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「わからない」ことこそが精神医学の面白さです

DOCTOR’S
STORIES

「わからない」ことこそが精神医学の面白さです

わからないこと・わかることの意味を探究する村井俊哉先生のストーリー

京都大学医学研究科 脳病態生理学講座 精神医学教室 教授
村井 俊哉 先生

混沌としていて、わからない感じが面白い

両親が心理学者であったためか、物心ついたときから私自身も「人のこころ」について、何とはなしにですが興味を感じていました。医学部在籍時に神経内科や皮膚科など、さまざまな診療科を見学しましたが、今一つ肌に合うものがなく、最終的に残ったのが精神科でした。当時の精神医学は、当時まだ学生の私が言うのも上から目線な話ですが、まだまだ発展途上段階にみえました。診療のあり方も組織としての医局も、何もかもが混沌としていて、わからないことばかりでした。しかし私には、この「わからない感覚」が面白く、精神科に進むことに決めました。

私が医学部を卒業した時期(1991年頃)は、(私の周りだけかもしれませんが)精神科医とは普通の医師になれない・あるいはなりたくない者が選ぶ特殊な進路というイメージがありました。少なくとも、優秀な学生がこぞって希望する人気診療科というイメージはありませんでした。

ところが私の父は、「精神科は面白いと思うよ」と背中を押してくれたのです。このときの父の言葉がなければ、私が精神科医として今ここにいることはなかったかもしれません。

神経心理学との出会い

今でこそMRIによる脳画像の研究など自然科学的なアプローチを専門にしていますが、精神科医になったばかりの頃は、当時神経症(今日の診断分類では不安症、強迫症などに相当)と呼ばれていた患者さんたちに対して、心理療法・カウンセリングを行う精神科医になりたいと、ぼんやりと考えていました。

精神科医になって3年目のことです。教室出身の大先輩が京都から関東に転勤することになりました。余程、適任がいなかったのでしょう、まだ駆け出しもいいところの私がその先生の神経心理専門外来を引き継ぐことになりました。

神経心理学とは、神経症のカウンセリングとはむしろ対極のような専門分野です。脳卒中や頭部外傷によって脳に傷を負った患者さんの脳損傷部位を脳画像で確認し、そして患者さんの精神症状や行動を詳しく聴取し、脳損傷部位と臨床症状の関連を詳細に検討していくのです。膨大な知識が必要な専門領域でしたし、しかも医師になってせいぜい3年目の私の役割が、私より臨床経験がはるかに豊富な神経内科医などからのコンサルテーションに答える立場でしたから、とにかく勉強するしか逃げ道はなかったのです。代表的な教科書は金に糸目を付けず自費で次々に購入して読みましたし、今から考えるとこの時期は実によく勉強しました。必要に迫られての勉強は一番身につくものです。

今は、恥ずかしながらあまり勉強しなくなってしまいましたが、このとき学んだことや経験したことは、20年以上経った今の私の臨床や研究にもおおいに役立っています。

神経画像研究の立ち上げ

このように医師になって最初の7年ほどは、一般精神医学に加え神経心理学を臨床実践から学んだわけですが、そのあと、ご縁をいただきドイツのライプチヒに留学しました。

ライプチヒは、ドイツでも旧東ドイツに含まれるので、当時(1998~2001年)は政治・経済はもとより文化や価値観の流動期でした。好奇心の強い私にとって、日本人留学生もほとんどいなかったこの街で人生の一時期を過ごせたことは、自らの大きな財産となっています。

私を受け入れてくれたのはマックスプランク認知神経科学研究所という、立ち上がって日の浅い研究所でした。センター長はもともと神経心理学が専門の神経内科医でしたが、彼がこの巨大な研究所のセンター長になってからは、狭い意味での神経心理学に限ることなく、先端的な神経画像研究を推進する研究所のマネージメント業務に注力しておられました。ほとんど我流の短い研究歴を経て留学した私にとっては、研究所で目にすることのスケールが何事につけても大きすぎて目を白黒させるばかりでしたが、この経験が帰国後生かされることになりました。

帰国後、出身大学に教官として採用していただきましたが、当時の京都大学精神医学教室は、研究活動そのものがほぼストップしている状態でした(だからこそ私自身も留学前の研究を、学外の病院の専門外来での経験症例をもとに行ったのです)。しかし、当時、面白い研究がしたいという若手医師(私も当時は結構若かったですが、さらにもう少し若い医師)が少しずつ集まってくれるようになりました。それまで研究といえばほぼ1人で行ってきた私も、チームで行う研究の重要性と面白さを感じることになりました。そこから始まったのが、当教室の現在の主力である神経画像研究です。指導する側もされる側も若く、無駄なエネルギーがみなぎっており、互いに何の気兼ねもなく研究のこともそれ以外のトリビアルなことも深夜まで議論した日々が懐かしく思い起こされます。

わかる・わからない、を考える「精神医学の哲学」の面白さ

もともと「わからない」ことの多さに魅力を感じて目指した精神医学ですが、精神科医として長年、臨床や研究をしていると、精神医学には未知の部分が予想していた以上に多いことを思い知らされます。なぜ精神医学では、他の医学の領域と比べてわかっていることが限られていて、わからないことが非常に多いのでしょうか。

そもそも「わかる」と「わからない」の境界さえ、よく考えてみると曖昧です。では、こうした混沌のなかで、精神医学における「わかる」「わからない」を何らかのかたちで仕分けする言葉を持てた精神科医は過去にいたでしょうか。

私は、職業人生も人生全般も偶然で一期一会の出会いや発見の積み重ねのように感じていますので、自分の職業において長期的な意味での野望・野心を表明することがほとんどありません。しかし、ひとつだけでいいから私の職業人生における野望を述べよ、と迫られたとすれば、「『わかる』『わからない』を仕分けする言葉を持てるようになること」というのがその答えとなるでしょう。

おそらくは普通の科学者の野望は、この世界において「わかる」ことを増やしていくことにあるでしょう。一方で懐疑主義者の野望は、結局のところ何も「わからない」のだということで、「わかる」ことへの野望を持つ人たちへ水を差すところにあるでしょう。

私自身は健全な科学者と同様に「わかる」ことにも興味があります。しかし、それ以上に「わからない」ことに興味があるのです。ただし「わからない」ことへの興味は、懐疑主義者や神秘主義者のように「わからない」ことを褒め称えるような態度ではありません。むしろ、本当に「わからない」ことについてはそれがどんな努力や工夫をしても原理的に「わからない」ものであることを明確にし、「なぜ『わからない』のか『わかる』ようにする」ことにこそ、私の野望の核心があるのです。

そして、精神医学という私の専門領域は、こうした私の禅問答のような情熱を注ぐうえで非常に適した領域であると感じています。何しろ「わからない」ことが多すぎますので。

こうした私の関心は、「精神医学の哲学」というマイナーな学問が扱うテーマのひとつです。

精神医学にはこの「わかる」「わからない」問題以外にも、哲学的な側面が多く含まれています。

たとえば、健康と病気の線引きはどのようにして決めるのがよいのでしょうか?

道徳的な意味での「悪」と精神疾患の線引きはどのようにして決めることができるのでしょうか?

このように、我々が臨床現場で何気なく使っている様々な言葉の意味をクリアにしていくことが「精神医学の哲学」の目標であるといえます。

誤解のないように補足しますと、私自身こうした、雲をつかむような問題について考えているのは、私の「ワーク」の時間のうちのせいぜい10%程度です。私の「ワーク」の時間のうちほとんどの時間は、担当する患者さんの具体的な治療のことや、研究・教育の具体的な課題に費やしています。そういう意味で、「なぜ『わからない』のかを『わかる』ようにしたい」などといった私の奇妙な野望は、私にとって仕事というよりもむしろ趣味の部分といえるでしょう。趣味だからこそ、結論の出ないようなこうした問いを、楽しんで考え続けることができるのかもしれませんが。

労働と余暇の境目を抹消する

学生時代、いわゆる「バックパッカー」として各国を放浪していた私は、今でも自分の足を使って歩くことが好きです。気象条件や持ち時間次第で、本格的な登山をする、山城探検をする、普通の史跡巡りをする、などバリエーションを付けています。

どこにいく場合も行先を入念に検討することは少なく、むしろ無計画に強引に進んで、遭難しない程度に道に迷うくらいが私にとって最も充実した時間となります。休日でも仕事は次々入ってきますから、名もなき山の中腹でメールを発信したりすることもたびたびありますし、ローカル線の旅では、国土地理院のweb地図を拡大したり縮小したりしながら車窓風景を堪能するか、残った仕事を終わらせるか、二者択一で悩むこともしょっちゅうです。

先程述べたように私自身は野望や野心は持たないタイプの人間ですが、今度は私自分の人生そのものにおける野望を1つ述べるとすれば、それは「すべてをシームレスにしたい」というものです(半ば冗談ですが)。職業人生における私の野望が「わかる」「わからない」の境界をはっきりさせるということですから、人生全般に関する私の野望はそれとは反対方向のものということになります。

まずは、手始めに仕事と余暇をシームレスにしたい。だから移動中も休憩中も、基本的に仕事は止めませんし、仕事に履いていく靴で(遭難しないためのぎりぎりの装備は持ちながら)そのまま山に登り、山城散策に使ったリュックサックで(仕事先に失礼にならないぎりぎりの範囲の格好に整えて)仕事に向かいます。

そして、講演の機会が与えられれば、そこで話す内容は専門的な内容なのか一般的な内容なのか判別がつかないものが多数を占めます。眠くなれば(職務規定に違反せず仕事に支障のない範囲で)昼にでも寝ますし、眠くなければ深夜でも眠りません。通勤時間、食事時間という固定した時間もありませんし、通勤中、食事中も何かほかのことをしています。最終的には睡眠・覚醒を含めてすべての垣根を取り払い、「ワーク・ライフ・バランス」や「オン・オフの切り替え」といった概念さえ葬り去ってみたいのです。繰り返しになりますが、これは半ば、いや9割方、冗談です。ただ1割程度は本気です。

こうした私の考えを奇妙に思う方もいらっしゃるかもしれませんが(というか普通、変だと思うでしょうけれども)、一度きりの人生ですので、既成の価値観に追い立てられて四苦八苦・右往左往するよりも、自分らしいユニークなライフスタイルで人生を生ききることができればよいなと思っています。もちろん、この価値観はあくまでマイ価値観で、周囲に迷惑をかけない範囲で私が勝手にやっていることです。そもそもこうした生き方はやってみるとわかりますが、そんなに簡単なことではありません。現代日本の標準的な倫理観とは相いれませんので。

ですので、皆さんに同じようにあってほしいと思っているわけではありません。

しかし、人間の平均寿命が100歳に達する時代が近づき、そう遠くない将来には定年前の人生と定年後の余生という境界さえシームレスになるでしょうし、産業のIT化によって、労働と余暇の時間という区別もますます曖昧になっていくでしょう。現在の社会制度や規範とぶつかることが多い私自身の価値観も、案外、時代の先端にあるのかもしれません。

最後に(長くなるのでここではその根拠を披露しませんが)、私のこうした奇妙な価値観は、(狙ってそうしているわけではないのですが偶然にも)私がたまたま選んだ職業である精神科医に課せられた社会的使命とも整合性がとれていると思っているのです。

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