胃がんなどで胃を切除したことにより引き起こされる胃切除後障害。その概要と詳細について「胃を切った人 友の会 アルファ・クラブ」でセミナーが開催されました。登壇者は東京慈恵会医科大学の中田浩二先生。胃のはたらきから胃切除後障害のメカニズム、治療の評価まで、幅広くお話しいただきました。
みなさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学の中田浩二と申します。本日はよろしくお願い致します。
胃切除後障害という言葉にはあまり馴染みがないかもしれませんが、胃を手術したことによるさまざまな不調のことを総称して、「胃切除後障害」あるいは「胃切除後症候群」と呼びます。ただ、個人差があり、胃を切徐した患者さんみんなに同じ障害が現れるわけではないのでご留意ください。
まず、胃の手術を受けたある患者さんの物語をご紹介します。
ある男性が胃の不調に気づいて病院にかかりました。そこで担当医から「あなたは胃がんにかかっています。手術で取り除きましょう」と説明を受けます。
患者さんは手術を受け、順調に回復しました。担当医から「あなたは運がいい。早期の胃がんでした。もう心配ないですよ」といわれます。その患者さんはホッとして、「これで私は胃がんから解放された。さあ、これからまた人生を楽しもう!」と張り切って社会復帰をはじめます。
しかし、あに図らんや‥‥胃切除後障害に悩まされることになってしまいます。食事を摂るとさまざまなお腹の症状が出現し、また食後には脱力感にもみまわれるようになります。困りはてて病院を受診すると、担当医から「私があなたの胃切除後障害を何とかしましょう」といわれます。
いろいろな自己対処方法を教わったり、薬をもらったりして、やがてこの患者さんは胃がんからも胃切除後障害からも解放されます。これにて一件落着。めでたし、めでたし‥‥とすべての患者さんがこのようにハッピーエンドで終わればよいのですが、実際にはうまくいかないことも少なくありません。
胃切除後障害とは、胃の一部や全部を切除したり、胃やさまざまな消化器のはたらきを調節している迷走神経を切除したりすることにより、これらが担っていた生理的な役割が減弱または欠如する病態を指します。手術による生体機能の変化に対する適応障害ともいえます。
日常生活にさまざまな支障をきたすため、きちんとした対処や治療が必要になります。一般的に、胃切除後障害の発生率は25~40%、そのなかでとくに日常生活に大きく影響を及ぼすのは5~10%。数で言うと約10~20人に一人といわれています。
一口に胃切除後障害といっても、その様相は多岐に渡っています。
内視鏡や血液検査などではっきりと原因がわかるものを、器質的な障害と呼びます。たとえば潰瘍ができたり、食物の通り道が狭まったり、逆流によって食道が赤くただれてしまったりします。
一方、通常の検査では原因がわからないものもあります。たとえば、食事をするとすぐにお腹が張ってしまう小胃症状やダンピング症状などです。
それ以外にも、胃は、胃酸や内因子を分泌することで鉄やビタミンB12、カルシウムなどの吸収を補助しています。胃切除によって胃の分泌能が低下すると貧血になったり、骨が弱くなったりします。
胃切除後障害は、そもそも手術が原因で生じているので、まず胃のどの場所がどのくらい大きく切除されているかに影響を受けます。悪性の胃がんの場合は、転移の可能性も考えて、胃の周囲の迷走神経やリンパ節も一緒に切除することが多いです。ですから胃の周囲の組織をどれくらい広く切除するかによっても障害の強さやその種類は異なります。
また同じ手術を受けても、現れる胃切除後障害の強さや種類は人によってさまざまです。ほとんど症状もなくいままで通りの生活を送れる方がいる一方で、すぐにいろいろな症状が出て生活に支障をきたしてしまう方もいます。これは、失われた胃のはたらきを腸がどれくらいうまく補ってくれるかにかかっています。この代償のはたらきには個人差があり、それが弱い場合には胃切除後障害が起こりやすいです。
食べ方も胃のはたらきを補う上でとても重要です。ふだんよく噛まずに早食いする癖のある方が、術後も同じように食べていたら残胃や腸に相当の負担がかかってしまいます。術後には脂肪の消化不良になりやすく、油っぽいものを好む方は症状が出やすいといえます。
胃を手術すると、消化管のはたらきが変わります。このことをしっかり理解し、気をつけて生活をできればいいですが、長い間に培われた食事の習慣はなかなか変わりません。うまく対応できず、調子を悪くしてしまう方も出てきてしまいます。
胃を切除した方は、手術による体の変化と、それに対してどのように対処していくかをしっかりと頭で理解し、術後の体に合った新しい食事の習慣を再構築していくことが大切です。
ここで胃のおもなはたらきについてご説明します。
胃は、1つの袋です。普段は小さくしぼんでいますが、食事をすると、風船のように大きく膨らみます。膨らみ方が十分であればたくさん食べられますが、胃がよく膨らまないと少し食べただけでもお腹が張ることになります。胃を切除すると胃の大きさが小さくなるため、小胃症状はさらに強まります。
食道と胃のつなぎ目を噴門(ふんもん)といいます。ここは普段閉じていて、胃のなかの空気や胃液が逆流しないようにしているのですが、食べ物を飲み込むとさっと開いて、食べ物がすっと下に落ちていく仕組みになっています。
胃の手術をするとこの噴門のはたらきが弱くなり、胃の圧力がちょっと上がっただけで上に逆流するなど、噴門機能の低下が起こるようになります。
胃は一見すると1つの袋ですが、出口側の部分は筋肉が厚くなっており、蠕動運動(ぜんどううんどう:収縮しながら食べた物を細かくし、運ぶ運動)をします。口から入った食べ物は胃のなかで徐々に小さくなり、ゆっくりと時間をかけて幽門(ゆうもん:胃の出口のすぼまったところ)から小腸へと排出されます。
また、幽門に続く十二指腸の下行部は膵液や胆汁などの消化液が大量に分泌される場所です。このとき、幽門は消化液が胃へ逆流してくるのを障壁になって防ぐはたらきもしています。
健康な方の胃では食べた物をたくさん貯められます。
そのような胃のはたらきを「適応性弛緩」といいます。すなわち、胃は食べ物が入ってきたときに、食べ物によって押し広げられて膨らむのではなく、そのことを迷走神経や壁内神経が感知し、胃壁の緊張が和らぐことで、自然と膨らむようになっています。
胃の手術をすると、適応性弛緩の多くを担っている迷走神経が切れてしまうため、胃が自然に膨らむはたらきは弱まってしまいます。
また、胃には温度調節のはたらきもあります。健常な人であれば、食べた物が冷たくても胃に運ばれてから15分くらいでほぼ体温と同じに温められ、胃液で薄められ、消化され、小さくなってから‥‥すなわち腸の負担にならない形に加工されてから、小腸へと運ばれていきます。
小腸に入った食べ物は、消化液と混ざり合い、栄養分が消化分解されて、2~3時間くらいかけて小腸を通り吸収されます。
それでは胃を切除したあと、体にどのような変化が起こるのでしょうか。
物理的に胃が小さくなっているので、ちょっと食べただけでも胃がパンパンになってしまいます。
胃の貯めるはたらきが低下することで、食べた物があっという間に小腸に流れ出てしまいます。よく噛まないと、大きな食塊がそのまま小腸にストンと入ってしまうので、消化吸収がかなり困難になります。
胃のある健常者の場合には、食べた物がゆっくりと小腸に排出され、食事と消化液が1対1の割合で混ざるとします。しかし、胃を手術すると食べた物の半分くらいが一度に小腸にストンと落ちてしまいます。すると、小腸に入ってくる食事量が5~10に対して、消化液が1しかない状態になるので、消化液による分解のはたらきが相対的に弱まり、消化吸収されにくくなります。
胃は、消化器全体のなかで、楽団でいえば指揮者のような役割を果たしているといわれています。そのため、胃を切除すると、単に胃のはたらきが弱まるだけではなく、さまざまな消化器のはたらきに影響を及ぼします。
食道と胃のつなぎ目(噴門)の機能が低下することにより、胃内の消化液が逆流しやすくなります。また、逆流した物を押し戻す食道のはたらきが弱まり、逆流性食道炎になりやすくなります。
胆のうの収縮力が弱まるため、胆のうが拡張し、粘度のある胆汁がうっ滞します。それが胆石症や胆のう炎の原因になるといわれています。
食べ物が一度に入るため、小腸に過剰な負荷がかかります。また、胃酸の分泌が減ることで胃での殺菌作用が弱まるため、腸管内で細菌が増えてしまいます。このような変化が体調不良の原因になることもあります。
胃を切除すると、下痢・便秘などの便通異常を訴える方が多いです。もともと胃と大腸の間には、胃-結腸反射があります。これは、胃に食べ物が入って胃が動くと、大腸の動きも活発になって便意を催す、というメカニズムです。
胃を切除すると胃-結腸反射がはたらきにくくなるので、便秘などの影響が出てきます。
胃の切除による器質的変化・機能的変化によって、お腹の症状が出たり、以前のように食べられなくなったりすると、不安や自信喪失などにつながります。
食べられないことは、食事量が減る→筋肉量が減る→体力が低下し、疲れやすくなる→日常生活に支障をきたす、というサイクルになるので注意が必要です。
できれば、胃を手術しても術前と同じように仕事や生活ができることが望ましいのですが、胃の手術を受けたすべての方がそこまで回復するのは難しいです。まずは、一度に食べすぎないこと、ゆっくり食べることなどに気をつけてふだんの生活が成り立つところを最初の目標にするのがいいと思います。
とはいえ、なかには食事や日常生活を工夫しても、術後の障害が重く現れ、普段の生活に制限が加わる方もいらっしゃいます。
私が医者になった1984年頃、「がん」は非常に怖い病気で、「がん=死」と捉えられていました。「がん」と聞くと患者さんは過度の不安と恐怖に襲われるので、「患者さんにがんを告知はしてはいけない」と教わったものです。
しかし、時が流れ、今では患者さんにきちんと病状を説明することが普通になっています。実際、手術法や抗がん剤の進歩があり、がんもかなり治る病気になってきました。また、診断の技術が進歩したので、早期発見も進みました。
また昔は、がんの大小に関係なく大きな手術をしていました。ある程度進んだがんに対しては、非常に多くの臓器や神経を切り、がんが潜んでいそうなところは徹底的に取り除く手術も行われていました。
当時はそれが患者さんの生存率を高めると信じられていましたが、現在では手術を大きくしたからといって必ずしもがんが治ったり、生存期間が長くなったりするのでもないことがわかってきました。むしろ大きな手術をすると、体の機能が大きく損なわれ、患者さんのQOL(生活の質)が低くなることがわかっています。
最近では、がんの進行度や広がりに応じて、必要十分な範囲の胃と周囲の組織だけだけを切除し、消化管をうまくつなぎ合わせることで患者さんの負担を減らす手術が広く行われるようになっています。
手術には「生存」だけでなく手術後の「QOL」も重要であり、これらのバランスをうまくとること、つまり、必要以上に大きな手術をしない、術後の障害を小さく抑えることができる術式を取り入れる、ことが術式選択のポイントになっているのです。
どのような人と生涯を共にするかはとても大切なことです。昔は仲人さんが推薦する人と結婚することも多かったですね。
私たち医師も、仲人さんと似ているところがあります。患者さんに手術を勧める際にはもちろんもっともよいと考える手術の方法を提案しますが、その根拠は多くの場合、それぞれの医師の経験と実感であり、必ずしも科学的な根拠に基づいているわけではないのです。
この感覚的な部分を、科学的な根拠に置き換えようとする動きもあります。結婚でいうと、「条件をわかりやすくする」ことに当たるかもしれません。手術するのですから、もちろん「がん」を治すことが大前提です。しかし、それだけではなく、手術後につらい症状があまり出ないとか、食事が十分できるとか、今まで通りに仕事ができるとか、あるいは体重が減らない、手術の合併症が少ない、などのさまざまな条件も考慮して、手術法を選ぶようになることが望まれます。
よい治療とは何か。外科医はさまざまな課題を抱えながら、治療のことを考えています。
とにかくがんを治しきることはもっとも大切です。しかし、合併症が起きてはいけないので、手術が安全に行えるかも考えます。術後のQOLがよいことも重要です。同じ手術を行っても結果にばらつきがあってはいけないので、安定性も重要です。また、特別な技術を持つ外科医だけにできる手術では駄目で、手技がシンプルで技術的に平易であることも大切です。腹腔鏡下手術でも行えることも重要なポイントです。
「よい手術法」を選ぶには、さまざまな面から検討する必要がありますが、各要因を点数化できれば、どの方法が適切かを容易に判断できます。つまり、手術の方法を科学的に評価することで、最適な手術が選べるようになるのです。そのような評価法が普及すれば、手術はさらに改良され進歩するはずです。
手術治療を科学的に評価するには、
などを外科医が実践し、きちんとした統計学のもとに分析し、検証することが大切です。
この記事は胃を切った人 友の会 アルファ・クラブ主催の講演内容をベースに作成しています
川村病院 外科 、東京慈恵会医科大学 客員教授
日本消化器外科学会 消化器外科専門医・消化器外科指導医日本消化器病学会 消化器病専門医・消化器病指導医日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医日本がん治療認定医機構 がん治療認定医日本消化管学会 胃腸科専門医・胃腸科指導医日本外科学会 外科専門医・指導医
東京都生まれ。1984年東京慈恵会医科大学卒業。学生時代は空手道部主将を務め(三段)、国際大会にも出場。内科疾患・外科手術と消化管機能障害に関する研究と臨床に従事。「胃癌術後評価を考える」ワーキンググループ/胃外科・術後障害研究会を通じて胃切除後障害の克服に向けた全国的な活動に取り組んでいる。
中田 浩二 先生の所属医療機関