「近年、ひとりで病院を受診する認知症の方が増えた」と、のぞみメモリークリニックの院長である木之下徹先生はおっしゃいます。それは、単に独居の高齢者の増加によるものではなく、認知症の人が自身の異変に気付いているからであるといえます。近年MCIではなく、こういう人々はSCI(Subjective Cognitive Impairment、自覚的認知機能障害)と呼ばれています。また、ご家族が病院に連れて行こうとしても、本人が受診に前向きでなければ連れていくことも難しいのが現状です。病院を受診するまでにどのようなやり取りがなされているのか、例を挙げて認知症診療の現状についてご説明いただきました。
娘が、母親が認知症の疑いがあると思っています。その母親を病院に連れていきたいと考える娘とのやりとりの一例を示します。母親は「自分は認知症ではない」と娘に言っています。そのため娘は母親には認知症を疑っているということを伏せて連れて行こうと考えています。
私「お母さん、病院に行かない?」
母「なんで?」
私「(認知症という言葉をなるべく隠したいので)お母さんの健康診断を受けに行こう」
母「健康だから、行く必要ないよ。」
私「それなら私の健康診断に付き合ってくれない?」
母「付いて行く必要があるの?」
私「お願いだから付き合って」
母「面倒だから嫌だよ」
私「(嘘では連れていけないと感じたので)お母さん、もしかしたら認知症かもしれないから検査しに行こう?」
母「認知症じゃないから大丈夫だよ。」
私「念のために行こうよ。」
母「必要ないから大丈夫。」
このような繰り返しが実際に行われており、やっとの思いで説得して病院に連れて行きます。しかし、おそらく実際に受診までたどり着けるのは少数でしょう。多くの場合説得できず、連れてくることが難しいと感じます。だましてなんとか連れてきたとしても、クリニックの看板を見て、認知症の病院とわかれば怒って帰ってしまうかもしれません。つまり、無理に病院に連れてくることができるのはごく一部だろうと考えます。
しかし母親はもしかすると、認知症であることを感じているのかもしれません。「認知症ではない」と母親の心のうちにあえて否認しているのであれば、娘も大変な状況ですが、母親の心理状況はなお一層深刻な状況ともいえます。実際に「認知症と生きる」姿と、世間の認知症のイメージは大きなギャップがあります。自ら抱く認知症のイメージが悪ければ、誰でも否認して当然かもしれません。それだけに、世間の劣悪なイメージを少しでも払拭する努力が、医療者のみならず社会全体に求められています。
最近、世間のイメージが少しずつ変わりつつあります。そこには認知症の当事者が講演会を行ったり、テレビに出演していることが関係しているのではないでしょうか。当クリニックでも最近増えているのは、ひとりで来られる人々です。例を挙げてご説明します。普段、予定が入るとスケジュール手帳に書き込むのが習慣となっているとします。スケジュール手帳を見ると今日の予定がなにも入っていないので、家でゆっくりしているところに、20時頃友人から「今日の19時から○○レストランで食事だけど覚えてる?」という電話がきました。しかし、スケジュール手帳にはなにも書いておらず、いつ約束したのかを思い出すことができません。
一例ではありますが、このようなことが頻繁に繰り返されると、「最近自分がおかしい、認知症かもしれない」という自覚が生まれてくるかもしれません。痛みなどを自覚できる他の病気とは違って、「問題」そのもの、つまりここでは「約束」という記憶が失われている障害そのものを直接自覚できることはありません。しかし友達から電話がかかってきて、「約束をすっぽかした」という記憶があれば、自分の問題を振り返ることができます。つまりそういう経験が積み重なれば、あるいは、自分ではありえないと思えるような失敗を他者から指摘されたという記憶があれば、「自分が何かおかしいのではないか」と間接的に自覚できることになります。
私は、メタな(高次な)自分がいるのではないかと考えています。素の自分は認知症を認識していないかもしれませんが、メタな(高次な)自分が自分を客観的に見ていて、以前よりも何かが下手になったと認識しています。そういう自分のことをメタな自分といいます。他にも、実家の荷物を整理したときに認知症のご両親の日記がでてくる場合があります。その日記の中には、「これからどうなるのだろう」などと書かれていることがあります。日記に人知れず書くぐらいですから、大抵このことは家族には言っていません。明らかに、これは本人が「自分が何かおかしい」という自覚があるからこそ、とれる行為です。メタな自分がいるからこそ、自身を把握しています。そしてそのメタな自分が自身の状態の変化に気付き、不安を覚えていると考えています。
このように独居の人も含めて、「最近自分がもしかして認知症なのではないか」という思いを持ち、ひとりで当クリニックに来られる人が増えています。先に述べた、「連れて来られる人」から「自らが疑い受診する人」へのシフトがあります。早い段階から受診することで、自らが認知症になった時、それを受け入れ、よりよく生きるための手伝いが医療の側にもできないかと模索し始めています。
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