記事1『精神医学から見る精神障害 精神障害はすべてが「病気」ではない』で、精神科は疾患とは呼べないものを扱うことがあることをご説明しました。それでは精神医学において疾患とは何を意味するのでしょうか。引き続き、聖マリアンナ医科大学神経精神科教授の古茶大樹先生にお話し頂きました。
「疾患」という言葉は、精神医学から生まれた言葉ではなく、身体医学から生まれたものです。その「疾患」の定義にもいろいろあるのですが、ここでは「健康とは明確に区別することのできる身体的な基盤があること」を疾患の定義としてみましょう。
ここでいう「身体的な基盤」とは「そこに疾患がある」と知覚的に把握できる、物理的・空間的に(つまり形而下に)「そこに疾患がある」と指摘できるようなものが確立しているということです。身体医学で取り扱うほとんどすべての疾患は、この定義が当てはまります。これを存在概念と呼んでおきます。
精神医学においても、存在概念が当てはまる精神障害はたくさんあります。アルツハイマー型認知症や全身性エリテマトーデス(SLE)、バセドウ病などはこれに当てはまります。覚せい剤や大麻などの中毒もまた、体内に「ある」ことが証明されれば良いわけですから、その精神障害は存在概念に基づいて「疾患」と呼ぶことができるわけです。
精神障害には疾患であるものと、疾患でないものとがあると、記事1『精神医学から見る精神障害 精神障害はすべてが「病気」ではない』でお話ししました。疾患であるものの全てが前項で述べた存在概念で説明できて、疾患でないものについては疾患と呼べるような身体的な基盤は存在しないというのであれば、話はすっきりするのですが、精神医学が非常に不思議なのは「内因性精神病」という領域があることです。
この領域は歴史的に、二つの類型に分けられてきました。それが統合失調症と躁うつ病です。ここでは統合失調症を取り上げましょう。
「統合失調症は疾患ですか」と問えば、どの医師も疾患だと答えるはずです。続いて「統合失調症が疾患である根拠・理由は何ですか」と問うと様々な答えが返ってきます。一般的には遺伝負因・薬物療法の有効性・軽微な解剖学的異常・機能画像診断上の異常などが挙げられそうです。
一つ一つは確かに、統合失調症に何らかの身体的基盤・脳器質異常があることを示唆するものですが、いずれも一部の症例には当てはまっても、他には当てはまらないというものばかりです。統合失調症と診断される患者さん全てに共通する身体的な指標は、これだけ探しても見つかっていないという紛れもない事実があります。
それでは統合失調症を疾患であるとする、共通的な根拠・理由はあるのでしょうか。
おそらく議論を尽くしてたどり着くのは、身体的基盤の存在を示唆するような断片のようなものではないでしょう。根拠や理由は、統合失調症の患者さんが経過の中で示す、いくつかの臨床症状そのものにあります。
例えば、思考伝播という症状があります。これは、自分が何かを考えた途端に、喋ってもいないのに周囲に自分の考えが伝わってしまう、何の理由もなく世界中に伝わり広がってしまうと感じる病的体験です。このような体験を、「恋人に振られてとても悲しい」というのと同じように、ありありと心に描き出すことは非常に困難です。そもそも通常の方は「喋っていないのに周りに伝わるなどということはありえない」と思うでしょう。健常者には存在しないと考えられている体験です。これを了解不能ともいいます。
シュナイダー(ドイツの精神医学研究家)は思考伝播の他にも、健常者には存在しない独特で形式的な異常を含むいくつかの症状を統合失調症に見出して、それを統合失調症の診断に重要な一級症状と呼びました。統合失調症を疾患であるとする共通の根拠は、臨床症状にみられる了解不能性にあるといえそうです。
ここまでの話をまとめると、精神医学においては二種類の疾患の定義が使われていることがわかります。
一つは身体医学において使われるのと同じ存在概念です。しかし、それだけでは精神医学における疾患を全て説明することができません。特に統合失調症を疾患であるとする根拠は、存在概念ではうまくいかないことがわかります。
そこで、存在概念では説明できない場合に限って、精神医学固有の了解不能性を疾患の定義として使っているわけです。ただし、この考え方は、ドイツ精神医学に基づく伝統的精神医学ではそのように捉えられていたと付け加えておかないといけません。了解不能性は自然科学的に証明できるものではありませんから、エビデンス(医学的な根拠)至上主義の現代精神医学においては採用されていません。
その結果、ICD-10においてもDSM-5(現在世界的に使用されている精神科疾患の診断基準)においても、精神医学における疾患の定義を棚上げにせざるをえなくなっている現状があります。
聖マリアンナ医科大学 神経精神科学 教授
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