従来、治癒が難しいと考えられていた血液のがんの1種「多発性骨髄腫」に2020年6月、新薬が登場。21世紀に入ってから登場した薬によって画期的な進歩を遂げたこの病気の治療法に、新たな選択肢が加わりました。この新薬は、どのように働き、治療をどう変えようとしているのでしょうか。9月9日に東京都内で開かれたメディアセミナー(サノフィ主催)で講演した日本赤十字社医療センター骨髄腫アミロイドーシスセンターセンター長・輸血部長の鈴木憲史先生の話を中心にまとめました。
多発性骨髄腫は日本で3番目に多いといわれる造血器腫瘍(血液や骨髄、リンパ節などに生じる腫瘍)です。日本では人口10万人あたり約5人が発症するとされています。
人間の血液中には、赤血球や白血球、リンパ球、血小板などの細胞が存在しています。多発性骨髄腫ではこの中の「形質細胞」ががん化するのです。がん化した形質細胞は骨髄腫細胞と呼ばれ、骨髄の中で増加していきます。本来、形質細胞には細菌やウイルスなどから体を守る抗体を作り出す働きがあります。
ところが、がん化した骨髄腫細胞の場合、異物から体を守る能力のない「Mたんぱく」を生み出してしまうのです。それによって、貧血、免疫低下、腎障害、病的骨折などさまざまな症状が引き起こされます。
多発性骨髄腫の治療の中心となるのは薬物療法です。先ほど述べたように、21世紀に入ってから登場したボルテゾミブ(一般名)とレナリドミド(同)の併用が、一般的に初めての治療に用いられます。
ボルテゾミブは、がん化した形質細胞である骨髄腫細胞の増殖を抑える薬です。一方、レナリドミドは免疫調整薬といい、体内の免疫の働きを調整して骨髄腫細胞を抑制します。ただ、どちらの薬も徐々に効かなくなる(抵抗性が生じる)ことがこれまでの治療のネックの1つでした。鈴木先生は「再発する可能性が高いとされる多発性骨髄腫の治療では、ボルテゾミブやレナリドミドに抵抗性が生じた際、その次に有効な選択肢が少ないことが問題だった」とこれまでの多発性骨髄腫治療の難しさを語りました。
こうした状況のなか、再発または難治性の多発性骨髄腫の治療薬「イサツキシマブ(一般名)」が製造販売承認を取得しました。
イサツキシマブは、がん化した形質細胞である骨髄腫細胞の表面に存在するCD38という抗原(免疫反応を引き起こす物質)に結合して、腫瘍細胞を直接的に細胞死に誘導します。
もう1つ、イサツキシマブの大きな特徴として、骨髄腫細胞に対する免疫細胞からの攻撃にブレーキをかける(免疫反応を抑制する)酵素の活性を阻害する、つまり免疫の働きに対するブレーキをはずす点が挙げられます。それによって、「骨髄腫細胞が免疫細胞からの攻撃をより受けやすい状態になる」と言います。
こうした既存薬との違いを持つイサツキシマブは、「第2世代の薬」と位置付けられています。
イサツキシマブは今のところ、「再発または難治性の多発性骨髄腫」への効能・効果が認められています。特筆すべきは、既存の治療薬であるポマリドミド(一般名)と併用することでより高い治療効果が期待できる点にあります。
ポマリドミドは、初回の治療時に用いられるボルテゾミブとレナリドミドが効かなくなった際、次に選択される標準的な薬です。再発時のポマリドミド単剤での治療と、イサツキシマブとポマリドミド併用での治療結果を比較した研究では、治療中や治療後に多発性骨髄腫が進行せずに安定した期間の中央値が、単剤では6.5カ月だったのに対し、併用では11.5カ月にもなるという結果を示したとのことです。
これを受け鈴木先生は「イサツキシマブは、多発性骨髄腫治療の切り札である」と述べました。その一方で、「現状では、イサツキシマブは多発性骨髄腫治療の後半に用いる“切り札”であるものの、今後の研究により、治療を制するために序盤から用いる“エース”へと変貌していく可能性も十分にある」と“個人的展望”を語りました。
また、鈴木先生は「もう打つ手がない状況になると患者さんは非常に不安を感じます。しかし、イサツキシマブの登場によって新たな選択肢ができたと伝えれば、患者さんの不安を軽減することにつながるだろう」と言います。加えてイサツキシマブは、骨髄腫細胞の表面に存在するCD38を標的とする既存の薬と比較して、投与(点滴)にかかる時間が短縮される点を強調しました。
既存薬とイサツキシマブは、どちらも定期的な投与を一定期間続けることを「1サイクル」とし、これを数サイクルに分けて実施します。特に1サイクル目はどちらも1週間間隔での投与が必要となります。薬剤投与中に起こる可能性がある「インフュージョン・リアクション」という過敏性反応を予防するために、既存薬を投与する場合は1~3時間前に解熱鎮痛剤などを先行して投与、その後、サイクルの初回であれば7時間ほどかけて点滴を行っていました。一方、イサツキシマブの場合、点滴の15~60分前に解熱鎮痛剤などを投与し、その後初回の場合2時間14分で点滴が完了するといいます。こうした治療にかかる時間の短縮は、患者さんの負担軽減につながります。
鈴木先生は「多発性骨髄腫の制圧が、そのほかの固形がんの治療につながる」と見解を述べました。どういうことでしょうか。
現在ではある程度コントロールが可能になってきた慢性骨髄性白血病は、およそ8つの遺伝子異常が関係していると言われます。一方、多発性骨髄腫の場合には、その3倍以上のおよそ30の遺伝子異常が、そして固形がんではさらに複雑な何百もの遺伝子異常が生じます。固形がんの治癒に挑戦するうえでも、多発性骨髄腫の治癒への挑戦が非常に重要であることが伺えます。
そして、鈴木先生は「イサツキシマブの登場は、多くの患者さんに希望を届けることが期待できます」という力強い言葉で、講演を締めくくりました。
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