東京都小平市にある国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(以下、国立精神・神経医療研究センター)は精神疾患や神経疾患を中心に、先進的な診療と研究開発を行う国立高度専門医療センター(いわゆるナショナルセンター)です。そんな同センターの特長について、理事長の中込 和幸先生にお話を伺いました。
当センターは1940年に設立された傷痍軍人武蔵療養所からスタートし、研究部門の併設や国立精神衛生研究所(現在の精神保健研究所)との統合を経て、2010年に“国立精神・神経医療研究センター”へと改称しました。現在は、全国で6か所あるナショナルセンターの1つとして、脳とこころの病気に関する先進的な診療や研究開発に注力しています。
当センターは、研究開発を専門とする神経研究所と精神保健研究所を併設しています。神経研究所は、精神疾患や神経疾患、筋疾患、発達障害などの克服を目指す研究開発に取り組んでいます。一方の精神保健研究所では、メンタルヘルスに関する研究と開発を通じて国民の健康増進やQOL(生活の質)の向上を目指してきました。
さらに、脳病態統合イメージングセンター、認知行動療法センター、メディカルゲノムセンター、トランスレーショナルメディカルセンターの4センターでは、それぞれ脳神経画像、認知行動療法、ゲノム医療、臨床と研究の橋渡し役を担っています。
当センターには11の専門疾病センターが設置され、総力を挙げたチーム医療に取り組んでいます。その内訳は、多発性硬化症、筋疾患、てんかん、パーキンソン病と運動障害疾患、睡眠障害、統合失調症、気分障害、認知症、嚥下障害、薬物依存症、ニューロモデュレーション(電気や磁気によって神経のはたらきを調整する治療法)といった分野で、必要に応じて研究所と協力しながら、診療科を超えた専門的な診療を行っています。たとえば、パーキンソン病・運動障害疾患(PMD)センターでは、基本の薬物治療に加えて運動療法(リハビリテーション)や手術、認知行動療法などを併用する際には脳神経内科が中心となり、さらにリハビリテーション科、脳神経外科、精神科と協働して診療を進めることが可能です。また、患者さんが抱える睡眠障害や不安が原因でパーキンソン病の症状が悪化している可能性があれば、睡眠障害センターや認知行動療法センターと連携して対応します。このように、1つの病気に対して多部門と多職種が一丸となり専門的な診療を行うのが専門疾病センターです。
筋疾患を対象に包括的かつ先進的な診療を行う筋疾患センターでは、エクソンスキッピング治療(後述)やステロイドなどの薬物治療のほか、遺伝子診断や、人工呼吸療法、心筋症に対する治療などを行っています。また、噛み合わせなど口腔ケアの問題に対する歯科治療、誤嚥や飲み込みの問題に対する評価と治療、拘縮や変形に対する整形外科的治療など、各分野の医師たちが協力し合って総合的な治療を行っています。
エクソンスキッピング治療(遺伝子変異により失われるはずのタンパク質を回復させることを目的とした治療法)に関して、当センターは製薬企業と共同でエクソン53スキップ薬を開発し、2020年に薬事承認を得ました(早期条件付き承認)。この薬は、筋疾患の1つであり指定難病のデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)患者さんの8%程度を治療対象とするものです。現在はさらなる展開としてエクソン44スキップ薬の開発を進めており、これまでの治療法が適応にならなかったDMD患者さんに対して治療の選択肢を広げるべく研究活動を続けています。
認知症など加齢に関連する脳の病気には、その原因の1つに神経回路(神経細胞間のネットワーク)の損傷があります。その損傷した神経回路を再生・修復することが、脳機能の回復という課題につながる重要な要素であることが近年の研究により分かってきました。当センターでは、神経研究所の村松 里衣子先生が中心となって、神経回路の再生と修復のメカニズムに関する研究を精力的に行い、その成果を次々に学会や論文で発表しています。神経回路の再生や修復が実現すれば、脳神経疾患の治療が大きく前進するでしょう。
また、当センターの精神保健研究所では、精神疾患の1つであるPTSD (心的外傷後ストレス障害)についても研究を進めています。PTSDは国内に約70万人の患者さんがいると推定されていますが、治療を受けている方はほんのごくわずかです。その背景には、つらい過去の話をすることに抵抗があり、ためらう方も多くいると思われます。そこで我々は患者さんが治療に伴ってつらい思いをしなくてすむように、薬による治療を開発するべく活動してきました。2021年には、アルツハイマー型認知症の治療薬として広く使用されているメマンチンを活用し、PTSDの症状を改善できる可能性を見出しました。PTSDの治療は選択肢が少なく治療を受けていない患者さんも多い現状であり、治療薬の実用化が喫緊の課題となっているため、我々はこれからも本研究に尽力する所存です。
当センターは医療機器メーカーと共同で、うつ病の患者さんに対するヴァーチャル・リアリティ(VR)を活用した認知行動療法(CBT:認知の偏りを緩和し、問題解決を手助けし、症状を改善させる精神療法)の研究開発を進めています。CBTは医師や看護師が行うことで保険適用になるのですが、時間的負荷が大きい点や実施できる医療従事者の確保が難しい地域がある点が課題とされてきました。そこで我々は対面によるCBTの一部をVRで代替することで、それらの課題を解決できないかと考えたのです。現状はまだ研究段階ですので、1日も早い実用化を目指して治験に取り組みます。
また臨床研究・教育研修部門では、ウェアラブルデバイス(手首や頭などに装着するコンピュータ端末)で集めた健康に関する情報や実際の診療情報などを活用する“リアルワールドデータ”の研究支援にも力を入れています。治験のような厳格なルールや監視の下で収集されるデータと、反対に実験的要素の少ないリアルワールドデータを両方活用することで、医薬品開発を効率的に行うサポートを進めているのです。
現代社会における発達障害、うつ病、認知症といった病気の急増は国内の大きな課題です。当センターは病院と研究所が一体となり、それら精神疾患、神経疾患、筋疾患、発達障害の克服を目指して日々診療と研究開発に尽力してきました。我々は今後も精神疾患および神経疾患のナショナルセンターとしての責務を全うし、既存の治療法に甘んずることなく常によりよい医療を開拓し、難病に苦しむ方々の希望となれるよう努力を続ける所存です。