日本対がん協会の会長を務める垣添忠生先生は、ご自身が2度のがんを経験したがんサバイバーであり、また、最愛の奥様をがんで亡くされた患者遺族でもあります。40年以上にわたり、がんのあらゆる側面に向き合ってきた垣添先生は今、日本対がん協会の会長として、国と相補完するがん対策を推し進めています。本記事では、日本の医療費がパンク寸前ともいわれるなかで、がん検診やがんサバイバーの支援をどのように行っていくべきか、垣添先生にお話しいただきました。
高齢化が進むわが国では、75歳以上の高齢がん患者が急速に増加しています。欧米では国の行うがん検診の対象者は、大体60歳くらいの方までとされていますが、日本では検診に上限は存在しません。極論を言えば、100歳の方でも検診を受けられるのです。
私は診療の現場を離れた現在でも、月に1度、合計4家族とのがんの面接相談を行っていますが、がんと診断された患者さんは、その年齢にかかわらず強く治療を希望されるものです。
がんが早期に発見された場合は、高齢の患者さんであってもかなりの治療が可能です。しかし、進行がんの治療は難しく、特に抗がん剤を用いる場合には、患者さんにかかる身体的負担も大きく増えてしまいます。
更に、高齢者の方のがん治療を考える際には、国の医療費負担についても考えねばなりません。社会保障費がこのまま増大を続けると、医療費がますます増えるとなると、国の財政はパンクしてしまうでしょう。
2016年4月、日本対がん協会では「がん検診研究部」という組織を本部に立ち上げました。今年は、高齢者のがん検診の在り方について議論が交わされており、検診の「リスク層別化」も重要な論点のひとつです。
国が行う従来のがん検診の目的は、がんで亡くなる人を減らすというものでした。しかし、70歳や80歳を超えた方に対し、延命を目的として検診を行うことは、適切とはいえません。
高齢者のがん検診の目的は「QOL(生活の質)の維持」とし、何らかのスクリーニングを行ったうえで、がんを発症するリスクの高い方のみに対象を絞り、有料で実施するというのが、私の考えです。たとえば胃がん検診は、ピロリ菌に感染しており、ペプシノーゲン(PG)濃度に異常がある人を対象とするといった考え方です。
国の財政基盤が揺らいでいる中で、増える高齢者のがんをどのようにして早期発見するか、それを研究することも、私たち日本対がん協会の重要な責務のひとつと考えています。
乳がんや子宮頸がんは若い世代に好発するがんです。これらのがんの検診も、時代と技術の進歩に応じて見直していく必要があります。
子宮頸がんの検診は、これまで20歳以上を対象とした細胞診が主流でしたが、近年、細胞診にHPV(ヒトパピローマウイルス)のDNA検査を加えた併用検診を行うことで、検査の精度が格段に上がるという報告がなされ、専門家たちの注目を集めています。
HPV-DNAの解析は、細胞診で採取した検体の残りを使用できるため効率的です。たとえば、細胞診でもDNA検査でも陰性を示した低リスクの方の検診頻度は、3年に1度程度としてもよいでしょう。
逆に、どちらも陽性反応を示した場合は、すぐに確定診断のための検査を受けるよう指示します。このように、その方のリスクごとに検査頻度を定めていくことも、効率のよい検診を実現するために重要です。
乳がんの患者数は約3万3千人にものぼり、原因はわからないものの増加傾向をみせています。また、最近では芸能人の方が発症されたことで報道も過熱し、乳がん対策に関する国民の注目度は高まっています。しかし、メディアでしばしば叫ばれる、「若い人にもマンモグラフィ検査を行うべき」といった意見は、検査の有効性とリスクを考慮すると、肯定できるものではありません。
マンモグラフィ検査とは、乳腺・乳房専用のX線検査であり、乳腺にできる非常に微細な白い石灰化を描出するものです。石灰化がみつかった場合は、更なる精密検査をし、それががんでないかどうかを確かめます。
ところが、若い方は乳腺濃度が高く、乳房内全体が白い状態の画像しか得られません。つまり、白い小さな石灰化があったとしても、それは「雪原の中の白うさぎ」を探すようなものであり、みつけること難しくなるのです。
結果として、がんの発見には繋がらないまま、放射線の被ばく量のみが増えていってしまうため、若い方に対するマンモグラフィ検査単独の検診は、国際的にも推奨されていません。昨今の乳がん検診に関する報道からは、検診のリスクという側面が抜け落ちているように感じます。
では、若年女性の乳がんを早期発見するためには、どのような検診を行うのがよいのでしょうか。
2015年、東北大学の大内憲明教授らの研究チームが、40歳代の女性を対象として、大規模なランダム化比較試験を行いました。この結果、マンモグラフィ検査のみを受けた群に比べ、「マンモグラフィ検査と超音波検査を併せた検診」を受けた群の乳がんの発見率は、約1.5倍高くなったとの報告がなされ、若い方の乳がん検診にも希望の光が見え始めています。
ただし、がんとは発見できればよいというわけではありません。真に有効かどうか、つまり本当に死亡率が低下するかどうかを判断するには、もう数年待つ必要があります。
数年後、マンモグラフィと超音波の併用検診が、若い方の乳がんに対し有効だと証明されれば、国の検診ガイドラインにも大きな改訂が加わることでしょう。具体的には、若年層はマンモグラフィ+超音波の併用検診、一定の基準年齢以上の方はマンモグラフィ単独の検診を受けることとなる可能性があるのです。
検診とは健康な人に介入する行為ですので、非常に精密な、特殊な配慮が必要とされます。
「がん」は、一括りにして語ることはできない多様性を有しています。たとえば胃がんなどは、悪性度とステージによって、「別の病気」といえるほどの差が生じます。そのため、「おとなしいがん」の過剰診断・過剰治療には注意が必要です。
進行速度が遅いがんの代表には、前立腺がんがあります。前立腺がんのうち約3割は、極めてゆっくりと増殖するため、高齢で発症した場合には、治療をせずとも健康な状態で天寿を全うされる方も多くいらっしゃいます。
しかし、近年ではPSA検診により発見される前立腺がんが増え、過剰な治療による尿漏れや性機能障害などの合併症も増加しています。これもまた、検診のネガティブな面といえます。
そのため、世界では今、PSA検診は「インフォームド・ディシジョン」により、希望者を絞り込んで行ったほうがよい、という考え方が主流となり始めています。インフォームド・ディシジョンとは、医療者から十分な説明を受けたうえで、患者さん自身が検診を受けるか否かの意思決定を行うことです。また、アメリカでは、前立腺がんと診断した場合でも、がんが非常におとなしいものであれば経過観察を行うことが増えています。
なんらかの病気を患っている方は、症状があり、医療機関を受診します。しかし、検診とは症状のない健康な方に介入し、オーバートリートメント(介入しすぎの治療)を引き起こすこともある医療行為です。せひ、医療者だけでなく一般の皆さんにも、検診のメリットとデメリット、双方の面を知っていただければと考えます。
医療の進歩に伴い、がんは不治の病ではなくなりました。現在治療中の人、がんを克服した人、そのご家族や友人といった人たちを含めて「がんサバイバー」と呼び、がん患者を孤立させない支援活動が広がりつつあります。がんサバイバーの数は少なくとも700万人にのぼるといわれています。私自身も、大腸がんと腎がん、二つのがんを経験しており、どちらも手術で治しています。
しかし、がんが治る時代になったことで、新たな問題も生じています。若い方の場合は就労に関する問題がありますし、高齢者の場合、高齢単独世帯や老々介護の世帯など、がんの治療後も手助けが必要な世帯が増えています。その一方で、日本では人口減がはじまっており、労働人口の不足により行政サービスが十分に行き届かない市町村も出てきています。おそらくそう遠くない未来に、国の力だけでは全てのがんサバイバーの支援をできないという状況に、日本は陥ってしまうことでしょう。
この問題を解消するために、現在日本対がん協会では、「がんサバイバーズクラブ」の立ち上げ準備を行っています。がんサバイバーズクラブとは、国が支援を行えない分、関係者(がんサバイバーやその家族)同士で助け合おうという、「共助共生」をモットーとした民間活動です。先にがんサバイバーの方は日本に700万人ほどいると述べましたが、これからがんになる可能性がある人は無限に存在します。また、がんの患者さんにはご家族、友人、同僚など、様々なつながりがあります。
サバイバーズクラブに関心を持ってくださる方が、仮に1000万人いるとして、そのうち1割(100万人)の方が会員になってもよいと考えてくだされば、これは非常に大きな国民運動となります。たとえば会費を500円~1000円に設定したとして、会員が100万人に達すれば、がんに関する情報提供はもちろん、がんの基礎研究から治療、サバイバーの支援まで、様々な活動を行うことができます。
上記は非常に遠大な目標ですが、まずは来年2017年初夏の立ち上げに向け、日本対がん協会は一丸となり、力を注いでいるところです。
ここまでに、がん検診やがんサバイバーのサポートに焦点を当て、今後のがん対策の在り方について述べました。最後にお話しするのは、先進国の中で大きく遅れをとっている我が国のたばこ問題についてです。
現在、アメリカのメイヨー・クリニックから、日本対がん協会と組んでたばこ対策を実施したいという声があり、計画が進められています。具体的な対策は全国の専門家の協力を得て、窓口を対がん協会が務めるという形で、2020年の東京オリンピックまでに受動喫煙をゼロにできるよう施策を講じていく予定です。
日本ではいまだ飲食店などでの喫煙も許容されており、非喫煙者のお客はもちろん、たばこの煙の中で勤務する若い従業員への十分な配慮もなされていません。専門家や行政職員が集まる対策委員会でも、いまだ「たばこの害は科学的に証明されていない」と発言する方がいるほど、日本の喫煙に関する意識は低いものなのです。こういった意識改革のためにも、東京オリンピックは非常によい機会であると考えます。
直近の開催地であるリオデジャネイロなど、これまでのオリンピック開催国や都市で、法的拘束力をもったたばこ対策が行われてきました。日本も今こそ受動喫煙問題に正面から向き合い、対策を講じねばなりません。また、そのためには我々日本対がん協会の認知度を広め、活動を強化できるよう基盤を整えていく必要があります。
国は法律と予算に基づいてがん対策を進めますが、多少動きのにぶいところがあります。日本対がん協会のようにある程度自由に動くことができる民間団体がしっかりと手を組むこと、つまり、国と民間ががっちりと連携することによって、患者さんやご家族にとって真に有益な、「血の通ったがん対策」を実現できるものと考えます。
垣添 忠生先生の著作