最後の砦になりたい

DOCTOR’S
STORIES

最後の砦になりたい

臓器移植や肉腫という日本有数の難しい症例を経験してきた加藤容二郎先生のストーリー

昭和大学医学部 外科学講座 消化器・一般外科部門 講師、昭和大学病院 腎移植センター 講師
加藤 容二郎 先生

ブラック・ジャックに憧れて

幼少期、叔父の家にあった『ブラック・ジャック』を、兄につられて何気なく読み始めました。もちろん当時の自分には医学の知識はまったくありませんでしたが、人並み外れた観察眼と判断力、そして神業ともいえる手術で人々の命を救う姿には、論理を超えたかっこよさがありました。

「なんだかよくわからないけど、医者ってすごい!」

私が初めて、手術をする医者・外科医に対する憧れを抱いた瞬間です。

小学校にあがったある日、下校時に体調を崩した友人がいて、なんとなくこんな風にするとよくなりそうと感じたことを話したら、翌日、元気になったその友人から「加藤くんは将来、お医者さんになる気がする!」といわれたこともありました。

医師への夢が徐々に膨らんでいった

中学校ではサッカー部に入部しました。部員のなかには小学校からサッカーを続けている友人もいて、練習のたびに実力の違いを実感したものです。入部当初は当然ベンチにも入れませんでしたが、それでも「サッカーが上手くなりたい」という一心で、帰宅後も毎晩のように自宅周辺を走っていました。来る日も来る日もひたすら走り続け、気づけばある日、サッカー部でレギュラーになっていました。

努力して手に入れたレギュラーの座。私はサッカーに情熱を注ぎ込みました。ところが、中学3年の秋、最後の試合で怪我をしてしまい、松葉杖なしには歩くことさえできない状態になってしまったのです。

しかし、整形外科の先生に根気よく治療してもらったおかげで、数年後には再びサッカーができるようになりました。幼い頃に憧れたブラック・ジャックと、実際に自分を治療してくれた医師。このような出来事を通して、医師になりたいという思いは徐々に大きくなっていきます。

「医者になっても研究はできる。しかし科学者は医者になれない」

しかし、高校生になるころ、医学部が大学受験のなかで最難関の1つであることを知ります。医学部を目指すことは自分には身の丈にあっていないのではと思うと同時に、科学者になって研究をすることにも興味を持ちはじめました。

門戸の狭い医師の道と、新たなことを切り開く科学者の道。迷った私は小学校時代の恩師に相談したところ、恩師の答えはこうでした。

「医者になれ。医者になっても研究はできる。しかし科学者は医者になれない」

恩師に即答されたこの瞬間を、今でも鮮明に覚えています。単純かもしれませんが、この言葉で私は背中を押されたように感じ、「よし、どんなに難しくても医学部を目指してやろう」と奮起したのです。

「患者さんにとって、日本の最後の砦になりたい」

念願叶い、医学部へ入学。医学生時代には、あらゆる診療科をまわります。

学生時代、胃がんや大腸がんの手術は一般的に広く行われていましたが、腎移植はまだまだ珍しい手技でした。当時の母校では腎移植はまだ多くは行われておらず、腎移植をするとなれば大勢の医師や学生が手伝いや見学に押し寄せ、お祭り状態になっていました。

ところが大学の先輩に誘われて東京女子医科大学腎臓外科へ見学に行くと、腎移植手術を数多く手掛けていたためか、腎移植だからといって特別なことはなく、数名の医師で淡々と着実に移植手術をこなしていたのです。また、肝移植や、膵移植まで同じ科で行っていると聞き、まるで田舎と都会。大きなカルチャーショックを受けました。

「ここなら、臓器移植のプロになれる」

そう感じた私は、東京女子医科大学腎臓外科に進むことを決めました。

研修中、研修後も外科手術をたくさんみてきました。さまざまな手術をみていると、大病院で手術を断られてしまった患者さんでも、別の病院で決して容易ではありませんが無事手術で治療できることがあるのを目の当たりにし、いつの日かそういう困難な手術を必要とする方に手術をできる諸先輩方のような「患者さんにとって、日本の最後の砦になりたい」と心のどこかで思うようになりました。

医師5〜6年目の頃、手術の指導を受ける加藤先生

患者さんのためには、時間も手間も惜しまない

腎臓外科で働き始めて、20年が経ちました(2017年8月時点)。

手術では、術式の選択を含め、患者さんのために可能な限り最善を尽くすよう心がけています。そのうちの1つとして手術中の止血があり、電気メスを使うだけでなく、多少時間がかかっても適宜結紮(けっさつ:糸などで縛って結ぶこと)や縫合を多用するようにしています。

電気メスを使って進めると短時間で止血でき、手術が早く進むのですが、術中や術後に再度同じ場所からジワジワと出血することがあり、長時間の手術になると少量の出血でも積もり積もって出血量が多くなります。また、それによって輸血量が増えたり、手術後に出血が続くと患者さんの回復が遅くなることがあるので、時間と手間をかけてでも手術中に結紮や縫合を交えて丹念に止血するよう心がけています。

「先生は、人の幸せをつくっています」

ある患者さんは、お腹のなかに大きな腫瘍があり、「手術後は人工肛門と人工膀胱(回腸導管)を免れない」といわれていました。人工肛門・人工膀胱の両方をつけると、通常はその後一生、お腹にバッグを2つ着け、そこから排泄することになります。

本人より、諸事情ありどうにかして人工肛門・人工膀胱をつけずに腫瘍を切除できないかと懇願され、必ずご希望に添えるか約束できるわけではありませんが、再発のリスクが高く、生命予後が短くなるかもしれないことをお話し、ご理解されたうえで手術を行いました。

たいへん難しく長時間要する手術でしたが、何とか人工肛門・人工膀胱をつけずに手術を終了でき、その後、薬物療法を追加することにより、画像上一時的に再発病変も消失しました。

「先生は、人の幸せをつくっています」

彼女はとても嬉しそうにいいました。その言葉が印象的で、今でも耳に残っています。

時間が足りず睡眠時間を削って患者さんに向き合う日々。疲労のせいか、廊下を普通に歩いているつもりでも「先生、廊下を斜めに歩いていますよ!」と医療スタッフに心配されるときもありました。それでもやはり、患者さんたちにこうして励まされると、我々は患者さんのために尽力せねばならないと感じます。

大きくて難しい手術ほど、どうにかして成功させたい

「加藤くんは、開拓者精神が旺盛だ」

精神科分野に進んだ友人からいわれた言葉です。確かに、ゴールが用意された安心安全な道では、どこか物足りないと感じるのかもしれません。開拓者精神ゆえに、当時は希望者の少なかった臓器移植の分野に進み、現在では、日本でもまだ数の少ない肉腫(全身の骨や軟部組織から発生する悪性腫瘍)の手術を積極的に行っているのでしょうか。肉腫は希少がんのひとつで、まれな疾患かつ全身のあらゆる部位から発生するため治療が難しく、当院(国際医療福祉大学三田病院)にはほかの病院では手術できないと断られた患者さんが、紹介されてやってくることも多いです。

将来的には、海外ではすでに行われている、同時にいくつもの臓器を移植する多内臓移植や、腫瘍と臓器を一緒にいったん体外に摘出してから腫瘍を切除する手術、可能であれば子宮原性不妊に対する子宮移植まで、いつか日本でもできればと考えています。

医師人生で培ってきたことを伝えていく

これまで私は、友人や職場の同僚、先輩や後輩、恩師、家族など、数え切れない人々との縁に助けられてきました。諸先輩方から素晴らしい手技や医師としての考え方を学び、ともに働く仲間たちとは数ある窮地を乗り越えてきました。

最近は、後輩や学生の教育にも携わっており、これまで諸先輩方に教わった多くのこと、自身の医師人生で培ってきたことを余すことなく伝えていき、そして、難しい手術や手技であっても、最後まで丁寧にやり遂げられる医師や医療スタッフを育て、救えない患者さんを1人でも減らしたいと考えます。

患者さんの、最後の砦になる。そのために、私はこれからも進み続けます。

 

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