく、重症になることも比較的少ないのですが、こういった女性については別の新たな問題があります。
弘前大学の大石助教と田中教授らのグループは、分娩時母子手帳の調査を通じて、日本人においても妊娠高血圧症候群を発症した経験のある女性が、後に高血圧、糖尿病、腎臓病などを高率に発症していることを突き止めました(Oishi M, 2017, 2023)。妊娠高血圧症候群での腎臓へのダメージや、本来脂肪組織のインスリン抵抗性が過剰になりやすい方の存在など、原因はいくつか考えられますが、妊娠中の女性はストレステストの状態にあり、その際に妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病になった方は一生にわたって健康に留意し、早めの治療につなげる必要があることを強く警告する結果となっています。
マイナンバーカードを用いた保険証や共通カルテが普及するなどすれば、将来、妊娠中に発生した事象を後年に内科医や家庭医が察知したり、健診を重点的に呼びかけたりすることで、女性たちのよりよい健康を導くことができるでしょう。
獨協医科大学 産科婦人科学教室主任教授(産科担当)、獨協医科大学病院 総合周産期母子医療センター 産科部門長、獨協医科大学病院 臨床遺伝診療室 室長
獨協医科大学 産科婦人科学教室主任教授(産科担当)、獨協医科大学病院 総合周産期母子医療センター 産科部門長、獨協医科大学病院 臨床遺伝診療室 室長
日本産科婦人科学会 産婦人科専門医・指導医日本周産期・新生児医学会 周産期専門医(母体・胎児)・指導医日本超音波医学会 超音波専門医・超音波指導医日本人類遺伝学会 臨床遺伝専門医
奈良県立医科大学医学部を卒業後、同大学大学院で博士号を取得。英国ニューカッスル大学への留学を経て、2013年から奈良県立医科大学附属病院産科医長として県下の周産期医療に力を注ぐ。(公財)聖バルナバ病院院長・助産師学院長への出向を経て、2022年より現職。産婦人科診療ガイドライン産科編の作成委員・評価委員、妊娠高血圧症候群診療指針の作成委員などを歴任。妊娠高血圧症候群を中心とした産科救急に対する知識を生かし、周産期疾患の基礎・臨床研究のほか、医師・助産師の後進育成にも尽力している。
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