インタビュー

いわゆる「物忘れ」は認知症の特徴ではない

いわゆる「物忘れ」は認知症の特徴ではない
木之下 徹 先生

のぞみメモリークリニック  院長

木之下 徹 先生

この記事の最終更新は2016年01月24日です。

詭弁のような題名と思われる方もいるかもしれません。認知症の代表的な「症状」は「物忘れ」と思われている方が大半でしょう。しかし、「認知症の代表的な『症状』は『物忘れ』である」という認識には問題があるといえます。それはどのような問題なのでしょうか。これをよく理解することは、よりリアルな記憶障害について知ることにつながり、それは認知症の人との関わり合い方を考えるうえで大きなヒントになります。のぞみメモリークリニックの院長の木之下徹先生に、これらの点についてお話しいただきました。

記憶とは、大雑把に言えば、外の情報を脳に「入れる・持つ・出す」ことです。ここで、「記憶が障害されていること」は果たして「症状」なのかという問題があります。「症状」という言葉は、咳き込む・血を吐く・まっすぐ歩けないなど、外から見えるものを指します。熱がある・お腹が痛いなどは、はたから見たらわからないけれど、本人が訴えればその通りであろうと思えるものも「症状」と呼ぶ場合があります。嘘を言われてもわかりづらいですし、実際に詐病(さびょう)というものもあります。それでも、比較的はたから見てわかるものを「症状」とここでは考えます。

ここで、記憶障害を「症状」と呼ぶことには抵抗があるのです。まずはここから考えます。例えば、徘徊で亡くなる方が多いという報道があるとします。人々は「それなら徘徊を無くせばいい」と考えます。しかしこれは、現実には不可能です。次に、徘徊するのは認知症の人であると考えます。それでは「認知症の人をあらかじめ重点的に探せばいいのではないか」と人々は言います。そのためにどうするのでしょうか。そうです。「認知症らしさ」を目印にすればよいのです。

さて、これらの根底にあるのは、はたから見て認知症がわかる、という信念です。何をもって「認知症らしい」といえるのか。それは認知症の「症状」です。症状によって認知症らしさを定義しているという風に思わざるをえません。実際に認知症の人々を見ればわかります。ましてや、先に述べたように今や一人で受診される人々がいるのです。しかし彼らが道を歩いていても、決して「認知症らしく」ありません。

そうなのです。「記憶障害」とここでは雑な表現をしますが、その「記憶障害」は、はたから見てもわからないのです。なぜなら、脳の機能の障害だからです。すなわち、「認知症らしさ」というものはないと考えたほうがよいのです。症状ではなく、あくまで機能低下であるということです。だからこそ、認知症になると外からはわからない苦しみを抱え込むことになります。抱え込むことによって、さらに周囲の人々にその苦しみを見えづらくさせてしまいます。世間では「認知症を正しく理解する」ということが、スローガンのごとく言われています。しかし、それがいかに難しいことかは、上記の点からも理解できるのではないでしょうか。

「物忘れは症状なのか」という問題に続き、もう一点わたしが問題と考えることをお伝えします。それは、認知症による脳の機能障害は「物忘れ」とは異なるということです。「物忘れ」は、一度脳に埋め込まれた情報を忘れてしまう状態です。一方、アルツハイマー型認知症などに代表される「記憶障害」や「遅延再生障害」とは、外部からの情報が脳に取り込みづらくなっている状態です。脳に入らなかった情報はそもそも脳に埋め込まれていないため、当然思い出すことができません。つまりこの点で、何かを忘れているという「物忘れ」とは異なるのです。ただし、すべての情報が取り込まれないということではありません。「以前より取り込みづらくなっている状態である」ということを強調しておきます。それをどのように自覚できるかは、「メタな自分」について述べた項(「病院に行くことができている認知症の人は一部である-認知症の診療の現状」)で触れましたので、ここでは省略します。

認知症の遅延再生障害を、例えばしばしば誰もが経験する物忘れと同等であると認識してしまうと、いろいろな困難が生じます。何度も指摘すれば思い出すのではないかと思いたくもなります。また子供に散々言い聞かせてきたように、「さっき言ったでしょ?」と繰り返し試したり、指摘することで訓練すれば、覚えられるはずだと期待したくもなります。しかし、全く記憶にないことを「いやそんなはずはない。記憶があるはずだ」と周りから指摘されることによる本人のダメージは、おそらく計り知れないほど大きいものと想像されます。

しかも、周囲の人にしてみれば「言った事実」を記憶しており、一方で認知症の人は「そういう事実はなかった」という信頼に足る世界観にいます。このような局面では、両者の世界観はずれています。当然のことながら、「言った事実」を記憶している世界観を押し付ければ、「そういう事実はなかった」という世界観に生きる人は追い込まれます。自分の世界観を否定し相手の世界観を受け入れるか、自分の世界観を肯定し相手の世界観を受け入れることを拒絶するしかありません。

誰にでも認知症になる可能性があります。ですから、これを単純に自分の経験している物忘れとして片付けるのではなく、認知症の人の「記憶力の低下に伴う体験」に真摯に耳を傾け、学ぶ必要が我々にはあります。本人も周囲の人も「人」です。イギリスのトム・キットウッド氏は、そうした観点でケアを論ずることを「パーソンセンタードケア」、すなわち、「人中心のケア」と言いました。相手の世界観を理解しお互いに関わり合えるあり方を獲得することも求められているのではないかと考えます。

 

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