インタビュー

予想外の再発から2年、今では「病気になる前と同じような生活」へ

予想外の再発から2年、今では「病気になる前と同じような生活」へ
メディカルノート編集部 【患者・家族取材】

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「病気になる前と同じような日常が戻ってきました」――そう笑顔で語る澤田 友樹さんは、悪性リンパ腫の一種 “びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(diffuse large B-cell lymphoma:DLBCL)”と診断され、一度は寛解したものの、わずか8か月で再発を経験しました。4人のお子さんの父親として、再発が分かった際は一瞬「もはやこれまでか」という思いが頭をよぎったと言います。

これまで再発後の治療は難しい場合が多かったのですが、近年治療法が進歩し選択肢が広がっています。再発後の治療から約2年、澤田さんが希望をつないだ道のりについて伺いました。

※こちらでご紹介するのは1人の患者さんの体験談で、全ての患者さんが同様の経過をたどるわけではありません。

43歳になってすぐ2021年の年末、耐え難いほどの腰の痛みを感じ、大量の寝汗をかくようになりました。精密検査の結果、翌年1月末に告げられた病名は“悪性リンパ腫”。私はどちらかと言えば楽観的な性格ですが、それでも医師に病名を告げられたときは驚きました。

年末に症状が現れてから治療が始まるまで、痛みに耐えるしかなかった数か月間は、本当につらい時期でした。妻は「がんだと分かっているのに治療に進めない。苦しんでいる姿を見ていることしかできないのが本当につらかった」と当時を振り返ります。私たち夫婦には子どもが4人いるのですが、当時はまだ小学生と中学生でした。私の病気のことだけでなく、日々の家事や育児、子どもたちの将来のこと、これからかかる医療費……心配は尽きませんでした。

写真:PIXTA
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そして2月、“びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(diffuse large B-cell lymphoma:DLBCL)”、ステージIVと診断されました。半年ほどかけて化学療法を8回、放射線治療を10回行い、一度は寛解を得ました。安心したのもつかの間、穏やかな日々が続いたのはわずか8か月でした。

2023年7月のある日、突然の腹痛で救急搬送され、医師に告げられたのは思いもよらなかった「再発」でした。再発の診断は最初に悪性リンパ腫と分かったときよりもずっと大きな衝撃でした。普段あまりネガティブなことを考えない私も「もはやこれまでか」という思いが一瞬頭をよぎりました。妻もこのとき「もうダメかな、今度こそ夫は死んでしまう」と思ったと言います。

MN

気持ちはどん底でしたが、すぐに次の治療を検討する必要がありました。先生からは化学療法や造血幹細胞移植のほかに、“CAR T細胞療法*”という選択肢が提示されました。1年以内の再発なので化学療法単独での効果はあまり期待できないこと、CAR T細胞療法が適応となる一定の条件**に該当していること、具体的な治療内容や期待される効果、起こり得る副作用、おおよその費用などを丁寧に説明してくださいました。

*CAR T(カーティー)細胞療法:白血球の1種であるT細胞には、もともとがん細胞を攻撃する性質がある。CAR T細胞療法では患者さんのT細胞を一度取り出して強化してから、患者さんに戻す。

** CAR T細胞療法が適応となる条件:日本ではDLBCLに対して複数のCAR T細胞製品が承認されている(2025年9月現在)。製品によって、これまでに受けた治療の数と造血幹細胞移植の適応があるかどうかで適応が異なる。

写真:PIXTA
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CAR T細胞療法が選択肢にあがったとき、治療効果が得られるのであれば、副作用など自分の体に起こることは自分が何とか頑張ればいいと思っていました。ただ、心配だったのは費用のことです。

事前におおよその費用や高額療養費制度などについて、詳しく説明していただけたことはありがたかったです。その場で決めなければいけないわけではなく、検討する時間をいただけたことも助かりました。あらかじめ支払いが必要になる金額が予測できたので、家計をまかせている妻と話し合って「大丈夫かな」と確認することができました。

私自身はあまり自分で調べることはなかったですが、妻はたくさんのウェブサイトを見ていました。しかし、調べれば調べるほど不安と疑問ばかりが募ってしまったようです。これまでの治療経過のなかで主治医の先生を信頼していたので、妻が自分で調べるなかで出てきた不安や疑問もしっかり先生に相談しました。いろいろな選択肢がある中でも「今の私の状態ではこれがベストだ」と納得して決断できたと思っています。

写真:PIXTA
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それからは、CAR T細胞を投与するまでがん細胞の増殖をできるだけ抑える必要があるとのことで、入院して2回ほど化学療法を行いました。当時、最寄りのCAR T細胞療法の治療施設は隣の県の大学病院だったため紹介を受け、まずは適応があるか確認するため日帰りでその病院を受診しました。これまでの治療内容や今の状態は主治医の先生が引継ぎをしてくださっていて、CAR T治療施設の先生も丁寧に説明してくださったのでまったく心配はありませんでした。

そして、9月に入ってからCAR T細胞を作るための原料となる私自身の白血球を採取する(白血球アフェレーシス)ために、2泊3日の入院をしました。私の場合は、脚の付け根の血管からT細胞を採取しました。2~3時間ほどベッドに横になっていたのですが、特に痛みや気分が悪くなることもなくいつの間にか寝てしまっている間に完了していました。

取り出したT細胞は専門製造施設に送られて、数週間かけてCAR T細胞が製造されました。その後、CAR T細胞を投与するために再度CAR T治療施設に入院しました。このときの入院は3週間ほどだったと思います。CAR T細胞は点滴で体に戻したのですが、 3時間程度の点滴で痛みなどはありませんでした。2~3日後から発熱して一時は40℃ほどまであがり、平熱に戻るまで1週間ほどかかったと思います。熱が高かった間は少し食欲が低下しましたが「事前に説明を受けていたし、入院しているので大丈夫だろう」とゆっくり過ごしていました。

当時は新型コロナウイルス感染症の影響で面会が制限されていたので、家族に会えない寂しさはありました。そのため、何度か泣きながら妻に電話をしたことがありましたね。病気や治療に対する不安は特になかったのですが、普段自宅で子どもたちとにぎやかに過ごしているので、ひとり静かな病院で過ごしているギャップに気持ちがついていかなかったように思います。

MN

再発が分かったときは転職が決まっていたため、治療のため入社を待ってもらっていた会社で、2024年1月から働き始めました。CAR T細胞を投与してから1年ほどは感染症予防の薬を飲んでいましたが、定期通院の間隔も少しずつ長くなっています。

今は、よくも悪くも病気になる前とまったく同じ感覚で日々を過ごしています。残業もしますし、お酒も飲みます。週1回の友人とのソフトバレーや、休日に炎天下で子どもの少年野球に付き合うこともあります。自宅のすぐそばは海なので夕食のおかずに魚を釣りに行くのも楽しい時間です。

普段はあまり意識しませんが、このような生活ができることは実はすごくありがたいのかなと、最近思っています。

私の場合、CAR T細胞療法でかかった費用は、加入していた民間医療保険の先進医療特約の対象となったため、ほぼ全額が給付されました。病気が発覚する数年前に契約内容を変更していたのは、本当に幸運だったと思います。

実は私が病気で大変だった数年間は、子どもの高校受験の時期と重なっていました。野球の伝統校への進学を希望しており、子どもは経済的な負担を心配していたようです。しかし、家計をまかせている妻と話し合い、希望どおりの進路に進みました。治療中に私だけでなく、子どもの進路も支え守ってくれた妻には感謝しています。今年は残念ながら甲子園出場はかなわなかったのですが、来年に期待したいと思っています。

写真:PIXTA
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私が住んでいる地域は、近所の人同士がみんな顔見知りです。私が病気になったことを知っている人も多いので、会うとみんな「最近調子はどう?」と気遣ってくれます。でも本当に元気なので、そのように聞いてもらうのは申し訳ないような気持ちになってしまいます。

悪性リンパ腫と診断されたり、再発が分かったりしたときはショックを受ける方も多いと思います。それでも、私のように再発しても病気になる前と同じような生活ができている人がいるという事実が、少しでも同じ病気の方やご家族の参考になればうれしいです。

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