東京都立多摩総合医療センター 救急・総合診療科 腎臓内科 医長
九鬼 隆家 先生
元 東京都立多摩総合医療センター 救急・総合診療科 呼吸器・腫瘍内科 所属
佐藤 祐 先生
東京都立多摩総合医療センター 救急・総合診療科 元医員
三島 就子 先生
東京都立多摩総合医療センター 救急・総合診療科 所属
岩浪 悟 先生
専門家や地域医療機関などと連携しながら包括的な医療を実践する総合診療医。今、現場で活躍する総合診療医が目指す医療とはどのようなものでしょうか。今回は、総合診療医が実践する医療における各専門領域の特徴や魅力、歩んできたキャリアについて述べるとともに、東京都立多摩総合医療センター救急・総合診療センターの九鬼 隆家先生、佐藤 祐先生、三島 就子先生、岩浪 悟先生から若手医師へのメッセージを伺いました。
九鬼 隆家先生(以下、九鬼先生):
総合内科は基本的に、特別な専門領域の処置や判断を必要としない病気に関して、何でも診る診療科です。内科的な病気にある程度限られますが、これといった専門がないからこそ“総合内科”といえます。
たとえば呼吸器科の診察を受けなくてもよい肺炎や、消化器科や血液内科での診療が必要と判断される前の貧血などの診療を行います。そのほか、発熱、体重減少など、さまざまな病気が進行して起こってくるような症状でまだ診断がついていないものもよく診ます。精神科領域との狭間に入るような心因的な問題を抱えている患者さんも、身体科的な精査が済む前にはある程度診ることになります。
外来には、救急を経由してくる患者さんや、地域からの紹介の患者さんもいらっしゃいます。体重減少や熱をはじめ、ほかの科では説明できない痛みなどの方が紹介されてくるケースが多いです。入院中の患者さんでも、各専門家に分けにくい、症状が軽い、複数の科にまたがって問題があり総合的な診療が必要だといった方に対応することもあります。
佐藤 祐先生(以下、佐藤先生):
救急診療は、“救急”とはいっても実際には、急性の患者さんから慢性の患者さんまで受診されます。平たくいえば、“今”健康面で困っている患者さんが来る場所です。たとえば「皮膚の状態が悪いから皮膚科に行こう」といったことが明確に分かっていないものの、困って病院に来られたという方です。なかには、少し前から困っていて「最近ふらつくようになり動けなくなってきた」という貧血の患者さんなどもいらっしゃいます。訪れた患者さんに診断をつけて状態を明らかにするのが私たちの仕事です。医療的な問題ではなく、福祉や社会的な問題で困っている場合もあり、その場で全て解決できるとは限りませんが、問題を明らかにしていくことが重要になります。
また、患者さん自身、何に困っているのかがよく分かっていないこともあります。まずは私たちに何を求めて来たのかを明らかにし、すれ違いが起こらないよう注意しています。たとえば、頭痛の患者さんでも「痛みを何とかしてほしい」「明日の仕事に行けるようにしてほしい」「人にうつる病気ではないかが心配だ」「病名をつけてほしい」「なぜ痛みが起きているのか原因を知りたい」など要望はさまざまです。本人も言葉にしていないことや問診票に書いていないことを明らかにして対応していくことが、短い時間の中で要求されます。
岩浪 悟先生(以下、岩浪先生):
家庭医療は、特別何かを専門としているわけではないところが大事だと思っています。私の場合は救急や総合内科を診ながら、地域のクリニックの外来診療や健康診断も行っています。在宅医療も担当し、ご自宅で看取るという意味で緩和ケア、病院に来られない患者さんへのケアも行います。いわゆる“ゆりかごから墓場まで”と幅が広く、健康問題が起こる前の方に対する予防やケアも含めて診療しています。
病気を発症する背景には、仕事が忙しくて免疫が弱る状況という社会的な面があったり、近しい方が亡くなって食事を取れていないという精神的な面があったりします。薬を使って治療したら解決する問題ではないことも多いのです。そのような“心理社会面”にも配慮した治療が理想的だと考えています。それでも、解決するのが難しい問題には多く直面します。病気を抱えていく患者さんの生活を整えるために、看護師やヘルパー、医療従事者以外の方の協力も必要になることがありますし、さまざまな問題が重なった健康問題の複雑性が高い患者さんもいらっしゃいます。
家庭医療は、患者さんが生活しやすくするためにはどうしたらよいか、さまざまな視点で医療を見て、どのように接するかを考える学問です。本質的な問題の解決を目指し、患者さんのためになる医療を提供するには、家庭医療の視点が欠かせません。特に、健康問題の複雑性の高い患者さんの診療こそ家庭医の出番だと考えています。
三島 就子先生(以下、三島先生):
母性内科は、“妊婦さんのための内科”という表現だと理解しやすいと思います。妊娠中の方の内科的な管理を中心に、妊娠前から産後まで一通り診ています。妊娠中には妊娠高血圧症候群、妊娠糖尿病など、さまざまな内科の病気が出てきやすく、妊娠中に現れた病気は将来の高血圧や糖尿病など、女性の健康にも大きな影響を与えます。また、全身性エリテマトーデスや関節リウマチといった持病がある方が妊娠する場合の対応を考えたり、妊娠特有の内科疾患ではないものの貧血や腰痛・関節痛などマイナートラブルが出てきたときのファーストタッチをしたりするのが母性内科という領域です。
多くの場合、内科医は妊婦さんの対応が苦手なものです。本来あってはならないことですが、内科を受診した妊婦さんが“下剤1つ出してもらえなかった”というケースもありますし、診療そのものを断られてしまうケースもあります。妊娠中の母体が身体的・生理的にどのような変化をするのか、どのような薬が使えるのか、といった基本的なところも学生時代には学ばないものです。産科的な知識も持ちつつ内科という得意分野を重ねて、妊婦さんの全身管理を行い、次の妊娠や健やかな更年期を迎えるために内科的管理を行うことが母性内科の使命です。
九鬼先生:
医師になる大きなきっかけがあったわけではありませんが、子どもの頃は生き物に興味を持っていて、勉強では理科が好きでした。仕事をするならその系統のものがよいだろうと思い、なかでも医師が1番自分に合っていると考えました。特に“これをやりたい”ということもなかったので、比較的“何でも屋”のほうに指向性があったのだと思います。
医師になって4年目からは腎臓内科を専門としていました、しかし、腎臓内科領域を突き詰めたいという気持ちはなく、むしろ「腎臓内科以外は診られない」と言う医師になるのは嫌だという強い思いがありました。そこで、腎臓内科領域を続けるよりも全体的なことができるようになりたいと考えて、総合診療の道に進みました。当院に入職したのは、初期研修を受けて“ここで育ててもらった”という思いがあったからです。
現在は、初期研修の臨床研修医プログラム責任者を務め若手の指導にも力を入れています。研修医から成長していく過程のなかで、“こんな教育が受けられたらよかった”“誰も言わないけれどここが大事だったのだ”と思う場面が何度もあったので、その経験を生かして教育を提供しています。私たちの部門には、初期研修医や後期研修医の教育をしやすく、ジェネラルな指向も満たせる環境が整っていると感じています。
佐藤先生:
幼い頃は喘息で動けなくなることが多い子どもでした。よく病院にかかっていたなかで、自然と「お医者さんのおかげで楽になったな。助かったな」と思うことが多かったのが医師を目指したきっかけです。実際に呼吸器科医として働いてみると、困っている患者さんを自分の手で助けられることに段々とやりがいを感じるようになっていきました。また、いわゆるメジャーながんである肺がんをはじめ、肺炎、感染症、治療が難しい間質性肺炎やサルコイドーシス、慢性閉塞性肺疾患(COPD)など、呼吸器領域の広さにも魅力を感じました。
しかし、呼吸器内科医としての技術のレベル(段階)が少しずつ上がってくるにつれて、自分のできることが少なくなっていくように感じられました。専門性を突き詰めるほど、その対象は狭くなっていくからです。自分よりさらに高い技術を持つ医師は多く、患者さんの数は少ないという世界に入っていったとき“自分の価値はどこまであるだろう”と考えるようになりました。
その頃、呼吸器科の中でも救急的な意見を聞かれたり任されたりすることが増えていました。当院の研修システムのなかで当直として救急業務に長く関わった経験から、ほかの先生方が苦手とする領域の患者さんにも広く対応できていたためだと思います。そこに強みが持てると思えるようになった私は、より多くの困っている患者さんを幅広く診ていける方向に進んでいくことを決めました。
最近では、助けるべき“困っている人”の対象の中に、患者さんだけでなく一緒に働いている医師も入るようになりました。救急外来では患者さんだけでなく医師も困っていることがあるため、どちらも同じように大事にし、助けていけたらと思います。
三島先生:
私は元々、小児科医になりたくて医師を志しました。しかし、医学部在籍中に子どもだけではなく大人まで幅広く診たいという思いが強くなっていきました。その頃は、何となくプライマリ・ケアや家庭医療に携わりたいと考えていたように思います。初期研修・後期研修を受けた病院で経験を積むなかで、家庭に近いグラウンドというよりも病院の中の総合医になりたいという気持ちが芽生え、総合診療医を志しました。その病院では総合内科がリウマチ・膠原病疾患の診療も担当していたので、自然と専門的な知識や技術を磨くことができました。しかし、医師になって4~5年目くらいにふと、「総合内科やリウマチ膠原病の専門医資格を取ったらこのまま自分の人生が終わってしまうな……」と思ったのです。
そこで、自分の軸になる何かを見つけようともがいていたとき、母性内科という分野があることを知りました。受け持ち患者さんの妊娠相談にうまく対処できなかった経験から、同じ女性としてその分野が苦手ではいられないと感じていたこともあり、勉強のため国立成育医療研究センターに入職しました。同院では4年間にわたり母性内科を学んでいます。
同院はアカデミックで素晴らしい環境でしたが、より患者さんに近いところで総合的な医療を提供していきたいという思いから、当院に赴任してきました。今では母性内科が自分の柱で、総合内科やリウマチ系はサブという感覚でいます。母性内科においても、身体面だけでなく社会的・精神的な部分も含め患者さんの全体を診るという点では総合診療に共通していると思っています。
岩浪先生:
子どもの頃はちょっとお節介で、人から“よい子”だと思われたい気持ちが強かったと思います。親、同居の祖父母、先生などに褒めてもらいたくて行動することが多かったかもしれません。小学校の頃、授業についていけていないクラスメイトがいると、先生から「隣に座って教えてあげて」と頼まれることがあり、嬉しかったのを覚えています。
しかし、中高生のときに「お前がやっていることは偽善だろう」と友だちから悪気なく言われたり、よかれと思ってしたことがよい結果を生まないことがあったりして、“よいこと”と“偽善”は難しいなと悩むようになりました。そこで世の中から見ても本当によいことをしたいと思うようになったのが、医師を志したきっかけです。医学部を卒業後は、当院で後期研修を受けています。よりよい医療の提供に尽力する先生方がいる環境に魅力を感じて入職に至りました。
今、私が理想とするのは“病気と闘わない世の中”です。医療の問題を抱えている方は、自分の中にある病気という見えない敵と闘っているようなものです。闘うこと自体が大変ですし、闘ったために別の問題が起こることもあり得ます。だからこそ、できるだけ闘わずに済むよう医師が助け、上手に付き合っていくことがよいと考えています。病気だから治す、もしくは治さないという2つに注目してしまいがちですが、患者さんにとって1番“生きやすい”状態は何だろうかと考える姿勢が大切だと思います。
九鬼先生:
仮に自分が働けない状態になったときのことを想定すると、“自分にはこれしかない”という状況では働き口がなくなる可能性もあります。たとえば、私の専門である腎臓内科でいえば、もしも腎臓移植が発展して透析を行う患者さんが激減したり、日本の医療制度が破綻して透析治療のような医療費が高額な治療が行われなくなったりしたら、透析だけを専門としている医師はできることがなくなってしまいます。
佐藤先生:
私の場合は、幅広いことができて得意なことがあれば“潰しが利く”という考え方です。専門である呼吸器内科やアレルギー系のどちらかを中心として働くこともできるし、総合内科や救急、家庭医療を専門としていく道もあります。将来、どのようなときでもきっと働いていけるという生き残り戦略に近いでしょうか。
三島先生:
ほかの先生方とは少し違いますが、私はこれからも母性内科の医師でありたいと思っています。内科医が妊婦さんの診療を苦手に感じることは問題だと考えているので、母性内科における考え方を広めていきたいと思います。当院は総合周産期母子医療センターもあり内科的疾患を抱えながらの妊娠症例を経験しやすい環境にあります。当院で研修を受けた医師には少なくとも、妊婦さんの診療に対して苦手意識を持たないよう成長してほしいと思います。
岩浪先生:
どのような時代が来ても働くためには、自分がどういう方向に進みたいのかを見出すこと、変化を受け入れられる基盤を持つこと、そのうえで変化に対応することが大事になってくると考えています。
多様性という意味では、専門医資格を取得したい、研究に進みたい、開業したいといったさまざまな考え方があるのではないでしょうか。働くなかで自分に合った道を選んでいくのもよいと思います。総合診療医を志す医師の皆さんには、ぜひ私たちの部門でキャリアを積んでいただき、皆さんが進んでいく道の基盤となれば嬉しく思います。
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