インタビュー

生物学的精神医学の現状と今後の課題

生物学的精神医学の現状と今後の課題
加藤 忠史 先生

順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学/医学部精神医学講座 主任教授

加藤 忠史 先生

この記事の最終更新は2015年10月25日です。

生物学的精神医学という言葉をご存知でしょうか。普段耳にすることがない言葉ですが、精神疾患の解明に非常に重要な研究を担っている分野です。生物学的精神医学の現状と今後の課題について、理化学研究所 脳神経科学研究センター精神疾患動態研究チーム・チームリーダーである加藤忠史先生にお話を伺いました。

私たちの研究グループは、ミトコンドリア病双極性障害うつ病を伴うことが多いという事実に基づいて、動物モデルを作成しました。しかし、研究をさらに発展させていくためには、確実な双極性障害の動物モデルを複数確立する必要があります。そのためには、「このゲノム変異を持っていると双極性障害を発症する」といえるほど、影響の強いゲノム変異を同定し、その動物モデルを作る必要があります。これは、多くの患者さんとご両親のゲノムを調べることで可能になります。私たちは、「双極性障害研究ネットワークニュースレター」という、患者さんやご家族向けの情報を電子メールで毎月配信しており、それを介して研究に参加してくださる方を募集しています。

参考:双極性障害研究ネットワークニュースレター

参加してくださった方々には、電話での症状評価と唾液の送付にご協力いただいています。現在はおよそ80組の方々にご協力いただいて、影響の大きなゲノム変異を探しています。このような研究をさらに大きなスケールで行うことで、必ず原因遺伝子は解明されてくるでしょう。原因となるゲノム変異を見つけさえすれば、そのゲノム変異を持った動物モデルを作製するのは、今の技術では1年もかからないと思います。

その先の研究としては、原因となるゲノム変異を持った結果、脳のどの部位がどのように変化して発症に至るのかを特定することが必要です。モデル動物で見いだした脳病変が原因であるかどうかを明らかにするには、亡くなった患者さんの脳で確認することが必要ですが、精神疾患の患者さんの脳があまり保存されていないということが、研究のボトルネックになっています。

なぜ脳が保存されていないのかというと、

  • 患者さんの脳を調べる研究自体が、大学紛争(記事1「生物学的精神医学とは」)の後遺症もあり、盛んではなくなってしまった
  • 他の診療科とは異なり、精神科で患者さんが亡くなって剖検に至ることは少ない

といったさまざまな要因が挙げられます。
また、他の診療科で剖検される場合があったとしても、生前の精神医学的評価がなければ、研究はできません。
そこで、ブレインバンクが重要になります。

日本生物学的精神医学会では、生前登録制度による全国規模の「ブレインバンク」の実現を目指しています。福島ブレインバンクで既に生前登録を受け付けており、献脳登録カードを携帯していただき、死後に脳を大切に保存して研究に活用できるよう、患者さんに呼びかける運動を行っており、既に多くの方が登録されています。次世代のための運動という面もあると思っていましたが、がんと診断され余命が限られていることがわかったので、と生前登録される方もいらっしゃいました。精神疾患の研究は、脳自体がまだ完全に解明されていないことに加え、精神疾患に対する社会的な理解が充分とは言えないことなど、さまざまなところにボトルネックがあり、それを全て解決していかなければならないため、主要な疾患の中で解明がもっとも遅れてしまったのではないでしょうか。

がんは、切り取るべき腫瘍であり、患者さんにとって、摘出した腫瘍を研究に用いることへの抵抗は少ないため、研究は進みやすいと言えます。一方、脳は心が宿る場所であり、誰にとっても一番大切な身体の部分ですから、その脳を研究するということについて、ハードルが高くなってしまうのは当然のことだと思います。

しかし、だからといって、脳の研究をしなければ、精神疾患に罹っている人たちの苦しみは解消されません。「ブレインバンク」は、こうした状況を改善するために大切なのです。

生物学的精神医学研究が停滞した時代があったことに加えて、精神疾患に対する社会の理解が十分でなかったこともあって、こうした研究への投資が充分でない時代が長く続いていました。しかし、最近になって、精神疾患の脳科学研究が国家プロジェクトとして設定され、こうした研究が加速しています。1997年にできた、私の勤務する理化学研究所脳科学総合研究センターでは、脳科学の基礎研究に加え、精神・神経疾患の研究が推進されてきました。

さらに、2011年に脳科学研究戦略推進プログラム・課題Fという、精神・神経疾患の克服を目指したプロジェクトが始まりました。これは、「うつ病等研究チーム」、「発達障害研究チーム」、「脳老化研究チーム」という3つのプロジェクトに分かれています。この国家プロジェクトが立ち上がって4年、次々と業績が上がっています。どのプロジェクトでも臨床研究者と基礎研究者が共同で研究しています。このような、基礎の神経科学研究者と臨床の精神医学研究者が一緒になってひとつの目標に向かって研究することが、精神疾患の解明には非常に重要です。こういった流れを止めることなく、より大きな流れにしていくことによって、ますます解明のスピードが加速されることでしょう。

ここまでにお話ししたブレインバンクや国家プロジェクトのように生物学的精神医学の研究の土台が少しずつできてきている一方、研究を志す医師が少なくなっていることが課題となっています。生物学的精神医学会には1,600名程度の方が在籍しておりますが、現在活発に参加されている方は数百人程度しかいません。どの領域でも、研究に進む医師が減っていることが大きな問題になっています。

この要因には、研修必修化・専門医制度などの、医師として一人前になるまでに時間がかかることもあります。医療の質の向上という観点から、こうした制度ができたこと自体はもちろん良かったと思いますが、その一方で、研究に進む医師の減少が起こっていることは看過すべきではありません。精神医学研究にもっと多くの方が参加してほしいと願っています。