風邪というと、気温が低くなり、空気が乾燥する冬に多いイメージがあると思います。子どもに多いRSウイルス感染症もそのような感染症のひとつでした。「でした」と過去形にしたのは、最近になって、このRSウイルスが流行する季節が、冬から秋、秋から夏へと、大きく様変わりしてきているからです。このRSウイルスは大人が感染しても単なる風邪で済みますが、小さい子どもや赤ちゃんにとっては命に関わることもあるのです。
在胎33週、少し早く生まれたAちゃん(正期産は37~41週)。生まれた時は小さかったけれど、母乳も良く飲んで、順調に体重も増えています。生後2カ月になったある日、幼稚園に通っているお兄ちゃんが風邪をひいてしまいました。でもそのお兄ちゃん自身は、熱はなく、せきも軽く、食欲もあり、元気に遊べているのでお母さんはあまり気にしていませんでした。その数日後、今度はAちゃんがせきをしはじめて、鼻水が出てきました。徐々に症状は悪化して、母乳を飲んでいてもむせてしまい、すぐに飲みやめてしまいます。
せきと鼻水でとても苦しそうになり、ゼーゼーするようになったため、お母さんはAちゃんを小児科に受診させました。綿棒を鼻の穴に入れて、鼻水に含まれるRSウイルスを調べたところ、陽性反応が出ました。小児科の先生は「呼吸の回数が早くて、血液中の酸素の濃度も低くなっているようなので、入院した方が良いですね」と言います。単なる風邪の診療と思っていたら、Aちゃんはそのまま近くの総合病院に入院になってしまいました。
RSウイルスは1才になるまでに50~70%以上の子どもが、2才までにはほぼすべての子どもが感染します。感染してから症状が出るまでの潜伏期間は4~6日間です。熱、せき、鼻水などの風邪症状から始まり、約7割は軽い症状で済み数日間で自然に良くなる場合が多いですが、残りの3割は症状が悪化して喘鳴(ぜんめい=ゼーゼー)や呼吸困難などが出て、気管支の末端の細い部分が炎症を起こす「細気管支炎」や、肺炎となり重症化することもあります。
この症状の強さは、年齢によって大きく違います。普段健康な幼児や大人にとっては単なる鼻風邪くらいで終わりますが、1歳未満の乳児、特に新生児に加え、低出生体重や心肺に基礎疾患があるなどの子どもでは重症化するリスクが高くなるので注意が必要です。
入院したAちゃんは、母乳を飲む量が減っていたので水分補給のための点滴と、血液中の酸素の濃度が低くなっていたので酸素投与が始まりました。数日して、呼吸の回数は少しずつ落ち着いて、母乳もむせずに飲めるようになり、退院となりました。
残念ながらRSウイルスは発症してしまうと治療に有効な薬はありません。症状を和らげる対症療法と、必要なら酸素投与や人工呼吸管理などを行って、嵐が過ぎるのを待つしかありません。重症化しやすい小さいお子さんがいる家庭では、周囲の大人やお兄ちゃん、お姉ちゃんがウイルスを持ち帰らないように気を付けることが大切です。
冒頭でも触れましたが、RSウイルス感染症の特徴として、最近になって流行する季節が大きく変化していることがあります。RSウイルスは世界中で1年中存在していますが、温帯地方では冬季に、熱帯地方では雨季に流行する傾向があります。日本は温帯地方ですから従来は秋ごろから流行が始まって冬にピークを迎え、春先には収まっていました。ところが2012年シーズンごろから、流行の始まりが夏にシフトしてきて、秋までにはピークを迎えるというパターンに変わってしてきています。もはや夏風邪に近い感染症になってしまったと言えます。地球の温暖化や湿度、降水量などとの関係が理由として考えられていますが、詳しいことは分かっていません。
RSウイルスにはインフルエンザのようなワクチンがまだないので、あらかじめ免疫をつけておくことができません。しかし、重症化を防ぐ「パリビズマブ」という特殊な薬があります。ワクチンはウイルスに対する免疫を本人に作らせるのですが、この薬はRSウイルスに効果がある抗体成分(免疫物質)を精製したもので、体外で作られた免疫物質によってウイルスが体内に入ってきても増殖を防ぎます。ワクチンと違って効果が長期間持続せず、流行期の間1カ月ごとに注射する必要があります。
ただし、この薬剤はとても高価なため、すべての人が簡単に使えるわけではありません。現在、この薬の保険適用対象は、特に重症化しやすい生後6か月以下もしくは12カ月以下(在胎週数により異なる)の早産児や生後24カ月以下で心臓や肺に基礎疾患がある子ども、免疫不全のある子ども、ダウン症候群の子どもに限られています。
ワクチンも有効な治療薬もありませんので、日ごろの感染対策がとても大切です。RSウイルスは、感染している人からのせきやくしゃみが口から入りこむ飛沫感染でうつります。さらに、感染している人の鼻水に触れたり、「環境表面」に付着したウイルスを触ったりして、その手で知らないうちに自分の鼻や口などの粘膜を触ってしまう接触感染にも注意が必要です。環境表面というのは、例えば家庭内であればドアノブや手すりなどですが、外出中であればエレベータのボタンや電車のつり革など、日常生活の中で手を触れる可能性があるすべてが感染源になります。
ウイルスは目に見えません。多くの人が集まるところや、風邪症状のある人と接触するときにはマスクを着用したり、小まめにアルコールの手指衛生剤などで消毒したりすることで、知らないうちに感染してしまうことをある程度防ぐことができます。また、特に小さい子どもがいる家庭では、外出先から帰ってきた家族は、ウイルスを持ちこまないようにまずは手洗いをしてから子どもと接触する習慣をつけておくことも大切です。RSウイルスは、普段健康な幼児や大人は大丈夫でも、赤ちゃんにとってはとても厄介なウイルスであることを知っておきましょう。
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藤沢市民病院 臨床検査科
藤沢市民病院 臨床検査科に所属する感染症内科医。出身は小児科であり、幅広い年齢の患者さんに対応できる医師。一人ひとりの患者さんに優しく丁寧な診療を行っている。