実をいうと、私は貪欲に医師を志していたわけではありません。漠然とした医師という職業への興味、そして周囲に医学部を目指す友人が多かったことなどが進路に影響したように思います。
そんな私でしたが無事に医学部に合格。入学後はボート部に入りました。ボート部では先輩と後輩の結びつきが強く、いろんなお話を聞く機会がありました。患者さんを思いやる心や学問としての医学に対する情熱を語る先輩を目の当たりにしたとき、私は「医学部にきてよかった」と心から感じたものです。ボートは非常にハードなスポーツです。しかし体力をつけたり、人間性を養ったりと普段の学生生活ではできないような訓練になっていたと思います。
医学部で勉強するうちに、いつしか救急や集中治療に憧れるようになった私は、あるとき東京大学の救急部(当時)を見学しに行きました。そこで「まずは基本診療科で専門性を確立したほうがいいよ」というアドバイスとともに、アメリカ留学から帰ってきたばかりで当時まだ38歳だった、帝京大学附属市原病院(当時)麻酔科の森田茂穂教授のことを教えてもらいました。偶然にも、ペインクリニックを志望していた同級生の北原雅樹先生が森田先生のところでの研修を決めていたので、紹介してもらいました。
こうして私は運命的に、恩師である森田先生との出会いを果たします。森田先生はとても面倒見がよく、「この人についていきたい!」と感じた私はあっさりと入局を決定しました。当時はほとんどの医学生が出身大学に残る時代でしたから、私は極めて特殊なケースだったといえます。
森田先生は「人生は一度しかないのだから好きなことをやれ」という方針で、医局員はさまざまなことに自由にチャレンジできる環境でした。なかには、弁護士になったりMBAを取得したり、今はやりのデータサイエンスの勉強をしたりする先生もいたのです。
そのようななか、ある日、森田先生に「アメリカにレジデントとして留学する気はないか」と声をかけられました。詳しく伺うと、先生が留学されていたハーバード大学麻酔科のチェアマンである“Dr.Kitz”と会ってみないかという話でした。さらに、もしインタビューに合格すればマサチューセッツ総合病院(MGH)に採用してもらえると知り、私は英語でのインタビューを受けました。
その結果、なんと合格。あとから聞いた話では倍率は約20倍だったというから驚きです。
私のような英語が苦手な日本人がなぜ選ばれたのか不思議で信じられませんでしたが、どうやらKitz先生はハーバードスピリッツを全世界に広めたいという思いから諸外国の医師を積極的に集めていたようです。また、森田先生とKitz先生は親友だったこともあり、森田先生の推薦する人物なら、と採用が決まりました。(要するに裏口ですね!)
こうして大学卒業2年後の秋にボストンのMGHに麻酔科レジデントとして入職しました。MGHには上級医の先生がつきっきりで指導してくださるプリセプター制度のようなものがあります。ここで私はGreg Crosby先生というメンターに出会いました。Gregには研究の面白さを教えてもらっただけでなく、家に招待してもらったりスキーに連れて行ってもらったりと随分可愛がっていただいたのを覚えています。
麻酔科のレジデントを務めた後はICUを学びながらGregのラボで研究もし、約5年間、とても充実した留学生活を送りました。
ご縁があって横浜市立大学にやってきた私は、現在麻酔科学教室の教授を務めています。
組織を率いる立場として大きな課題に当たって悩む瞬間もありますが、そんなとき、自然と「恩師ならどうするだろうか」と考えている自分を発見し、恩師の影響力の大きさを感じます。森田先生のように「みなが公平に、興味のあることにチャレンジできる環境をつくる」というのも私が心がけていることの一つです。
さらに、医局員には自分の家庭を大切にし、女性だけでなく男性であっても積極的に子育てに参加してほしいと考えています。これは私自身が子育てを経験して、家族の存在が仕事の大きな原動力になるのを実感したからです。
「やりがいを感じる」「働きやすい」という2つの軸を大切にしながら、日本の医療に貢献できるような医局運営を目指しています。
医局のなかには、臨床や研究で私よりも秀でている先生がたくさんいますし、若い先生は成長が早く、新しい知識や技術をすぐに身につけます。リーダーは自分より優れた後進を育てて世に送り出すのが使命ですから喜ばしいことですが、彼らに私がリーダーとして必要とされ続けるには、自らをどう成長させるべきかを日々自問自答しています。
現在の病院長というポジションを打診されたときも、これによって医局員を含む次世代のために何か貢献できるならという思いでお引き受けしました。病院長になると、臨床医学や研究の指導の時間は減ってしまいますが、その代わり、以前から興味のあった医療経営や医療政策を学びかつ実践し、急速に変化する日本の医療の中で、麻酔科が他の医療職や診療科と協働して社会に貢献するにはどうすればよいかを、医局員たちに示したいと考えています。尊敬される麻酔科とはどうあるべきかを理解することは、麻酔科医たちが誇りをもって働き続けるための基本であると思います。
医局員たちの急速な成長をサポートし続けるために自分も成長し続ける―教授・病院長という立場に甘んじることなく、いくつになっても貪欲に追求していきたいです。
自分の家族が入院したとき、医師に対してすがるような思いになるのを実感しました。
「医師という職業はこんなにも頼られているのか…私も患者さんのつらさや心細さに寄り添う医師でなくてはならないな」と身に染みて感じたものです。
特に麻酔科の医師というのは、手術を受ける患者さんの恐怖心や苦しみに寄り添う存在です。
私が大学のオープンキャンパスで講演を行った際に、参加していた高校生の親御さんから手紙をいただいたことがあります。その方の息子さんは小学生のときに非常に困難な手術を受けられたとのことでした。そしてその手術で麻酔を担当したのが私だったのを覚えておられ、わざわざ手紙をくださったのです。
「息子が一番苦しかった時期に寄り添ってくださりありがとうございました」
医師をやっていてよかったと思った瞬間でした。
自分の仕事が、誰かの支えとなり、ひいては誰かの人生をよくすることができるのであれば、これほど嬉しいことはありません。
「生まれ変わっても医師になりたい」
私は胸を張ってこう言えます。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
横浜市立大学附属病院
横浜市立大学 小児科学教室(発生成育小児医療学) 教授
伊藤 秀一 先生
横浜市立大学 形成外科学 教授
前川 二郎 先生
横浜市立大学 保健管理センター教授・センター長
小田原 俊成 先生
横浜市立大学大学院 医学研究科がん総合医科学主任教授、横浜市立大学附属病院 臨床腫瘍科・乳腺外科 部長
市川 靖史 先生
横浜市立大学医学部 医学教育学主任教授
稲森 正彦 先生
大船中央病院 泌尿器科 医員、横浜市立大学 医学部 泌尿器科学 客員研究員
山中 弘行 先生
横浜市立大学附属病院 がんゲノム診断科
加藤 真吾 先生
横浜市立大学 消化器・腫瘍外科学
石部 敦士 先生
横浜市立大学附属病院 消化器・肝移植外科
秋山 浩利 先生
横浜市立大学 大学院 医学研究科 消化器・腫瘍外科学 教授
遠藤 格 先生
横浜市立大学 大学院 医学部 医学研究科 眼科学教室 准教授
西出 忠之 先生
公立大学法人 横浜市立大学 がん総合医科学 、横浜市立大学附属病院 臨床腫瘍科 准教授
小林 規俊 先生
横浜市立大学附属病院 脳神経外科 主任教授
山本 哲哉 先生
横浜市立大学 リハビリテーション科学教室 主任教授
中村 健 先生
横浜市立大学 大学院医学研究科 顎顔面口腔機能制御学 准教授
光藤 健司 先生
横浜市立大学附属病院 一般外科 診療教授
利野 靖 先生
横浜市立脳卒中・神経脊椎センター 血管内治療センター長/脳血管内治療科担当部長
中居 康展 先生
横浜市立大学大学院医学研究科 神経内科学・脳卒中医学 主任教授、横浜市立大学附属病院 脳神経内科・脳卒中科 部長
田中 章景 先生
公立大学法人 横浜市立大学 医学部 循環器・腎臓・高血圧内科学 主任教授、横浜市立大学附属病院 副病院長
田村 功一 先生
横浜市立大学附属病院 小児科 助教
魚住 梓 先生
横浜市立大学 総合診療医学 准教授
日下部 明彦 先生
横浜市立大学 学長、横浜市立大学 医学部皮膚科教授、横浜市立大学 大学院医学研究科環境免疫病態皮膚科学教授
相原 道子 先生
横浜市立大学附属病院 元児童精神科診療部長/准教授、開花館クリニック 副院長
竹内 直樹 先生
横浜市立大学医学部 医学教育学 講師
飯田 洋 先生
横浜市立大学医学部産婦人科学教室 主任教授
宮城 悦子 先生
横浜市立大学附属病院 集中治療部 部長
髙木 俊介 先生
横浜市立大学 放射線科 指導診療医
高野 祥子 先生
「受診について相談する」とは?
まずはメディカルノートよりお客様にご連絡します。
現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。