インタビュー

産後うつにも影響する“鉄欠乏性貧血”――妊娠中から知っておきたい対処法とは

産後うつにも影響する“鉄欠乏性貧血”――妊娠中から知っておきたい対処法とは
髙橋 健 先生

国立研究開発法人国立成育医療研究センター 周産期・母性診療センター 産科医員、東京慈恵会医科大...

髙橋 健 先生

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妊娠中は出産に備えて血液量が増加することに加え、鉄の需要が増加するため、鉄欠乏性貧血になりやすい状態です。妊娠中に貧血になると、お母さんにも赤ちゃんにもよくない影響が及ぶ可能性があります。また、出産で出血が多かった方は産後も注意が必要です。また、産後の貧血は体のつらさだけでなく心の健康にも影響する可能性が指摘されています。

国立成育医療研究センター 周産期・母性診療センター 産科の髙橋 健(たかはし けん)先生に、妊娠中や産後に貧血が起こりやすい理由、鉄欠乏性貧血の診断や治療法についてお話を伺いました。

鉄欠乏性貧血とは、血液をつくる材料の鉄が足りないことによって起こる貧血です。“貧血”とは血液中のヘモグロビンが少ない状態で、基準としては男性は13g/dL未満ですが、女性は12g/dL未満、妊娠中は11g/dL未満の場合を指します1)。一方、“鉄欠乏”とは、体内の鉄の貯蔵状態を表す“フェリチン値”が15ng/mL未満が基準となります2)。また、血液中で実際に使用できる鉄の割合を表す“トランスフェリン飽和度”が16%以下の場合も鉄不足と考えられます3)

このような検査値はほかの病気や炎症があると、正しい値とならない可能性があるため、いくつかの検査を組み合わせて判断します。鉄欠乏性貧血を疑った場合は、“貧血の有無”と“鉄不足の有無”を併せて調べることが、正しい診断につながります。

妊娠中の貧血は、世界的に最も一般的な母体合併症の1つです。WHO(世界保健機関)は妊婦の約 38% が貧血を有すると推計しており、日本でも妊婦の約30% に貧血があると報告されています4)。なお、WHOでは妊婦の貧血をヘモグロビン値11.0 g/dL 未満と定義しており、重症度は軽度10.0~10.9 g/dL、中等度7.0~9.9 g/dL、重度7.0 g/dL未満と分類しています1)

妊娠中の貧血はさまざまな要因によって発症します。中でも最も一般的な原因は、妊娠中の“鉄欠乏”です。妊娠に伴って母体や胎児、胎盤における鉄の需要が著しく増加するため、体内で鉄の供給が追い付かなければ鉄欠乏性貧血をきたします5)

これは体が出産に備えて変化する仕組みが関係しています。妊娠すると胎児や胎盤への血液供給を維持するために、体内を循環する血液量は大きく増加します。赤血球などの血球を除いた血液の液体成分である“血漿”は約40~50%増えますが、赤血球量は約20~30%の増加にとどまるので、相対的に血液の濃度は低下します6-9)。その結果、赤血球中の血色素量である“ヘモグロビン値”や、血液中に占める赤血球の容積の割合を表す“ヘマトクリット値”は、妊娠する前よりも低くなります。

妊娠中に血液量が増加するのは、分娩時に予測される500~1,000 mL程度の出血に耐え、母体を守るための仕組みとも解釈されているのです6,7)

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写真:PIXTA

妊娠中に貧血になると、母体と胎児の双方に有害な影響を及ぼすことが知られています。母体においては疲労感や感染症リスクの上昇、さらに分娩時の出血に対する耐性の低下が報告されており10)、特に重度の貧血は母体死亡リスクを高めることが指摘されています。また胎児においては、早産率の上昇、低出生体重児の増加、発育不全などのリスクが高まることが示されています10-12)

妊娠中の貧血の多くは妊婦健診で行われる血液検査で発見されます。『産婦人科診療ガイドライン―産科編2023』では、特にリスクのない妊婦に対しては初診時~妊娠11週頃、24~35週頃、36週頃~出産までの少なくとも3回、血算*を含む血液検査を実施するよう推奨されています13)。また、疲労感、動悸、息切れ、頭痛めまいなどの症状がある場合には、貧血を疑って血液検査の追加を検討することもあります。

*血算:赤血球、白血球、血小板の数や大きさ、ヘモグロビン値、ヘマトクリット値などの測定。

先述のとおり、妊娠中は“生理的な貧血状態”になりますが、分娩後は少しずつ元の状態に回復します。ある研究では、出産後退院する際に平均30%ほどだったヘマトクリット値が、その約3週間後には38%前後まで上昇していました14)。分娩後、妊娠に伴う母体の生理的変化が妊娠前の状態に戻るまでの期間(産褥期)は4~6週間といわれており15)、ゆっくりと時間をかけて妊娠前の状態に戻っていくと考えられます。

分娩時に出血が多かった方は貧血のリスクが高くなるため、産後は十分な注意が必要です。分娩時の出血量が多いと判断する基準としては、経腟分娩で500mL、帝王切開で1,000 mLとされています13)

一般的に、産後4~6週頃に産褥健診が行われます。主な目的は、子宮の状態や悪露(おろ)の性状、出産による傷などの身体的な回復状況、産後うつなどの精神的な健康状態、授乳の状況などを確認することです。通常は問診や診察を中心に行いますが、分娩時に出血量が多かった、退院時に貧血症状があって回復の程度を確認したい、ふらつきなど貧血が疑われる症状があるといった場合には、血算を含む血液検査を行うこともあります。

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写真:PIXTA

産後に貧血があると、さまざまな負担が生じることが分かっています。強い疲労感、めまい、動悸、息切れなどが起こって、育児や授乳をとても大変に感じることがあるほか、免疫力が低下して風邪や感染症にかかりやすくなる方もいます16)。さらに、気持ちの落ち込みや集中力の低下とも関係があることが分かっており、また産後に貧血がある女性は産後うつになりやすいとの報告もあります17)。つまり、産後の貧血は体のつらさだけでなく心の健康にも影響する可能性があるのです。

産後の貧血は、大きく“症状があって気付く場合”と“検査で発見される場合”に分けられます。ただ、産後疲れやすい、授乳がつらいといった症状は、育児の大変さや睡眠不足のためと捉えられやすく、貧血のサインであるとは気付かれにくいことも事実です。

先述の貧血および鉄欠乏の基準値を下回った場合、鉄欠乏性貧血として治療が必要です。

『産婦人科診療ガイドライン―産科編2023』では、妊娠中の鉄欠乏性貧血に対しては鉄剤の投与が考慮されると記載されています。これは妊娠中の貧血は、母児共にリスクとなるためです。鉄剤投与開始の目安としては、妊娠初期と末期がヘモグロビン値11.0g/dL、妊娠中期が10.5g/dLとされています13)。国際産婦人科連合は、鉄欠乏性貧血の妊婦に対して1日あたり100~200mgの経口鉄剤の服用を推奨しており、経口鉄剤に反応しない貧血がある、副作用のため経口鉄剤を服用できないといった場合は、静注(注射用)鉄剤の使用を考慮するとしています18)

妊娠中の場合、経口による鉄剤投与が基本です。経口鉄剤にはさまざまな種類がありますが、どの製剤を選択するかは医師の経験や病院の方針によって決められることが多いでしょう。鉄剤を内服すると便の色が黒くなるほか、中には悪心や嘔吐、便秘などの消化器症状が現れて継続が難しい患者さんもいます。

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写真:PIXTA

産後の方で、分娩時に大量出血があり重い貧血をきたしているような場合は、輸血が選択肢になります。ただ、患者さんが輸血を希望されないなど、できるだけ輸血を回避したいときには、注射で鉄剤を投与します。静注鉄剤にもいくつか種類がありますが、近年は含まれる鉄の濃度が高い“高用量製剤”も販売されています。“高用量製剤”は場合によっては1回の投与で十分な量の鉄が補えることもあります。今後、静注鉄剤としては“高用量製剤”が中心的な存在になっていくかもしれません。

産後、大変な時期に早くに貧血を改善することは、産後うつの予防や母乳育児をサポートするという観点からも大切であると考えられます。

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女性は月経によって定期的に鉄を失うため、もともと鉄欠乏性貧血になりやすい傾向があります。近年、さまざまな研究において、妊娠中から産後の鉄欠乏性貧血の治療の重要性が指摘されています。妊娠中は定期的に健診を受けていただき、倦怠感や立ちくらみ、動悸、息切れなど気になる症状があれば主治医の先生にご相談いただければと思います。また、産後月経が再開する時期は人それぞれです。授乳している場合は出産後数か月~1年以上経ってから、授乳していない場合は産後2~3か月で月経が再開します。月経が再開するとさらに貧血に注意する必要があるため、バランスのよい食事と適切な鉄の摂取を心がけましょう。

参考文献

  1. WHO: Haemoglobin concentrations for the diagnosis of anaemia and assessment of severity. 2011.
  2. WHO: WHO guideline on use of ferritin concentrations to assess iron status in individuals and populations. 2020.
  3. 日本鉄バイオサイエンス学会: 鉄欠乏性貧血の診療指針(公開用). 2024.
  4. WHO: THE GLOBAL PREVALENCE OF ANAEMIA IN 2011. 2015.
  5. MM Achebe, A Gafter-Gvili.: How I treat anemia in pregnancy: iron, cobalamin, and folate. Blood. 2017; 129 (8): 940–949.
  6. JA Pritchard.: Changes in the blood volume during pregnancy and delivery. Anesthesiology. 1965; 26(4): 393-399.
  7. K Ueland.: Maternal cardiovascular dynamics. Am J Obstet Gynecol. 1976; 126(6): 671-677.
  8. M Sanghavi, JD Rutherford.: Cardiovascular physiology of pregnancy. Circulation. 2014; 130 (12): 1003–1008.
  9. F Hytten.: Blood volume changes in normal pregnancy. Clin Haematol. 1985; 14(3): 601-612.
  10. MF Young, et al.: Maternal hemoglobin concentrations across pregnancy and maternal and child health: a systematic review and meta-analysis. Ann N Y Acad Sci. 2019; 1450 (1): 47–68.
  11. MM Rahman, et al.: Maternal anemia and risk of adverse birth and health outcomes in low- and middle-income countries: systematic review and meta-analysis. Am J Clin Nutr. 2016; 103 (2): 495–504.
  12. D Liu, et al.: Maternal hemoglobin concentrations and birth weight, low birth weight (LBW), and small for gestational age (SGA): findings from a prospective study in northwest China. Nutrients. 2022; 14(4): 858.
  13. 日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会: 産婦人科診療ガイドライン―産科編2023. 2023.
  14. AS Ragsdale, et al.: Natural history of postpartum hematocrit recovery in an urban, safety-net population. Am J Obstet Gynecol MFM. 2022: 4(2): 100541.
  15. FG Cunningham, et al.: Williams Obstetrics. 26th ed. New York: McGraw-Hill, 2022.
  16. N Milman. Postpartum anemia I: definition, prevalence, causes, and consequences. Ann Hematol. 2011: 90(11): 1247–1253.
  17. EJ Corwin, et al.: Low hemoglobin level is a risk factor for postpartum depression. J Nutr. 2003: 133(12): 4139–4142.
  18. FIGO Working Group on Good Clinical Practice in Maternal–Fetal Medicine.: Good clinical practice advice: iron deficiency anemia in pregnancy. Int J Gynecol Obstet. 2019; 144(3): 322–324.
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