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インタビュー

公開日 : 2015 年 04 月 13 日
更新日 : 2017 年 05 月 07 日

臨床こそが原点―小阪憲司先生がレビー小体病を発見するまで(記事1)

横浜市立大学医学部名誉教授 クリニック医庵センター南
小阪 憲司先生

小阪憲司先生は「レビー小体型認知症」という精神医学の歴史を塗り替える発見をした、日本が世界に誇る精神科医です。さらに小阪先生はレビー小体型認知症だけでなく、「石灰沈着を伴うびまん性神経原線維変化病」(小阪・柴山病)と「辺縁系神経原線維変化型認知症」を合わせ、3つの病気を発見しています。小阪先生はこれらの病気を、すべて自分が主治医をしていた患者さんから発見しました。「臨床こそが自分の原点」と語る小阪先生に、レビー小体型認知症を発見するまでについてを伺いました。

尊敬する先生の影響

私は学生時代を金沢大学で過ごしました。学生時代に所属していた部活動はバスケットボール部です。当時、バスケットボール部の顧問は、精神医学において有名な鳥園安雄教授でした。鳥園先生は実直で謙虚な方で、その影響で、私は医学生の頃からずっと、脳に関係する仕事をしたいと考えていました。

尊敬する鳥園先生には大学生活を通して大変お世話になりました。ところが、私が医学部6年生の時、その先生は東京の大学に移ってしまいました。そのような経緯もあり、また自分自身が三重県の伊勢市出身であったということもあり、1965年に金沢大学を卒業した後は小児精神科・精神病理学のメッカである名古屋大学神経科に入局し、無休副手としての生活が始まりました。当時は精神科という診療科はなく、神経科が今の精神科的な役割も、神経内科的な役割も果たしていました。

当時の大学病院は、今よりももっと、専門的な分野を深く扱う場所でした。そこで新たに興味を持ち、勉強を始めたのは神経病理です。神経病理を学んでいくうちに、脳の器質的な病気にも関心を持つようになりました。当時、一番初めに担当したのはアルツハイマー病の患者さんです。その後はピック病・パーキンソン病・ハンチントン病・ウィルソン病など、基本的な器質的疾患の患者さんを担当することで経験を積んでゆきました。

その中で、自分の受け持った患者さんの何人かが認知症であったことから、とりわけ認知症に関心を持つようになります。当時は日本語の教科書は全くなく、勉強するにも大変な状況でしたが、外国の本などを読んで、なんとか勉強しました。1960年代は認知症(当時は痴呆症と呼ばれていました)を専門に診ている人は少なく、ぼけと痴呆症との違いも曖昧な時代だったのです。

アルバイトをしていた病院での発見

私は大学病院の脳器質性精神障害の外来で、認知症の患者さんを診療していました。しかし当時、大学病院にくる認知症の患者さんは少なかったのです。その上当時の大学病院はほぼ無給で、大学病院に勤めながら、守山荘病院という精神科病院でのアルバイトで生計を立てなければなりませんでした。しかし結果としては、そのアルバイトをしていた病院が私の故郷のようになりました。私が見つけた3つの病気は全て、その病院で担当した患者さんから発見したものなのです。