静岡県立静岡がんセンター(以下、静岡がんセンター)は、現在の日本のがん診療の中心的存在です。院内がん登録数は全国2位、あるいは「がんに強い病院ランキング500」(「ダイヤモンドQ 創刊準備3号」ダイヤモンド社)第2位で、年間2,000名以上の治癒を達成しており、その実力は折り紙付きです。加えて、患者家族支援を徹底させ、年間1,000名以上の最期の看取りをQOD(Quality of Death、死の質)の追求しながら実施しており、その活動には「朝日がん大賞」が授与されています。こうした静岡がんセンターの「患者さん最重視」の取り組みについて、静岡がんセンター総長 山口 建先生におうかがいしました。
静岡がんセンターの計画が持ち上がったのは、1994年、静岡県東部地域に「医療城下町」をつくろうという声がきっかけでした。この医療城下町が、記事2『静岡県に医療城下町を!ファルマバレープロジェクトで変わる、静岡県東部地域の医療と経済』でお話しするファルマバレープロジェクトにもつながってきます。
もともと沼津市、三島市や静岡がんセンターがある駿東郡長泉町などの静岡県東部地域は、長期療養型の病院が多く、いわゆるオーバーベッド(病院などの保険医療機関における定数超過入院)の地域で、総合病院をつくることは困難とされていました。一方で、「静岡県にがんセンターがほしい」という声もあったことから、静岡がんセンター設立の案が出てきました。
私は当時、国立がんセンターに勤務していました。いわずもがなですが、国立がんセンターは日本のがん研究の中心施設です。確かに国立がんセンターを含むがんを扱う病院では今まで「がんという病気そのものの研究」を熱心に追求していましたが、「がん患者さんを対象とした研究」はほとんどなされていない状態でした。そうした背景から、静岡がんセンターは患者さん重視のがんセンターにしようという方針を立て、国立がんセンターとの差別化を明確にしました。
そして、2002年に静岡がんセンターが開院したのです。
「がん患者さんの研究」には患者家族支援学が欠かせません。患者家族支援学とは、がんなどの病気においていかにして患者さんやその家族を支援するのかを体系的に研究・実践する学問分野です。より広い意味で「がんの社会学」とも呼んでいます。
たとえば胃がんという病気の研究では、10人の胃がん患者さんがいたとして、がん細胞の特性に注目し、個別化治療を研究する時代になりました。一方、医学的には一人ひとりの患者さんの悩みや負担、あるいは家庭状況や就労は考慮せず、治療を勧めることが一般的でした。むしろ、患者さん一人ひとりの社会的状況にとらわれずに最善の治療を実施することが医療スタッフの心構えとされてきました。
しかし患者さんのバックグラウンドは実にさまざまです。高齢で独居している方、幼い子どもがいる方、失職する方。当たり前ですが、患者さんの生活や環境、精神状態は皆それぞれ違っており、治療にあたっては社会的背景に配慮せざるを得ない状況が生まれてきました。そこで、「がんという病気そのものの研究だけでなく、患者さんの悩みや負担、あるいは社会学的背景を熟知した上で、患者・家族を支援することが大切だ」と気づきました。
もちろん、これまでも患者・家族からの訴えをもとに、医師や看護師や医療ソーシャルワーカーが様々な形で支援してきました。しかし、学問として体系化していないために、医療スタッフ個人のボランティア的な活動の域を出ず、経験豊富なスタッフが人事異動や退職などで現場からいなくなってしまうとそのノウハウは途端にゼロになってしまいます。このような状態ではいつまで経っても患者さんやその家族を支援する医療の広がりは期待できません。そのため「患者家族支援学」をひとつの学問として確立するための体系化と継続性を目指し、この十数年をかけて静岡がんセンターでその研究と実践を心がけてきました。
20年が経過し超高齢化社会が訪れた今、がん医療の実践において患者さんの研究の重要性がさらに増していると感じています。
「患者家族支援学」の実践は、1.調査研究、2.対応部門整備と支援ツールの開発、3.医療スタッフによる包括的患者家族支援体制の構築、4.支援の実践、という四段階で進めました。
患者さんやその家族を徹底的に支援するには、まずは患者さんが抱えている悩みや負担のすべてを知る必要があります。そこで2003年に1回目の全国調査を行いました。調査対象者は7,885人の患者さん、集積された悩みや負担はおよそ26,000件に達しました。この大規模な調査、そして全国に先駆けて静岡がんセンターが設置した「よろず相談」での年間1万件あまりの相談内容を参考に、患者さんの悩みは大きく4つの柱に分けられ、さらに、15の項目に分類されることがわかりました。私たちはこれを「がん患者の悩みや負担に関する静岡分類」と名づけています。
がん患者さんの悩みや負担の4本柱は「診療上の悩み」「身体の苦痛」「心の苦悩」「暮らしの負担」です。このなかでも特に多いものが診療上の悩みで、全体の約半数を占めます。
静岡がんセンターでは、過去10年間、院内で起きるすべてのことをこの分類に基づいて分析するという実験的な試みを行い、対応部門の整備や支援ツールの開発に生かしてきました。その結果、9つの機能が必要と考えられ、十数年をかけて整備に努めてきました。
多くの患者さんが抱える「診療の悩み」については「患者家族支援センター」や「よろず相談」が対応します。「患者家族支援センター」の看護師は、診療を受けるすべての患者さんの悩みや負担を把握するため、初診時にその有無を確認し、支援が必要な患者さんを抽出し、支援部門を紹介します。
手術を受ける患者さんへの説明も患者家族支援センターが対応し、患者さんの求めや医療スタッフからの紹介をもとにカウンセリングが実施されます。また、患者さんの様々な相談や地域の病院からの患者調整や在宅・転院の支援も「よろず相談」が担当しています。
がんに伴う症状や治療に伴う副作用、合併症、後遺症などの「身体の苦痛」に対しては、内容に応じて、「化学療法センター」、「支持療法センター」、「緩和ケアセンター」などが対応します。さらに、社会復帰のための「リハビリテーション部門」の活動も重要です。不安や恐怖や生き方への疑問といった「心の苦悩」には「患者家族支援センター」、「緩和ケアセンター」、「よろず相談」で看護師や心理療法士やソーシャルワーカーが対応します。
患者さんやご家族は、家計や家族関係、あるいは就労に関する問題などの「暮らしの負担」を抱えますが、これには「よろず相談」で医療ソーシャルワーカーが担当します。
がん治療に当たって、患者・家族に対し、適切な情報提供を行うことは患者家族支援の重要なテーマです。静岡がんセンターでは、各部署が、患者・家族が求める情報はもちろん、医療スタッフしか気がつかない患者・家族に必要な情報も「情報処方」というコンセプトのもとでの提供に努めています。これは、「薬剤を処方し、患者さんが飲み下す」のと同様、患者さんに理解してもらわねばならない情報を、上意下達的に提供する手法です。
このように、最初は患者家族支援センターやよろず相談が窓口になるというワンストップのかたちは残しつつも悩みの種類に基づいてセンターを細分化し、専門スタッフを配置することによって、どのような患者さんの悩みにも対応できるようにしたのです。
この充実した相談体制は、他にはできない「患者さん重視」の静岡がんセンターならではの取り組みであり、また大切なことだと自負しています。この経験を生かし、すべてのがん診療連携拠点病院も実践できるような簡素な体制やツールの開発についても積極的に取り組んでいます。
2003年のがん患者の悩みや負担に関する調査結果をもとに、静岡がんセンターが率先して取り組んできたテーマががん患者の就労支援です。
ここでのキーワードは「情的な活動」です。雇用者の場合、医療従事者や患者さんがいくら論理的に就労に向けて努力しても、雇用主が首を縦に振らなければ就労には至りません。そのため自身ががんサバイバーである社長の企業などを訪ね「この人もがんを克服したんですよ」と情に訴えることで成功することがあります。
2013年からは、長期療養者就職支援モデル事業(厚生労働省モデル事業)としてハローワークと連携しての就労支援も行っています。2016年までの約3年間での紹介件数は122件、就職件数は55件と就職決定率は約50%です。
一見順調にみえるその一方で、課題もあります。たとえ就職しても、辞めてしまう方が少なくありません。特に女性に多い乳がんや子宮がんなどの年齢分布は40代〜50代とまだまだ働く方が多い年代と重なります。正社員はまだしも、契約社員や派遣社員、パートタイムで働く女性たちは、どこかで「契約は更新しない」と契約を切られてしまうことが多いようです。
がん患者の就労について最も重要なことは、再就職は難しいので、決して自分からやめずに仕事を続けることが大切で、企業や医療機関の役割は仕事と治療の両立が可能であるように継続した支援を続けることのようです。
静岡がんセンターは、特定機能病院や都道府県がん診療連携拠点病院に指定されている高度がん専門医療機関です。開設以来、「患者家族支援」とともに「がんを上手に治す」ことを患者さんへの約束と考え日々診療を行っています。
現在のがん手術療法のトピックスは、低侵襲性手術と補助化学療法です。例えば、静岡がんセンターの胃がんや大腸がんの手術とは? 適応や手術方法についてくわしく解説の多くが内視鏡手術で行われており、また、各種がんに対する鏡視下手術(胸腔鏡・腹腔鏡手術)やダ・ヴィンチを用いたロボット支援手術も盛んに行われています。特に、ロボット支援手術は、前立腺がんなどしか保険が適用されていませんが、静岡がんセンターでは大腸がんや胃がん手術において、日本で最大数の症例に対しロボット支援手術を行ってきました、その結果、この新しい手法によって出血量が少なく、精度の高い手術が実施可能であることが明らかにしてきました。一方、補助化学療法の分野では、膵がん手術後の補助化学療法により生存率が高まることを明らかにし、全国に普及させています。
コンピューターの発展により、通常の放射線治療機器でもIMRT(強度変調放射線治療)のような高精度な治療が可能になりました。また、静岡がんセンターは全国でも11か所しかない陽子線治療を実施しており、2016年11月には「放射線・陽子線治療センター」を開設、放射線治療と陽子線治療の特性を生かしながら患者さんに最適な治療を選択し、両者を併用しての治療ができる「放射線・陽子線連携照射」の開発にも積極的に取り組んでいます。
薬物療法における進歩としては、分子標的薬の普及、免疫関連治療薬の開発、副作用対策の充実などをあげることが出来ます。また、がんの薬物療法を通院で実施する機会が増え、静岡がんセンターでも、外来での抗がん剤治療が8割にものぼっています。この場合、副作用を自宅で体験することになるので相談相手がいません。「副作用のためこのまま死んでしまうのではないか」と自宅で悩む患者さんもいます。「化学療法センター」や「支持療法センター」では、副作用についての説明と理解、副作用を和らげる処置などを積極的に行っています。
支持療法とは、各診療科が中心になってがんの症状を和らげ、治療に伴う副作用、合併症、後遺症のケアを実施することを言います。静岡がんセンターでは日本初の「支持療法センター」をつくりました。支持療法センターの重要なテーマは、抗がん剤を中心とした薬物治療による副作用をケアすることです。抗がん剤は、吐き気や脱毛、神経障害、肺炎、口腔粘膜炎、爪囲炎(そういえん)、皮膚障害、心臓障害などのさまざまな副作用を引き起こします。支持療法では、出現した副作用に対応するだけではなく、抗がん剤治療の開始前に起こりうる副作用とその対処法をあらかじめ患者さんに伝え、予防対策もしっかり行います。
例えば、むし歯や歯周病などがある状態で抗がん剤を服用すると細菌感染症が悪化したり、口腔粘膜炎から感染が悪化し、そこを中心として敗血症が起きる可能性があります。そこで、抗がん剤治療が決まった段階ですぐに歯科へ行ってもらい、むし歯や歯周病の治療をして副作用のリスクを減らします。
つまり、支持療法とは、実際に行う治療とその副作用などを想定し、前もって適切な処置を講じて、悪化の予防に努め、出来るだけ軽く済ませるためのケアといえます。
医学の進歩でがんが完治する確率も上がりましたが、なかには完治が見込めないがん患者さんもいらっしゃいます。そのような患者さんに余生をよりよく過ごしていただくため緩和ケアが積極的に実施されています。静岡がんセンターでは、緩和ケアセンターや緩和ケア病棟をつくり、支持療法では対応できない症状の緩和に取り組み、最期の看取りではQuality of Death(死の質)の向上を追求しています。看取り件数は、年間約1,000例と日本の病院の中では最大です。
看取りというととても悲しいことのように聞こえますが、最期まで患者さんが安心して楽に過ごし、「悔いはない、ありがとう」と言っていただくことが目標です。
患者さん自身のケアとあわせて重要なことが遺族へのケアです。遺族ケアについては近年他の病院などでも行われつつありますが、静岡がんセンターでは開院当初から積極的・具体的に遺族ケアを行っています。遺族の皆さんに集まっていただき慰霊祭を行い、特に緩和ケア病棟では遺族を集め、茶話会を実施しています。そのなかでも特に先進的な取り組みと自負しているものが、チャイルド・ライフ・スペシャリスト(※)による親を看取らねばならない子どもたちへのケアです。
チャイルド・ライフ・スペシャリストは病気の子どもと遊びながらケアにあたることが通常の役割ですが、静岡がんセンターでは親ががんである子どものケアを中心に行っています。親を亡くすということは、今後60〜70年ものあいだ生きる子どもにとって生涯の大きなトラウマとなります。そのトラウマを初期の段階でできるだけ小さくすることが、その子の一生にとって非常に大切であると考えています。
※チャイルド・ライフ・スペシャリスト(Child Life Specialist:CLS)は、医療環境にある子どもや家族に、心理社会的支援を提供する専門職です。子どもや家族が抱えうる精神的負担を軽減し、主体的に医療体験に臨めるようサポートします。1950年代から主に北米で発展してきたもので、現在は、米国に本部を置くChild Life Councilが資格認定をおこなっています。日本の4年制の大学を卒業した後、米国のコースを終了し資格取得が可能となるため日本で活動しているチャイルド・ライフ・スペシャリストは約30名と少数にとどまっています。
静岡がんセンターでは開院時の2002年から多職種チーム医療を実践しています。医師・看護師・薬剤師・各種リハビリスタッフ・医療ソーシャルワーカー・薬剤師など、すべての医療スタッフは対等関係にあり、各スタッフが医療法上、許された範囲内で自ら意思決定し即行動できます。この結果、患者さんはすべての職種が自分のためにベストを尽くしてくれるという気持ちになって満足度が高まります。また、医師は診療に専念でき、医師以外の職種のやりがいも向上します。
多職種チーム医療をはじめた当初、看護師などは「医師の指示なしには率先して動きづらい」と躊躇していましたが、医師などのサポートによって、今では看護師など医師以外の医療スタッフも積極的に自らの仕事を行っています。ただ、多職種チーム医療を充実させるためには各職種が実力を付けることも大切です。そこで、静岡がんセンターでは、がん看護に必要な認定看護師教育課程を緩和ケア、がん化学療法看護、皮膚・排泄ケア、がん放射線治療看護、乳がん看護の5分野で開講し、さらに、他の職種を中心とした多職種レジデント制度も実施しています。
なお、多職種チーム医療の実践には医師の意識改革も必要です。そこで、毎年、30~40名を採用している医師、歯科医師レジデントにはその重要性を指導し、慶応義塾大学大学院、大阪大学大学院などとの連携大学院の教育においても多職種チーム医療関係のテーマを重視しています。
静岡がんセンターでは、2002年からの十数年間にわたり多くの人材を育成し、輩出してきました。これは記事2『静岡県に医療城下町を!ファルマバレープロジェクトで変わる、静岡県東部地域の医療と経済』でお伝えするファルマバレープロジェクトのひとつ「ひとづくり」にもかかわってきます。
これまでに育成した医療従事者の数は、医師498名、研修医303名、看護師1548名、認定看護師344名、コメディカル(医師・看護師以外の医療職)337名にのぼります。そのうち、3分の1は、現在も静岡がんセンターに勤務しています。
静岡がんセンターでのがんの治療実績は年間数千件に達しています。そこで、通常の病院ではなかなか経験できない、さまざまながんに対する治療やケアを短期間で学ぶことが可能で、医療従事者にとって大きな経験・資産になっています。この経験を静岡がんセンター内だけでなく他の病院の患者さんや医療従事者に還元していく流れをつくることも、静岡がんセンターの重要な役割だと考えています。
静岡がんセンター内にある患者さん専用の「あすなろ図書館」では、一般の書籍やDVDのほかにも、がんの闘病に役立つ医療・福祉情報誌を多数蔵書しています。落ち着いたトーンの館内で、患者さんが自身の病気についてじっくり調べることのできる場所です。
そして院内には、抗がん剤の副作用や緩和ケアなどについてまとめた小冊子のシリーズを配布し、必ず読むようにお願いしています。患者さんががん治療を受けるにあたって、たとえば抗がん剤の副作用とその対処法について正しく知っているのとそうでないのでは、治療に対するモチベーションやつらさ・苦しさも大きく変わってきます。このように医師や看護師などの医療従事者のほうから積極的に情報を提供することは、とても重要であると考えています。私たちはこの医療従事者から患者さんへの上意下達的な情報提供を「情報処方」と呼んでいます。
また、以下のウェブサイトにてオンラインでもがんの相談や啓発を行っています。
・Web版がんよろず相談 (がん患者さんの悩みや負担への対処法)
・SURVIVORSHIP.jp (抗がん剤の副作用対策など)
・静岡県 あなたの街のがんマップ (静岡県内の医療資源マップ)
このようなウェブサイトを整備していつでもどこでもがんについての正しい情報を得られるようにしています。
静岡県立静岡がんセンター 名誉総長(兼)研究所長(併任)静岡県理事
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