がんの治療では、「標準治療」が行われます。標準治療と聞いて、どのような印象を受けるでしょう。上でも下でもない「真ん中」、松竹梅の「竹コース」、豪華なオプションを付けない「シンプルな選択肢」――と思う方も多いかもしれません。このようなイメージをお持ちのときに「標準治療をお勧めします」と言われたら、「もっとよい選択があるのでは」「もう少しお金をかければ、グレードの高い医療を受けられる」「決められたお仕着せの治療を押しつけられてしまう」「治療方針について、選べないのではないか」と感じるかもしれません。先に答えを書いてしまうと、標準治療に対するこうしたイメージは誤りで、実際には「その時点で選べるベストの治療法」のことなのです。今回は誤解を受けがちな標準治療について考えます。
「標準」には2つの意味合いがあることをご存じですか?
1)平均的であること。また、その度合い・数値。並み
2)判断のよりどころや行動の目安となるもの。基準
(小学館「デジタル大辞泉」より)
「標準体重」「標準コース」といった場合には、1)の意味です。一方、医療における標準治療の「標準」は、2)の意味で使われています。つまり、「治療方針を考える上で、判断のよりどころや目安を示すもの」ということです。
そもそも、標準治療とはどのようなものでしょうか。国立がん研究センターの「がん情報サービス」では、以下のように説明されています。少し難しい言い回しがあるかもしれませんが、引用します。
「標準治療とは、科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療をいいます。(中略)なお、医療において、『最先端の治療』が最も優れているとは限りません。最先端の治療は、開発中の試験的な治療として、その効果や副作用などを調べる臨床試験で評価され、それまでの標準治療より優れていることが証明され推奨されれば、その治療が新たな『標準治療』となります」
では、その「標準」はどのようにしてつくられるのでしょうか。そのキーワードが上に出てきた「科学的根拠」「推奨される治療」「臨床試験」です。
「治療Aより治療Bの方が優れている」「治療Cをした方が、なにもしないより良い」ということを証明するのは、実は大変なことなのです。患者Dさんにお勧めできる治療を考えるとき、過去に同じ治療を受けたEさんの経過が良かったので、「Dさんにもお勧めします」というわけにはいきません。同じような治療効果が得られないかもしれませんし、予期しない副作用が発生してかえって具合が悪くなってしまうかもしれません。そもそも、Eさんの結果が、他人であるDさんに当てはまるのか、という問題もあります。
そこで、治療効果を比較するために「科学的な根拠」のある方法で検証することになります。「臨床試験」は、よりよい治療法を確立することを目指して、新しい治療や薬について、有効かどうか、安全かどうかを調べるものです。
「AよりBが優れている」ことを証明するためには、同じ状態の患者さんの集団(がんの部位、病期[進行の度合い]、症状の程度、全身状態、がん以外の病気の有無、などの条件をそろえる)に、参加していただくことについて理解し同意いただいた上で、比較したい治療方法(AまたはB、あるいはプラセボ=偽薬)以外の条件は同じにして、ランダムにどちらの治療を受けるか振り分けて、治療効果を比較します。抗がん剤の標準治療を決定するための臨床試験(第3相試験)の場合、数百人の実際の患者さんにご協力いただき、治療の効果と安全性の評価が行われます。
治療の効果を評価するためには、判断するための「物差し」を設定することになります。「効いた」「良くなった」「元気になった」という個人の感想・主観的な指標では患者さんごとの違いが大きいため、客観的に測定できる指標である「生存率」や「無再発生存率」などが用いられます。治療を始めた後に存命している期間、再発することなく経過している期間を測定することで▽これらの期間が新しい治療によって延長しているか▽比較したい治療以外に結果に影響するものはないか▽副作用は許容範囲か――などが臨床試験で評価されます。海外を含む複数の第3相試験の結果を統合して、検証することもあります。このような評価や検証の経過を経て、さらには実際に実施可能かどうか、費用と効果のバランスは取れているかなどの検討がなされて、「標準治療」が確立していきます。
このように、標準治療が決まるまでには、膨大な時間とコストが必要になります。
同じ状況のたくさんの患者さんで評価され検証されることで、これから治療を受けようとしている患者さんにも同じ効果が期待される。だからこそ、標準治療がこれからの治療方針を考えようとしている患者さんに「お勧め(推奨)できる治療」、ということになります。
一方で、標準治療の結果がこれから治療を受けようとしている患者さんにそのまま当てはまらない場面がしばしばあります。例えば、標準治療の根拠になる臨床試験で定められていた選択基準に比べて、実際の患者さんでは▽年齢が高い▽合併症がある▽別の病気がある▽これまでの治療経過が長い▽副作用のリスクが高い――などです。
がん治療を受けるにあたって患者さんが考える「物差し」が異なることもあります。臨床試験では「少しでも生存期間を長くする」ことが重視されますが、患者さんが大切にしたいことは「副作用を抑えて、生活への影響を最小限にしたい」「仕事に影響が少ないように、通院で無理なく継続できる治療を選びたい」「入院ではなく、なるべく自宅で療養する時間を大切にしたい」といったように、ひとりひとり異なります。病気の現状と「物差し」を把握した上で、今どんな状態なのか、お勧めできる治療は何か、今後の見通しはどうか、ということについて担当医と話し合っていくことになります。
前回も書いた通り、がん医療は今や「患者さんと医療者が一緒につくる」と言われるようになってきました。
「自分の標準治療は□□なので、それを受けます」
という受け身の姿勢ではなく、標準治療を理解することで
「今の状態から考えると、自分の病気に対する標準治療は□□です。□□を受けながら、副作用をしっかり支持療法(副作用や後遺症を軽減し、安全に治療を行うために行われる治療)でコントロールして、生活への影響を最小限にしたい」「治療効果は同等で、仕事への影響が少ないので、別の▲▲治療を受けたい」といったかたちで、「これから大切にしていきたいこと」「自分の価値観や希望」について、より具体的に考えたり、伝えたりすることができるようになります。こうした意味で、標準治療について知ることは、「がん治療のスタートライン」に立ち、これからの病気との向き合い方や過ごし方について、自分らしい選択を考えていくきっかけになるといえます。
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帝京大学医学部内科学講座 腫瘍内科 教授
患者さんとご家族、地域の視点でがんを診る。 日本人の2人に1人が一生のうちにかかる「がん」。がんの診療、臨床研究とともに、研修教育に携わる。がん対策の取り組みの一環として医療に関する信頼できる情報の発信と、現場と地域のニーズに応じた普及の取り組みを実践している。