正月の北陸地方に甚大な被害を及ぼした2024年1月1日の能登半島地震。民間病院の中で震源にもっとも近い石川県七尾市の恵寿総合病院は、震度6強の揺れに見舞われながらも発災当日から途切れることなく医療の提供を続けた。医療継続のためにどのような準備を重ねてきたのか、“次の災害”を見据えて医療機関がすべきことは――。“地震国”日本の全ての医療機関が向き合うべき課題について、神野正博理事長に聞いた。
「災害でも医療は途切れないこと」――それが、1月1日に作った我々のミッションであり、こうするのだという決意を鮮明に職員に示し、動かしてきました。地震で病院の施設も被害を受け、水道水も止まりましたが、発災10時間後に最初のお産があり、翌日には全身麻酔の手術も行いました。緊急手術は発災当日でもできる態勢にはあったのですが、その日は必要とする患者さんがいなかったということです。
最初は仮復旧で、破損した水道管のバイパスを地面にむき出しの状態で設置したり、2台あったボイラーが破損したので両方から使える部品を集めて1台を動くようにしたりといったように、あるものでやりくりしながらなんとか機能を維持しました。
医療の継続が可能だったのは、免震構造の本館が生き残ったこと、水道は止まりましたが井戸水が使えたこと、電源が確保できたことといった設備面に加え、職員がどんどん集まってきて前向きに動いてくれたことが大きかったと思っています。ただ、透析に使う水だけは井戸水で賄いきれるか不明だったため、自衛隊の給水車に頼りました。
能登半島では2007年にも大きな地震(「平成19年能登半島地震」=七尾市では震度6弱の揺れを記録)がありました。この時に古い建物が損壊したことが本館を建て替えるきっかけになりました。その計画中だった2011年に東日本大震災があり、被災した方々からどのような点で苦労したかなど多くの話を聞き、それに対応するよう方針を転換しました。具体的には、液状化対策のための地盤改良とかさ上げ、本館の免震化、津波に備えて電源やサーバー室、熱源を高い場所に置く――といったことは、東日本大震災の教訓によるもので、それがなければ違った形になっていたかもしれません。また、いざとなったら自分たちが避難する経路を確保する必要があることから、屋上に夜間離発着も可能な大きめのヘリポートを設置しました。
我々は事前にBCM(事業継続マネジメント)*/BCP(事業継続計画)**をつくり、非常時でも医療を継続できるよう計画を立てていました(別表)。今回はそれが全て生きました。
3月1日まで水道は止まっていたので、2カ月間は井戸水で乗り切りました。電気は2カ所の変電所から受電するようにしたうえで、両方が途絶えても自家発電装置があり、さらにバックアップとして無停電電源(蓄電池)も備えていました。今回、発災時に1系統の受電が途絶えたのですが、すぐに別の変電所に切り替わったので自家発電装置の出番はありませんでした。
私たちの老人保健施設に福祉避難所を作れるように準備しておいたことも生きました。普段なら救急対応で治療後に自宅に戻ってもらうような高齢者も、災害時には帰宅できません。福祉避難所として40床を確保して、そのような方に使ってもらいました。
ICT/DXでは業務用iPhoneが威力を発揮しました。発災後に病棟編成を大きく変えたのですが、混乱なく対応できたのはiPhoneだけでカルテの閲覧・記載ができるようにしておいたことが大きかったのです。
免震構造の本館は無事だった一方、産科病棟などが入る3病棟と回復期リハビリテーション病棟などが入る5病棟は耐震構造だったので、建物は損壊を免れましたが棚がひっくり返ったり天井が落ちたり水道管が破裂したりといった被害が出ました。そのため、病床を再編成して両病棟の入院患者さん113人には1月1日に本館に移っていただきました。また、新たな患者さんも本館に収容し、キャパシティー以上の患者さんを受け入れていました。それでは療養環境が悪いので5病棟の仮復旧を急ぎ、1月11日には病床を確保できたためキャパシティーオーバーの状態を解消しました。そうした病棟の移動でも、業務用iPhoneがあったから混乱なく診療が続けられました。
* BCM(事業継続マネジメント):Business Continuity Management=大規模な災害などの際にも被害を最小限に抑え事業が中断しない、中断しても早急に復旧できるためのマネジメント活動。
** BCP(事業継続計画):Business Continuity Plan=大規模災害時などにも事業を継続、あるいは早期復旧のための方針や手順を示した具体的な計画。
私たちは以前から、医療DXを進めてきました。業務用iPhoneもその1つですが、それ以外に今回の震災で機能したのが、希望した患者さんが自分のカルテ情報などを持ち歩くことができる「診療情報閲覧サービス」です。本人の検査データや診断名、治療内容、検査画像、処方内容などをスマートフォンやパソコンで閲覧できるシステムを導入していました。使っていた患者さんが避難先の金沢市の医療機関で提示して、薬や治療内容を確認してもらえたという報告をいただいています。
医療DXを進めることは、災害に強い病院を作ることにもつながります。サーバー室を免振棟上層の安全な場所に置いたこともあり被害はありませんでしたが、仮にサーバーが被災しても、翌日には東京か大阪からバックアップデータが届く手筈になっていました。
BCM/BCPで備えていたモノ・コトは、ほぼ全ての面で役に立ったと思います。
能登半島北部にも私たちの法人の施設があり、通信インフラが途絶える中、インターネット回線でつながるTeams電話だけは使用できたのが大きかったと思います。
苦労したのは食事の提供です。調理にはそれほど多くの水を使いませんが、食器や調理器具の洗浄に多量の水を必要とします。それ以前に厨房機器も壊れてしまったため、患者さんに温かい食べ物を提供するのが遅くなり、しばらくはレトルト食品を提供していました。防災協定を結んでいた三重県の業者から届いたもので、これも事前の協定があったからスムーズに運びました。
準備していたけれど使わなかったのは自家発電機ですが、これは多重防護の最初の段階でとどまったがゆえに使わずに済んだだけで、無駄な備えとは考えません。
事前の備えと、あるものをやりくりして、最初に作ったミッションどおり途切れることなく医療の提供ができたと思っています。
日本のどこであれ、災害は必ず来ます。「来ないだろう」というのは単なる願望でしかありません。私は2007年の地震でも被災し「一生のうちに2度も大きな災害が起こらないだろう」という気持ちもありましたが、残念ながら起こってしまいました。
災害時にも医療を提供し続けなければならない医療機関は全て、備えをしておく必要があります。たとえば「災害が起こったら全員退避」というのも1つの選択肢ではあります。しかし、「退避する」ということや、どうやって退避するかの方法すら決まっていなければいざというときに身動きが取れません。
私たちは、消防や警察と同じように、災害でもサービスを下げてはいけないと思っています。それどころか、災害時には平時の業務に加えて災害医療、自分たちの復旧も同時並行で進めなければならなくなります。仕事は普段の3倍に増えるのです。それに対応するために備えているか、真剣に考えなければなりません。
災害に強い病院にし、備えておくためには多額の費用がかかり、診療報酬だけでは到底賄いきれません。こうした機能の病院を生き残らせるためにどうするのか、国は決めるべきです。また、医療機関は「お金がないから準備できない」と諦めるのではなく、声を上げて地元の自治体や国を動かしていく必要があります。
今回の震災を経て、しばらくはこうしたことの伝道師にならなければいけないかと思っています。
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