インタビュー

児童精神科と犯罪被害・加害-非行や性被害に医療は何ができるのか

児童精神科と犯罪被害・加害-非行や性被害に医療は何ができるのか
竹内 直樹 先生

横浜市立大学附属病院 元児童精神科診療部長/准教授、開花館クリニック 副院長

竹内 直樹 先生

この記事の最終更新は2016年05月18日です。

子どもが何らかの犯罪被害を受けたとき、または罪を犯したとき、司法による救済や処分のほか、医療による子どもの治療や支援が必要になることがあります。犯罪被害少年、加害少年どちらにしても、児童精神科医師は裁判官とは異なる視点から、子どもの心の専門家として評価し支援していくことが重要であると、元横浜市立大学附属病院児童精神科診療部長の竹内直樹先生はおっしゃいます。本記事では子どもの犯罪被害や加害に際し、司法と共に児童精神医の視点が必要となる理由についてお話しいただきました。

長期に神奈川県の被害少年支援に関わり続けたことで、性犯罪被害少年、性加害少年(「少年」は警察では男女の総称)が、私のいた児童精神科に紹介されるようになりました。

犯罪被害の後に警察署で被害少年の支援制度があることを伝えますが、事件を一刻も早く忘れたいと思う親子が圧倒的に多く、その利用はごく少数に限られています。

犯罪被害、とくに性暴力被害の場合、心身の外傷をおっても、被害届を出さずに事件化することを避ける傾向があります。犯人が逮捕されない事件の被害者である子どもの多くは、警察に届けることもためらうため、暗数化しています。その大部分は急性ストレス障害を起こさずに耐えて生きのびています。子どもがひとりで抱えこみ、親の混乱や叱責を怖れて誰にも話せずにいることもあります。また、相談できる保護者の不在や、親自身が加害である近親姦のような深刻な症例もあります。SOSの主訴が明示できない知的能力が低い子どもも現実にはいます。

前項で述べた通り、犯罪被害とは、一言ではくくれないほど多様で、問題は個々で異なります。事件後は多くの親子にとって辛い体験の連続です。警察や検察の事件聴取、婦人科受診、動揺する家族、地域の風評や非難、通学などの生活変化や学校の噂、メディア報道等々、そして裁判所の関わりなど、親子にとって初めての体験尽くめで、不快と緊張を強いられる日々の連続です。さらに、疲弊も進みます。現場検証などを含めて、再度過去の被害に直面します。事件後の不眠、恐怖や食欲不振などが緊急性の狭義の医療とすれば、事件による両親の不和、犯人が逮捕されない期間の不安、学校など二次的な問題の出現など、情緒の不安定の軽減もメンタルヘルスには重要です。

また、事件は過去であっても、強姦被害で父親が不明のまま出産し、乳児院に真摯に通い続ける少女もいますし、被害を受けた子どもが転居を余儀なくされる場合もあります。このように、過去の事件は先々にも影響を残します。また、非行や福祉犯加害などで問題視された人が、過去に性暴力の被害者であった例もあります。

過去の被害に拘泥する子ども、記憶がとぶ子ども、事件ではなく警察や家裁などの呼び出しで生活が成り立たないこと、あるいは事件直後は犯人が逮捕されないこともあり、外で遊ぶこともできない子どももいます。

また、事件を学校に伝えるかどうかで両親同士が喧嘩になる場合もあります。さらに、事件後1か月以上を過ぎたのちに、インターネットから犯罪被害のPTSDの情報を得て、将来発症するのではと予期不安で苦しむ親子や、福祉犯被害では、加害者である男の裁判報道で後日に反応をおこした例もあります。

また、片方の親、たとえば父親による性的虐待で混乱した母親のみの相談もあり、その当事者たちが、「深夜徘徊をするから被害にあう」、「親がきちんと育てていない」、「自業自得」などと非難されることもあります。

診察とは、子どもの全体像に関心をはらうことです。親子関係が悪いから家出をして犯罪被害にあったなどと、一因説で世間と似たステレオタイプな判断からは距離をとることが大切です。

過去の事件だけではなく、今日の子どもの供述や内面、そして医療ニーズを吟味することが重要です。前にも触れましたが、過去の被害既往から加害に転じる例もあります。その意味で、非行という表象そのものよりも、子どもの地域での生きにくさの発見こそが、子どもへの理解を生むのだと考えます。

少なくとも非行や被害ではなく、その他の生活圏に関心を向けることが、児童精神科では求められます。大人は問題の非行の防止ばかりに関心を寄せてしまい、そのことがかえって親子関係、あるいは大人との関係を危うくし、結果として非行仲間に身を寄せる顛末をたどるなど、負の連鎖に陥ることに繋がる場合もあります。当事者同士が落ち着くためにも第三者の介在が必要です。

記憶に焦点化されたトラウマのEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)、あるいは認知行動療法の科学性が検討されていますが、治療法はいまだ見出されていません。当事者が支援や治療によって再度傷つけられることなく、保護されて、安心して過ごせるという、「安心できる時間」のプレゼントこそが、全てに通底するものだと感じています。

初診を含めて親子の感情に配慮し、「心の波長合わせ」を試みたいものです。

子どもの性的被害において、医者は子どもの心の何を診るのかと素朴に疑問視される方が多いと思いますが、不登校、精神病などと全く同じ「非特異的な診察」が第一です。

センセーショナルな事件や、稀有な経験ゆえに、性被害だけの先入観で子どもを診てはなりません。レッテルを貼って不憫がったり、報道被害のように質問でさらに苦しめることは、医療者としてあってはなりません。気持ちを斟酌することは、警察や司法と大きく異なります。被害側の一方的な供述に拠る限界を考慮しながら、治療的に関わることが優先されます。

診察では、今の瞬間の悩みを傾聴することにつきます。これは疾患特異的ではなく、メンタルヘルスの非特異的な精神現症の把握と同じです。不眠、イライラ、情緒の不安定、解離など、視座が動けば、医療で支援できることは容易になります。

また、被害者による事件の供述が空想や虚言である例も少なくありません。実際に、その判断を求められる受診もあります。我々がすべき重要なことは、司法的な精神鑑定ではなく診療支援です。

いじめ自殺が報道された頃に、「爆薬を仕掛けた」、「自殺をする」といった予告文を書くといった子どもの行動により、親や学校からの相談が増えたことがあります。これは一種のアナウンス効果を狙ったものです。またこのとき、個人情報に属する日記やメモを秘密裡に持ちだした大人もいます。日記やメモは子どもの個人情報であるのに、敢えて読んだ大人の動機、子どもへの開示をしていない理由、メモの書字や文章からの認知機能の側面など、多面的に親子の主訴を明確にしていく過程が必要です。犯行予告文などで子ども個人が特定されての受診は、それ自体が子どもの無計画さの現れであり、筆跡や文体で容易に特定されるなど、その稚拙さが焦点になります。また疑われやすいありかたそのものに注目していくべきです。附随する事実に、子どもの一面が物語られることがあります。子どもの受診動機も経過とともに変化がみられます。

通常の外来と同じで、日常生活の微々たる混乱と支障を、丁寧に解消していく見守り役が医療の担う役割です。子どもの供述が揺れることは日常的であり、供述自体の事実を集積するには時間を要します。

事件について、診察で言及を避けるならば、それを保証すればよいのです。くり返しますが、子どもが空想を語った場合、私たち医師の役割は、司法のように裁くのではなく、なぜ空想や虚言と思われるのかを配慮すればよいのです。そうまでして何を求めているのか、その意味を考え続けることが精神医学的診断であり、支援といえます。

児童精神科医はあくまで専門家として病歴や生育歴を聞き、治療経過などの専門的見地からの視点を導入することが大切です。子どもの事件により、関係する親や教員も落ち込むことがあります。親と記しましたが、両親で異なる見解を示すときもありますし、教員も複数では立場で異なりますので、各人の長期的主訴ととりあえずの主訴を明確にしていく過程が大切です。親や教員の不安が何から派生するかをともに考えていくことが、支援に繋がります。

また受診する子どもには、受診にいたる経過や、受診についてどのように説明されたかを尋ねればよいのです。子どもの治療動機を再確認することは常に重要です。

支援においては、マンパワーを含めたオンブズパーソン役をはたすことが必要です。受身的ではなく、主体的にありたいものです。受診したから医療モデルが必要なのではなく、また被害に対して傾聴に努めたという無責任な言い訳ではなく、過去から現在までのありかたと危機の航跡を、時系列に沿って客観視する機会を得られれば、支援の工夫に応用できます。

また、加害者である子どもには客観視を促して、事件と向き合う手立てを見出す支援をしたいと考えます。時間と共に落ち着いてきたときは、地域の関係機関につながりをつけてモニタリングをすることを考えればよいのです。

子どもを包括的にケアするために、教育や司法サイドとは異なる視座で子どもをみることが、児童精神医学という分野の存在理由だと考えます。

経過報告ではなく、長期の再診治療の継続はきわめて少数例で、その多くは犯罪被害と異なり精神障害の顕在化が主治療の対象となります。児童精神科医として医療提供をする際には、子どもと医師の相性問題もあり、年齢による制限もあるため成人後まで追い続けることができません。そのため、犯罪や非行に走る子どもに対し、社会で包括的に関心を払う必要があります。児童精神科医から、主任児童委員や保護司のような地域の人に戻していくことが大切です。警察でも加害・被害少年支援の活動を行っています。非行例は家裁送致で、児童相談所が担う福祉的支援もあります。被害者、加害者それぞれにおいて、社会と出会うことが重要です。加害者である子どもの性非行は発達期に一過性に限局していることがほとんどで、成人の犯罪加害と同一視することは間違いです。

その後、どのように社会支援を結び付けて社会で生きる力を育てるかは、今の日本が抱える課題です。というのも、成人の犯罪加害者には境界知能や知的障害などと診断される人もおり、社会への頼り方を知る機会がなかったために、非行や犯罪に至ったと考えられる例も数多く存在するからです。これを未然に防ぐために、障害を抱える子どもが罪を犯してしまったときには、単に少年法に則って処分するだけでなく、社会復帰したときに自立して生きていける能力や知恵・知識を身につけられるように、警察・司法以外からの包括的支援のアプローチが重要になるのです。