熊本市中央区の熊本大学病院はJR熊本駅から車で10分ほどの距離にあり、県で唯一の特定機能病院として市内にとどまらず、県内の広い地域の医療ニーズに応えています。定評ある血液疾患の研究に加え、現在は院長の平井俊範先生のリーダーシップの下、先端医療に注力。ロボット支援下手術や画像下治療(IVR)、核医学治療などの低侵襲医療、さらにはがん細胞のゲノム解析に基づく分子標的薬治療、光免疫療法など、最新の治療にも積極的です。平井 俊範先生にお話を伺いました。
当院の歴史は、今から約270年前の江戸中期、細川藩6代藩主の細川重賢公が設立した再春館という藩校に始まりました。明治に入ると官立医学校に生まれ変わり、かの北里柴三郎博士が18歳の時に入学してオランダ人医師マンスフェルト先生の指導を受けたことでも有名です。博士が医学の勉強にいそしんだ頃は熊本城のすぐそば、現在の県立第一高校の場所にありましたが、後に現住所に移転し、熊本大学直轄の病院として今日を迎えています。
当院の昔からの強みは、血液疾患の研究において世界的に見ても高いレベルを保っていることです。中でも、成人T細胞白血病の原因ウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルス1型の発見者である高月 清先生と、世界初のエイズ治療薬AZTを開発した満屋 裕明先生のお2人は、その功績によって国際的な評価と知名度を獲得しています。
他方、現在の当院が多くの診療科において取り組んでいるのは、がん診療の質の向上です。2006年にがん診療連携拠点病院に指定されたのを受け、県のがん診療の中心的役割を果たすことや、質の高いがん医療を提供するため、院内にがん診療センター(現・がんセンター)を設置するなどして積極的に活動してきました。
がん治療においては、手術療法、放射線治療、薬物療法の3大療法を組み合わせた集学的治療に加え、新しい治療法にも積極的に取り組んでいます。当院のがん治療には、大きく3つの独自の強みがあります。
第一に挙げられるのは低侵襲治療(患者さんの体を傷つけることが少ない治療)で、当院は食道がんに対するダヴィンチによるロボット支援下手術の実績が全国大学病院のトップ10に入っています。次に、当院では患者さんのがん細胞をゲノム解析し、個々の患者さんに合わせた治療を行うプレジション・メディシンに注力しています。第三に患部に特殊の光を照射して、がん細胞だけを破壊する光免疫療法を県内で初めて導入し、頭頸部がんの治療に成功しました。
これらの取り組みにより、当院は手術療法、放射線治療、薬物療法の標準治療をはじめ、多様な治療オプションを患者さんに提供し、一人ひとりに最適な治療を実現するために尽力しています。今後も当院では新しいがん治療法を積極的に取り入れ、県下のがん医療を力強くけん引します。
当院は”IVR”と呼ばれる画像診断技術を応用した治療において、国内で見ても非常に高い水準にあると自負しています。IVRはX線透視像、CTや超音波像などによる画像診断技術を使い、カテーテルなどの専用のデバイスを用いて病気を治療するものです。手術に比べて患者さんに大きな負担をかけず、治療効果は手術に匹敵するとされており、当院では血管障害の治療やがん治療などでIVRを行っています。IVRは高度な技術が必要であることから、IVRの専門医や指導医が若手医師の育成を行なっており、それを通じてIVRがより多くの医療機関で普及することを目指しています。
さらにもう1つ、当院だけの強みではありませんが、“くまもとメディカルネットワーク”の役割にも触れておきたいと思います。これは病院や介護施設などさまざまな医療施設の垣根を越え、患者さんの同意のもとにカルテや画像などの情報をITによって共有するしくみであり、登録者数はおよそ13万人に上ります。2020年夏の豪雨により人吉市で水害が起きた際、現地では診療所が水に浸かって患者さんのカルテを収めたPCもだめになりましたが、幸いメディカルネットワークにデータが残っていたため、薬の処方などさまざまな面で大いに役立ちました。現在、国が推進するマイナンバーカードと医療情報のひも付けを先取りしているシステムといえると思います。
熊本は少子高齢化が日本の平均値よりも進んでいる県の1つです。よって回復期医療の需要が大きいのですが、県下では急性期のベッド数が過剰であるのに対し、回復期のそれは少ないのが現状で、課題の1つとなっています。また、熊本県を2次医療圏の単位で見ると、熊本市と上益城郡のエリアに患者が集中していることを反映して、医師の約6割が熊本市内で仕事をしており、医療に関するサービスおよび人材の偏在も目下の課題といえます。
これらの課題に対し、当院では地域医療を支える観点から、県内各地への人材派遣を行っています。県の補助事業と連携し、各医局から阿蘇医療センターなど2次医療圏の基幹となる病院に向けて多くの医師らを派遣してきました。
今後の取り組みとして、2023年に設置した低侵襲医療トレーニングセンター、遠隔診療トレーニングセンターの充実を図っていきたいと考えています。低侵襲医療トレーニングセンターでは、最新のロボット手術シミュレータ、血管インタベーションシミュレータなどの機器を備え、低侵襲医療の発展と普及を図っていきます。
現在、特に医師不足が深刻な地域では、情報通信機器を活用した遠隔診療が注目を集めていますが、遠隔診療トレーニングセンターでは超聴診器などを用いた遠隔診療の研修プログラムを実施して、遠隔診療の質の向上を目指しています。
今後、多くの医学生や研修医、若手医師にも当センターのこれらの設備や研修プログラムを活用してもらい、将来の地域医療を担う人材育成につなげたいと考えています。
2022年に設置した看護職キャリア支援センターでは、当院と地域の基幹病院との間で看護師同士の人的交流を行っており、これは全国でも珍しい取り組みでしょう。特に、地域の看護師さんたちが当院で特定行為(看護師が診療の補助として、医師の指導の下で行うことが認められた行為)の研修を受けられるようになったことは、地域医療の充実を図る意味でメリットが大きいと思います。
また、2023年4月には、女性骨盤臓器脱診療センターを設置しました。その名の通り、骨盤の臓器脱を適正に治療するための院内機関であり、産婦人科と泌尿器科をまたいだ横断的な診療体制を敷いています。九州で初めて、大学病院としても初の試みで、今後の発展に期待がふくらみます。
地域の大学病院として総合的に医療を提供している当院ですが、とりわけ近年は先端医療に力を入れてきました。ロボット手術、IVR、放射線治療の一種である核医学治療、さらには免疫療法やプレシジョン・メディシンなどさまざまな治療法をそろえて、今後も一層の充実を図っていきます。
一方で、今年4月から働き方改革が始まり、研究に使える時間も短くなってきました。大学病院にとって研究は臨床や教育と並んで医療の大切な要素ですから、今後は統計やDXなどの分野で研究をサポートしてくれる人材の確保に努め、研究が遅滞することなく成果に結び付くように工夫を重ねて参ります。
このほかにも物価や人件費の高騰など病院経営上の難題はいくつもありますが、そんな中でも必要な設備投資を機動的に行えるように黒字化を図りつつ、地域医療に貢献する病院として発展を目指していきます。どうぞご期待ください。