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希少・難治性疾患の認知度向上を目指すRare Disease Day 2019 in Tokyo トークセッション「患者の生の声」イベントレポート-前半

希少・難治性疾患の認知度向上を目指すRare Disease Day 2019 in Tokyo トークセッション「患者の生の声」イベントレポート-前半
メディカルノート編集部  [取材]

メディカルノート編集部 [取材]

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「Rare Disease day(RDD)」とは、希少・難治性疾患の認知度向上を目指し、毎年2月の最終日に開催される国際的な啓発イベントです。去る2019年2月28日(木)、東京でも「Rare Disease Day 2019 in Tokyo」が開催されました。

当日は、希少・難治性疾患に関する展示や基調講演、トークセッションなどが開催され、たくさんの来場者で賑わった同イベント。その中から今回は、「RDD日本開催事務局」の事務局長がインタビュアーになり、希少・難治性疾患の患者さんやそのご家族からお話を伺うトークセッション「患者の生の声〜20歳前後の私たちからのメッセージ〜」の様子をお伝えします。

写真中央・マイクを持ち話す津田 明璃さん
写真中央・マイクを持ち話す津田 明璃さん

津田 明璃(つだ あかり)さんは、現在19歳(2019年2月時点)。参加者3名の中で向かって一番左に座り、トップバッターとしてお話ししてくれました。

明璃さんはアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症の患者さんです。ADA欠損症とは、常染色体劣性(潜性)遺伝*と呼ばれる遺伝形式で生じる、生まれつきの病気である原発性複合免疫不全症*のひとつです。4万〜7.5万人に1人の頻度で発症するといわれている原発性複合免疫不全症のうち、約15%がADA欠損症といわれています。

ADA欠損症の患者さんには、ADA酵素が欠損していることにより、全身の代謝不全が現れ、感染症にかかりやすくなってしまったり、体重が増えなかったりなどの特徴があります。また、難聴やけいれんなどが現れる可能性もあることがわかっています。

明璃さんも中耳炎や難聴、気管支炎肺炎などの感染症を何度も引き起こし、入退院の生活を繰り返したそうです。

常染色体劣性(潜性)遺伝:一対の遺伝子の両方に変異が存在するときにのみ病気が発症する遺伝形式を指す

原発性複合免疫不全症:細菌やウイルスなどの病原体に対する防衛反応である免疫系のいずれかの部分に生まれつき欠陥がある病気の総称

周囲との違いを感じたのは、明璃さんが小学生のときのこと。「小学4年生のときに、周りの子は成長期で大きくなっていくのに、自分は身長が伸びなかった。成長の仕方が周りとは違うかもしれない」と感じたと話してくれました。

「その頃から体調がどんどん悪くなっていって、ごはんを食べられなくなっていきました。ごはんを食べてもすぐにもどしてしまうということを何度も繰り返していて、小学5年生のときに入院したときは、起き上がれないくらいの状態でした。」

そして入院してわかったことは、病気のために体に毒素が過剰に溜まっている状態だということ。主治医が輸入した未承認薬で1〜2週間に1回治療を続けていくうちに徐々に回復していったそうです。

明璃さんは、19歳になった現在も、大学へ通いながら週に1回の通院を続けています。「昔と比べて熱が出る回数は減ったのですが、粘膜が弱いので口や喉に口内炎ができたり、耳が痛くなったりすることがあります。口内炎は薬を塗って治るのを待つしかない状況です。他にも、ごはんを食べるとお腹がすぐに張ってしまったり、腸全体がキリキリとねじれるように痛くなったりすることもあります。そのときも薬を飲んで回復するのを待つしかありません。」

感染症にかかりやすいという特徴も子どもの頃と変わらないため、基本的に感染症予防のためにマスクをして生活しているそうです。

大学では心理学を精力的に勉強されている明璃さん。きっかけはご自身の病気でした。「大学では心理学を専攻していて、将来は自分と同じように病気で苦しむ方の心のケアをしたいと思っています。小学1年生のとき、遺伝子治療*を受けたときに仲良くなった白血病の男の子が亡くなったことを知りました。そこで初めて、『病気=治らない』と感じるようになって、苦しくて不安な気持ちでいっぱいになったことがあります。でもそれをわかってくれる人、同じ気持ちをもつ人が周りにいなかった。だから、同じ経験をした自分なら、その気持ちをわかってあげられるんじゃないかなって。」

そんな思いをもつ明璃さんにとって、大学での勉強はとても楽しいそうです。「特に心理学の授業では、生き生きとした自分になれます」と話してくれました。

遺伝子治療:異常な遺伝子をもつためにはたらきが悪くなっている細胞の欠陥を修復する治療法

写真中央・マイクを持ち話す吉田 彩芽さん
写真中央・マイクを持ち話す吉田 彩芽さん

明璃さんと同じく、現在19歳の吉田 彩芽(よしだ あやめ)さん(2019年2月時点)。彩芽さんはポンペ病の患者さんです。ポンペ病とは、エネルギーのもとになるグリコーゲンを分解するはたらきのある酵素「α-グリコシダーゼ」が分泌されなかったり、少なかったりするために発症する遺伝性の病気です。筋肉のはたらきが悪くなり、運動障害や呼吸不全など、全身にさまざまな症状が現れます。

ポンペ病は、40万人に1人の頻度で発症するといわれており、2001年の調査では、日本には29名の患者さんがいると報告されています。

彩芽さんが正式にポンペ病と診断されたのは5歳のときだそうです。その前に3歳のときに、筋ジストロフィー*という病気を疑われたことがあったとのこと。診断された当時は治療法がない状態だったそうですが、彩芽さんが小学生のときに症状を和らげる治療法が日本で認められるようになりました。

筋ジストロフィー:筋肉が壊死することによって筋力が低下し、運動機能障害などが現れる病気

まずは自身の症状について詳しく話してくれた彩芽さん。「ポンペ病は、体の中の酵素が足りないことで、どんどん筋力が落ちていき車椅子に乗らなくてはいけなくなり、最後は寝たきりになってしまう病気です。中学2年生の頃に筋力が落ちてきて、それまでできていた走ったりジャンプしたりすることが難しくなりました。腕立てふせをするのも難しくなりました。途中で力が入らなくなるんです。」

中でも、現在、もっとも弱ってきていると感じるのは、足だといいます。「病気は全身に影響が及びますが、一番力が入らなくなるのが足なんです。あまり長く歩きすぎると力が抜けてしまいます。」

現在も2週間に1回の頻度で点滴治療を受けている彩芽さん。点滴の時間は5〜6時間あるので、その間は読書をしたりラジオを聞いたりして過ごしているそうです。他にも、整骨院でリハビリも行っています。

現在は高校を卒業し、グループホームでひとり暮らしをしている彩芽さん。彩芽さんにとって、高校は「かけがえのない場所」だったそうです。「友だちとコミュニケーションがとれて、みんな優しくて何かあったときには助けてくれました。先生たちもいい人ばかりでした。そこで夢を叶えようって思うようになりましたね。」

彩芽さんの夢はピアニスト。ピアニストの夢については、トークセッション後半でも詳しく話してくれました(記事2『希少・難治性疾患の認知度向上を目指すRare Disease Day 2019 in Tokyo トークセッション「患者の生の声」イベントレポート-後半』参照)。

夢を実現するためにも「寝たきりにだけはなりたくないですね」と語る彩芽さん。現在はまだ自身が思っているよりも歩けているそうです。それは歩行の検査をしたときのこと。「6分間で500メートル近くも歩けていて、びっくりしました。」

大事なイベントの前日には、疲れが残らないように外出せずに自宅にいるようにするなどの工夫を行っているそうです。疲れると足から力が抜けてしまい、怪我につながってしまうことがあると話してくれました。

写真中央・マイクを持ち話す相良 美香シェラニーさん
写真中央・マイクを持ち話す相良 美香シェラニーさん

相良 美香(さがら みか)シェラニーさんの弟さん、通称「むねちゃん」は、進行性骨化性線維異形成症(FOP)の患者さんです。むねちゃんは現在12歳(2019年2月時点)。身長は年齢の割には小柄な約120センチ。この春から中学1年生になるそうです。

進行性骨化性線維異形成症とは、幼少期から徐々に全身の筋肉や周辺の組織が骨に変わり(骨化(こつか))、関節を動かすことができる範囲が狭くなったり、背中が変形したりする病気です。200万人に1人の頻度で発症するといわれており、日本では、60〜84名の患者さんがいると推計されています。怪我や手術がきっかけで骨化が進行することもあると考えられています。

年齢が8歳離れている美香さんとむねちゃん。「病院で初めてむねちゃんを抱っこした日のことも覚えている」という言葉からも、幼い頃から弟さんを可愛がってきた優しいお姉さんであることがうかがえました。

「病気が発見されたり、進行したりっていうことに関する記憶は、すべてではありませんがよく覚えています。弟は骨化が進行し心臓と肺の近くまで骨化が及んでいて、圧迫されてすぐに呼吸が苦しくなってしまうので、家では酸素の機械をつけて管をいつも耳にかけています。移動のときや学校でも、酸素ボンベを常に持ち歩いて生活しています。」

現在は、主に薬によって症状を和らげる治療を行い、また、骨化の影響で耳が聞こえづらくなってしまっているために補聴器もつけているそうです。

「補聴器がずれていると呼んでもまったく聞こえなくなってしまうので、きちんと補聴器が入っているか必ずチェックしなくてはいけない状態です。また、体が小さいために胃もとても小さいのですぐにお腹がいっぱいになってしまいます。基本的に食事は、少ない量をこまめにとっています。弟は骨化が体全体に広がって腕も上がらないですし、背中もかなり曲がっている状態なので、お風呂やトイレもひとりではできません。常にすぐ近くにいて、何かしてあげることが必要になります。」

弟さんは、普通学級に通い、体育のときなど必要に応じて支援学級に移動しながら小学校生活を送ってきました。「学校が終わったら、私か母が学校まで迎えにいくか、たまに支援学級の学童に行っています。そちらで宿題をやってから帰宅して、帰ってからまず夕食1回目をとって、宿題や勉強をしています。」

弟さんは勉強が好きで、自分から積極的に予習復習に取り組んでいるそうです。「夕食の後に勉強してしばらく経ったら休憩がてらゲームをして、その後に夕食2回目をとります。その後は勉強やお家の手伝いをして、寝る前に少なめの3回目の夕食を食べてから薬を飲んで寝るという生活を送っています。ただし、呼吸が苦しいために夜寝ている途中も起きてしまうことがあります。夜中に2~3回『苦しい』って言いながら起きて、呼吸を取り戻してから寝ることが多いですね。」