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【リレー対談】ネクストリボン2019 トークイベント「がんについて語ろう 〜がんとともに生きる、寄り添う〜」

【リレー対談】ネクストリボン2019 トークイベント「がんについて語ろう 〜がんとともに生きる、寄り添う〜」
メディカルノート編集部  [取材]

メディカルノート編集部 [取材]

この記事の最終更新は2019年02月20日です。

2019年2月4日に開かれたがんとの共生社会を目指すイベント「ネクストリボン2019 シンポジウム&トークイベント」。がんと共に生きるための企業や個人のさまざまな取り組みやがん体験について語る本イベントは、今年で3回目を迎えました。今回は、2部 トークイベント「がんについて語ろう 〜がんとともに生きる、寄り添う〜」から、タレントでがん経験者の向井亜紀さんと、3名のがん経験者とのリレー対談の模様をお伝えします。

トップバッターとして登壇したタレントで元SKE48の矢方美紀さんは、25歳だった2018年4月にステージ2Bの乳がんの手術を受け、左の乳房を全摘。日々のマッサージで普段の状態を知っていたからこそ左胸のしこりに気づいたという彼女は、当初「痛みがないから病院に行かなくてもいい」とがんを放置しようとしていたそうです。

「でも、ある年上の女性に相談をしたら、真面目な顔で『明日、病院に行きなさい』と言われ、それが胸にグサッと刺さって病院に行くことができました」。そう話す矢方さんに、自身もがん経験者である向井さんは「そのやりとりがなければ、今ここでこんな風に話せていなかったかもしれない」と、今、二人がここにいる奇跡を噛み締めていました。

トークは乳房全摘の手術を受けるまでの決意、母にがんを告知した際の温かいエピソードと進み、乳房再建の手術を受けないと決めた経緯へ。乳房再建をしないと決断した理由を向井さんが尋ねると、矢方さんは笑顔で「(左胸のない)今のままでも十分、私らしいから」と笑顔で答えます。

「最初は再建手術を受けようと思っていましたが、そうするともう一度同じ場所を切らなきゃいけないと知り、また同じところを切りたくないと思って再建手術を受けないことに決めました。治療中、はじめは胸がないことに不自由を感じたこともあったけれど、私の場合は人工的に胸を作ることが『私らしくない』と思ったんです。実際、言わなければ周りは胸がないことに気がつかないし、普通の生活はできているなと感じていて、今のままでも十分、私らしいなと」

26歳ではっきりと自分らしさを理解し生きる矢方さんに、向井さんをはじめとした会場の多くの人が勇気をもらえた瞬間でした。そして、矢方さんはこう続けます。

「でも、みんなが同じ気持ちじゃない。再建手術を受けないのは、あくまで私の場合。何が正しくて何が間違っているというのはありません。自分自身が満足できる環境がベストです」

そう力強く語る彼女に、向井さんは「(矢方)美紀ちゃんの未来に胸が躍りますね」と期待の眼差しで矢方さんと会場を見つめました。

次に登壇した濱松誠さんは、がん患者の家族の視点から、がんとの向き合い方や支え方について語りました。濱松さんの妻・鈴木美穂さんは自身が乳がんを経験しながらも、がん患者やその家族、友人などが安心して集える場所「マギーズ東京」を立ち上げ、がんと向き合う人々を支えています。

美穂さんと交際するときに、彼女から「(がんを患って、乳房を切除した)私でいいの?」と尋ねられたという濱松さん。聞き手の向井さんも「パートナーとしてどう支えたらいいのか、適切な寄り添い方とは何か悩むこともあったと思います」と投げかけます。

「がんの当事者も、そのパートナーもみんなコンプレックスがある。僕の場合は(離婚して)父がいないというコンプレックス。だから、切除した乳房のことで他の女性とは違う、とコンプレックスを抱いていた彼女にそう言われたときに、僕は『そうじゃないんだよ。(みんなコンプレックスがあるから)比べるものじゃないんだよ』と言えました。他人と比べ始めると絶対にいい方向には行かないし、お互いが受容して支えないと。私は彼女を支えたいと思ったから、できることはやろうとしています。人間だから、相手が傷つく言葉を悪気なく言っちゃうこともあるけれど……」

彼の言葉に、向井さんは「『これは言ったらいけないな』という言葉があっても、それでも側にいたいときがありますよね」と同意します。それに対して濱松さんは、相手の心に踏み込んで悪気ない言葉を放った本人を責めても意味はなく、相手を許容し、ときにはネタを入れて笑うなど楽しくやろうとする「許容と笑いのバランス」を大切にしていると話しました。一方で、「許容」を家族やパートナーだけに求めることの危うさについても触れ、がん患者とパートナー・家族とがお互いに萎縮せずに許容しあい「ありがとう」と「ごめんなさい」を言えることが、受容の社会につながるのだと訴えました。

「でも、この距離感は私と妻のパートナーシップで皆さんの場合はまた違うから、人と比べないでください。僕たちの関係が参考になれば幸いですが、コミュニケーションに『失敗』はありません。仮に失敗と言っていいのであれば、それは(あなたの大切な)その人が命を失うことだけです」

最後に登壇した古村比呂さんは、子宮頸がんを患い、その後再発・再々発を経験しました。向井さんが古村さんに「今日はいい報告があるんですよね」と話題を振ると、彼女はにこやかに「去年(2018年)、再々発したがんの抗がん剤治療をお休みできることになりました」と報告。会場からは拍手があがりました。

普段から古村さんと懇意にしているという向井さんが、再発・再々発を経験した際の気持ちの持ち上げ方の秘訣を尋ねると、古村さんは「再々発は想像の域を超えていて、かえって開き直ることができました。治療法が限られる中で思いや考えがとてもシンプルになった」と話し、がんにという「事実」と「感情」は別物だと考えると冷静になれたと言います。

トーク中、向井さんの「会うたびに強く、若くなっていますね」との一言に古村さんが「もっと大きな声で(言って)!」と会場の笑いを誘う場面も。そして、二人とも50代を迎えたことで感じた「年相応」のがんとの向き合い方に話題が移ります。

「がんになって、体を可愛がることができるようになって。お風呂でも『頑張ったね』、寝るときも『ありがとう』って自然と言えるようになりました」と古村さん。治療の中で苦しみを感じたときには、家族の支えがとても大きかったと語ります。

「急に嫌な気持ちになって、お気に入りの鍋を叩き潰したことがあります。そうしたら鍋がへこんでしまって『どうしよう』と思っていたら、三男がその鍋を手にとって火で炙って金槌で叩いて、直し始めたんです。そして『もうちょっと上手く叩いてくれたら治るのに、叩き方が悪かったね』と、私の行動を否定せずにさらっと返してくれました。すごく気持ちが楽になりましたね」

そうした、家族など周囲の人との「感情のキャッチボール」によって教わることはたくさんあると古村さんは続けました。

女優としての活動復帰はまだ先という古村さんに、向井さんが「焦りや不安はない?」と尋ねると彼女は「以前は感じていたが、今はない」と答えました。

「今しかできない経験をさせてもらっています。現代の社会は仕事とがんだけでなく、いろんなボタンのかけ違いがあることが多いと思います。ただ、それはいつか必ず変わるし変わらなきゃいけない。そのときに、自分の経験がいつか生かされると考えています」

その前向きな言葉に、向井さんも「(古村)比呂ちゃんがまた強くなってる。柳みたいに柔らかくしなやかに」と、友人として心打たれたようでした。

今回のリレー対談で全てに通じていたことは、「がんの受け止め方や向き合い方は人それぞれだ」ということ。自分らしさを持ち続けている人、がんを経験したパートナーとしっかり向き合って生きていくと決めた人、家族の何気ない言葉に救われ、今の自分の経験はいつか生かされると信じている人ーー。

2人に1人はがんになる時代、これからは誰もが「自分ががんになったら」「大切な人ががんになったら」と一度立ち止まり、がんとの向き合い方を考えてみることが必要なのかもしれません。そのとき、今回の3名の経験に触れたことは、きっと何かしらの糧になるのではないでしょうか。