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インタビュー

認知症医療に求められることとは

認知症医療に求められることとは
木之下 徹 先生

のぞみメモリークリニック  院長

木之下 徹 先生

認知症の診療には、他の疾患の診療と同様に、その人の好き嫌いや想いに接近する気持ちは大切です。のぞみメモリークリニック院長の木之下徹先生に、専門医に求められる個人に合わせた診断と診療についてお話しいただきました。

ここでは遅延再生障害といった、認知症によって引き起こされる代表的なことがらの認知機能低下を中心に考えていきます。たとえば、自宅に帰ると認知症の母親が冷蔵庫に昨日買ったばかりの卵をまた買ってきて、重ねて入れていたとします。「また卵を買ってきて!もう!」とあなたが言ったとします。そう言いたい気持ちもわかります。しかし、母親にこの状態を確認させても切なさが残るのではないでしょうか。なぜ母親が今日また卵をスーパーで買ってきたのでしょうか。このことに想いをはせれば明白になります。いつものように、あなたのために必要だと思い買っているのかもしれません。

ただ、昨日卵を買ってきたことが記憶に残っていないのです。それを、あなたが重ね買いをした母親の行為を責めれば、母親は落ち込むことでしょう。あるいは、不思議な言い訳をして「逆ギレ」するのかもしれません。しかし卵ばかりが所狭しと冷蔵庫に詰め込まれています。ほとほと困ったあなたは医師にその困り事を伝え、その解決を求めるかもしれません。そして、医師ならこの卵の問題を解決してくれるのではないかと期待します。

さて次に、医師の立場に立ってこの課題について考えてみます。短期的な解決を求めて、認知症の人の家族がこの問題について医師に語り始めます。薬を使って意欲を削ぎ買い物をさせない、という冗談のような解決も出来ません。そこで、ご家族にはスーパーでの母親の姿を想起し、母親の想いを想像してもらいます。その際に遅延再生障害の実情も考えあわせてもらいます。そうすれば誰でも、短期解決できるような解がないということに気づけるはずです。

さて極端な事例として、暴言・暴力・不穏・興奮を呈する認知症の人がいたとします。その行為に及んだ風景を丁寧に読み解けば、この卵の話と同じような原理が背景にあることに気づけるはずです。暴言・暴力などの行為の原因は、いらつきなどの「人」として当たり前の心の動きによるものかもしれません。そしてそのいらつきの背後には、体調不良や薬剤によるせん妄があったのかもしれません。

暴言・暴力・不穏・興奮があると、抗精神病薬が使われがちです。しかし、使う前に一旦、当たり前の心の動きまでを解釈することは、医療に本質的に求められる「受診者のための医療」を保証することになります。もし認知症医療が本人を連れてきた家族のためにあるとするならば、そのような医療は本人にとっての何なのでしょうか。もしそうであれば、医療の名に値しない、本人にとって侵襲性の高い有害な行為なのかもしれません。

臨床の現実では、「当たり前の心の動き」にたどり着くことはなかなか難しい場合があります。しかし、医師のこの本質的な態度が、侵襲性の高い行為を人のための「医療」たらしめるのか、人を貶める有害な行為なのかを決する重大な要素であることは言うまでもありません。

蛇足ですが、これは「困ったと訴える家族をないがしろにせよ」と言っているわけではありません。家族のためだけの医療は、本人にとって害をもたらす可能性があるという当たり前の指摘に過ぎません。「人を人たらしめる要素とは、人と人との関わり合いから生起するもの」という思想のもとでは、本人もご家族もともに必要不可欠な人です。そして、ここで表出した「当たり前の心の動き」とは、人と人との関わり合いから生起するものです。これらのことをふまえて認知症の人と関わり合うことが、重要なのではないかと考えます。