妊娠時はお腹の赤ちゃんはもちろん、自身の身体のためにもさまざまな配慮をしながら生活を送らなければなりません。感染症予防もそのうちの一つです。TORCH(トーチ)症候群は、妊婦さんが感染すると流産や死産、あるいは生まれてくる赤ちゃんの身体的な先天異常を引き起こしてしまういくつかの病原体を指します。
神戸大学大学院医学研究科外科系講座 産科婦人科学分野 教授の山田秀人先生はTORCH症候群をはじめとする母子感染の分野における第一人者であり、母子感染の予防・啓発のため積極的な活動を行われています。今回はTORCH症候群の概要についてお話いただきました。
母子感染とは、原虫、細菌やウイルスなどの微生物が妊婦さんからお腹の中にいる赤ちゃんへ感染することです。これを「垂直感染」といいます。
母子感染にはいくつかの種類がありますが、このうち、垂直感染によって、生まれてくる赤ちゃんに重篤な障害が残る可能性のあるものをTORCH症候群と呼びます。TORCH症候群はこれらの病原体の頭文字を取って名付けられました。
T: Toxoplasma gondiiトキソプラズマ
O: Others:梅毒、あるいは パルポウイルスB19
R: Rubella virus風疹
C: Cytomegalovirus サイトメガロウイルス
H: Herpes simplex virus 単純ヘルペス
TORCH症候群の病原体は母体への影響が少ないため、妊婦さん自身が感染していることに気づかず、知らぬ間に赤ちゃんに感染してしまっているケースも多いです。
しかし、ヒトは一度、感染するとその疾患への抗体ができます。そのため、たとえ妊婦さんがTORCH症候群の病原体に感染しても、妊婦さんにその病原体に対する抗体が備わっていれば、赤ちゃんに感染する確率は下がります。
それではTORCH症候群それぞれの病原体や検査・予防について詳しくみていきましょう。
先天性トキソプラズマ感染症の病原体は猫の糞や生肉・加熱不十分な肉に含まれる原虫です。妊娠初期に感染すると特に赤ちゃんへの影響が大きく、流産や死産、出生後の知的障害などにつながることもあります。
赤ちゃんに現れる障害としてもっとも多いものが網脈絡膜炎で、先天性トキソプラズマ感染症に罹患した赤ちゃんのうち4〜27%が視力障害を起こすといわれています。
日本産科婦人科学会では妊娠中の感染症スクリーニング検査を勧めていますが、トキソプラズマの推奨レベルは低く、日本全国(2011年)の検査実施率をみても都道府県によってかなりばらつきがあります。例えば岩手県は100%の妊婦さんにトキソプラズマのスクリーニング検査が実施されている一方、実施率が6%しかない県もあります。全国の実施率は49%であり、約半数の妊婦さんしかこの検査を行っていないということになります。私が2005年から2016年の間にトキソプラズマIgM陽性の妊婦に検査と治療を行ったところ、トキソプラズマの胎内感染を起こしていた赤ちゃんは371人中7人(2%)でした。
妊婦さんが検査によってトキソプラズマの初感染が疑われた場合、早めに服薬治療を行うことで赤ちゃんへの感染を半分以上防ぐことができます。また、万一生まれてきた赤ちゃんに先天性感染が疑われる場合には、さらに精密な検査を行い、感染があったときは赤ちゃんに服薬治療を1年ほど行うこともあります。
トキソプラズマは、日々の生活においてほんの少し意識するだけで、十分に予防可能です。前述のとおり、トキソプラズマの病原体は猫の糞や生肉・加熱不十分な肉に含まれているので、妊娠前後は新しく猫を飼うことを避け、ガーデニングなどの際は手袋をして素手で土を触らないように気を付けましょう。また、トキソプラズマの病原体は経口感染(口からの感染)するため、きちんと火を通したものを食べるようにしましょう。
TORCH症候群のOは「Others(その他)」を意味し、元々は梅毒を指すことが多かったのですが、近年見つかったパルポウイルスB19を指すこともあります。
梅毒は梅毒トレポネーマという病原体によって発生する感染症です。梅毒は性行為によって感染することがよく知られていますが、実は妊婦さんからお腹の赤ちゃんに感染することもあります。これを「先天梅毒」といいます。
先天梅毒にかかった赤ちゃんは、流産や早産のリスクが上がるほか、早発性そして遅発性先天梅毒と発育の過程でさまざまな症状を発症してしまうことがあります。
国立感染症研究所の公式サイトにも掲載されていますが、近年、梅毒の患者数が増加しており、今後、先天梅毒の患者数も増えていく可能性があります。
厚生労働省の指導もあり、現在はほとんどの妊婦さんが妊娠中に梅毒の検査を行っていますが、検査の後に感染するとスクリーニングから漏れてしまうので注意が必要です。もちろん、妊娠してから梅毒に感染した場合でも、母子感染のリスクは生じてしまいます。
妊娠中に梅毒に感染してしまった場合には、出産前の投薬治療を行います。また、赤ちゃんへの感染は出産時の臍帯血(さいたいけつ)から調べることが可能で、出産後に赤ちゃんへの感染が確認された場合にも投薬による治療を行います。
パルボウイルスB19は、一般的に「リンゴ病」といわれる「伝染性紅斑」の原因ウイルスです。伝染性紅斑(りんご病)は子どもに多い疾患ですが、子どもの頃に感染していない場合は大人になっても罹患します。伝染性紅斑は4年から5年周期で流行します。
伝染性紅斑(りんご病)の症状が出る1週〜10日前の発熱、悪寒、関節痛の症状のときにウイルス血症となり、感染性があります。
さらにパルボウイルスB19に感染した妊婦さんのうち半数は症状が出ないといわれているので、感染に気がつかないこともしばしばあります。パルボウイルスB19に感染してしまった赤ちゃんは、流産・死産の確率が上がってしまいます。
パルボウイルスB19は有効なワクチンがなく、母子感染を防ぐ方法も明らかになっていません。そのため、お子さんがいる家庭や、子どもと関わることの多い職業に就いている方は妊娠時の注意が必要です。
神戸大学では、妊婦のパルポウイルスB19感染の予防を目的としたパンフレットも作成しています。伝染性紅斑(りんご病)が流行した際にはぜひこちらもご覧ください。
参考:今、パルボウイルスB19によるりんご病(伝染性紅斑)が流行しています。
風疹は「3日ばしか」といわれ、2〜3週間の潜伏期間を経て発症し、発熱や発疹を引き起こします。よく「はしか」と同義に受け取られますが、はしかと風疹では原因となるウイルスが異なり、風疹には母子感染を引き起こすリスクがあります。風疹の母子感染によって、胎児が先天性心疾患(PDA,PS,VSD,ASD)や難聴・目の疾患を引き起こす可能性があります。
厚生労働省は、妊娠時の風疹検査を定めています。感染源のほとんどが職場や家庭内の感染者なので、流行している場合はワクチンを早めに打ち、妊娠時には感染者に近づかないよう気をつけましょう。
サイトメガロウイルスはTORCH症候群の中で最も発症者が多い病原体です。最近の論文では、難聴を持つ幼児の4人に1人はサイトメガロウイルスが原因であると指摘されています。
サイトメガロウイルスはほとんど症状が現れないため、母子感染に気がつきにくく、また、感染していても生まれてからしばらくは異変に気づかないことがほとんどです。1歳を過ぎたころに発育や発語に障害がみられ、ようやく先天性感染が判明することもしばしばあります。
サイトメガロウイルスは他のTORCH症候群の病原体と違って、妊婦さんが抗体を持っていても、赤ちゃんに感染する可能性があります。その確率は初感染の妊婦さんに比べると低いですが、初感染ではないから、妊婦さんに免疫があるからといって、お腹の赤ちゃんにうつる心配が絶対にないとはいいきれません。
しかし、サイトメガロウイルスは母子感染があっても必ずしも赤ちゃんに障害が残るわけではありません。赤ちゃんに障害が残るのは、妊娠中に初感染が確認された妊婦さんの10%程度といわれています。
厚生労働科学研究班の代表として2011年よりサイトメガロウイルスを研究していますが、この研究で日本でも新生児の300人に1人の割合でサイトメガロウイルスに胎内で感染して出生し、新生児1000人に1人は有症状の先天性感染児であることが明らかになりました。
これだけ多くの感染や発症が起こっているにもかかわらず、その感染ルートを知らない妊婦さんがたくさんいます。実はサイトメガロウイルスは感染している子どもの唾液や尿に含まれているため、子どもから妊婦さんに感染し、それが胎児にうつるというルートがほとんどです。すでにお子さんがおり子育て中の妊婦さんや、子どもと接する職業の方は特に注意が必要です。石鹸を使った手洗いや、アルコール消毒液による消毒をこまめに行うことで感染のリスクを5分の1から10分の1まで下げることができます。
感染ルートや予防方法など、正しい知識を周知することで、サイトメガロウイルスに感染するリスクを低減することができます。
単純ヘルペスとは、性器ヘルペスウイルス感染症の原因となるウイルスです。胎内感染による先天性感染症と、産道感染などによる新生児ヘルペスの2種類があります。
新生児ヘルペスは、多臓器不全などにより生まれて間もなく亡くなってしまったり、重篤な神経後遺症が残るなど特に危険な疾患といわれます。
妊娠中の初感染による性器ヘルペスの方が再活性化によるものより、母子感染のリスクが高くなります。
妊娠中に単純ヘルペス感染による性器ヘルペスが確認された場合、軟膏塗布や内服薬で治療が可能です。症状が重いケースでは点滴による治療を行うこともあります。
また、出産時に産道や膣、外陰に病変が見受けられる場合、産道感染を防ぐため、帝王切開による分娩を行うこともあります。
医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院 不育症センター センター長 兼 オンコロジーセンター ゲノム医療センター長 、神戸大学医学研究科 非常勤講師
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