アメリカではがんの遺伝子検査に基づく予防的治療のガイドラインがある程度確立しており、保険で治療を受けることが可能になっています。今後は日本でも個別化予防・個別化治療の進展が期待されています。国立がん研究センター中央病院遺伝子診療部門の部門長である吉田輝彦先生に、日本における個別化予防の現状や今後の課題についてお話をうかがいました。
よく知られているところでは、アメリカのNCCN(National Comprehensive Cancer Network)などのガイドラインがあります。このようなガイドラインで治療が推奨されているものに関しては、希望する方は保険で治療が受けられるようにすべきではないかという意見もあります。しかし日本では現在、予防的ながん治療については保険適用になっていません。
家族性大腸ポリポーシスの場合には、大腸がんを発症していなくても多発性ポリープという病気の治療ですので保険適用になります。しかし遺伝性乳がん・卵巣がんなどの場合、明らかな遺伝子変異があってアメリカではガイドラインで治療が推奨されていても、日本では保険適用にならないというのが現実です。
RRSO(risk reducing salpingo-oophorectomy:リスク低減卵巣卵管切除術)を受けた人と受けなかった人では、がんにならずに生存した率が明らかに違うというデータがあります。このようなエビデンスに基づき、NCCNのガイドラインではRRSO(リスク低減卵巣卵管切除術)を推奨しています。
それに対してRRM(リスク低減乳房切除)は、NCCNのガイドラインでも推奨ではなく医師と患者さんが「検討する」というレベルになっています。その上で、アメリカの女優、アンジェリーナ・ジョリーさんのように、本人が希望して医療機関が同意すればアメリカでは予防的切除が受けられるということです。その違いの理由の一つとして、乳がんはマンモグラフィーやMRIなど有用な検査方法があるため比較的見つけやすいということがあります。これに対して卵巣がんには有効性が証明された検査方法がありません。婦人科での超音波検査や腫瘍マーカーは一応ありますが、これらが確実に死亡率を下げるというエビデンスがないのです。
がんの種類によってはこのように予防的治療の明確なエビデンスが示されているものもありますが、それがはっきりしていないがんも少なくありません。
ひとつには日本におけるエビデンスがそもそも十分ではないという理由があります。また、希少な遺伝性腫瘍では、国際的にもガイドラインの整備が未発達という部分もあります。
まずはデータベースを作り、そこに意味付けをしたナレッジ(知識)ベースを作り、そしてその後に来るものとしてガイドラインが必要になります。たとえばこういう変異が見つかった場合はどうするべきかということの積み重ねです。それをどんどん作っていかなくてはなりません。
それが実現すれば、ゲノム検査に基づく予防的治療が今後保険収載される可能性はあると考えます。明らかなエビデンスに基づいていてガイドラインにも掲載されるということになれば、保険償還の道も開けます。その前提となる遺伝学的検査も、今のところ一部の遺伝性腫瘍を除いて、基本的には自費で賄うか、あるいは何らかの研究費を使ってゲノム検査を行い、患者さんにその研究結果・研究データを使ってご説明するという形をとって、医師の責任において診療を行っているというのが日本でのがんの個別化予防のゲノム診療の現実なのです。
遺伝性疾患は必ずしも例外的ながんではなく、乳がん・卵巣がんや大腸がんなどのメジャーながんの中にも遺伝性のものがあります。国民の二人に一人が罹患する全がんの5%未満とされている遺伝性腫瘍の患者さんを同定するための対象者の絶対数は、かなり多くなります。当然それは多くの人の悩みに繋がる問題でもあります。保険診療に導入する上では、医療経済的な分析も必要ですが、単に遺伝学的検査のコストだけではなく、それに基づく様々な予防法により延伸される健康寿命も含めたトータルのコスト・ベネフィットの計算が必要と考えられます。
いずれにせよ、研究レベルでは全ゲノムシークエンスのコストは10万円、1,000ドルレベルになっており、そう遠くない将来には、データ取得だけなら100ドルを切るようになるでしょう。誰もが自分の血液型を知っているのと同じように、産院を出るときには全ゲノムデータを持っているという時代がやってくるのではないでしょうか。
国立研究開発法人国立がん研究センター研究所 遺伝医学研究分野 分野長 /同研究支援センター センター長/基盤研究支援施設 施設長
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