人との縁に支えられて、ここまでやってきた

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人との縁に支えられて、ここまでやってきた

縁に身を委ねキャリアを重ねてきた瀬戸泰之先生のストーリー

国立がん研究センター中央病院 病院長、元東京大学医学部附属病院 胃食道外科 科長
瀬戸 泰之 先生

「瀬戸は上部消化管がよさそう」専門分野を決めたのは友人の一声

父も医師で、秋田県内で総合病院の院長をしており、医師という職業は幼少時から身近な存在でした。そうしたこともあって、医師を志したのはごく自然ななりゆきであったと思います。

私が東京大学医学部を卒業した当時、現在でいう「初期研修」という制度はなく、研修医は大学卒業と同時に医局に入局し連携施設や病棟に勤務するのが一般的でした。私も例に漏れず、医局に属しながら計5年の間、臨床研修に明け暮れる日々を送りました。

6年目以降は当時の第一外科(大腸・肛門外科、血管外科)に所属しました。私は現在でこそ上部消化管(特に食道)を専門にしていますが、実はこの領域を選んだ理由は特にありません。しいて言えば、当時の同期の医師たちに「瀬戸には上部消化管が合っている」といわれたことくらいでしょうか。

当時、第一外科には私を含め9名の研修医がいました。研修が終わりを迎える頃、それぞれが自分の進む研究グループを決めることになるのですが、「自分は肝胆膵外科に行く」「私は大腸外科に進む」などと進路を話し合う中で、友人から「瀬戸は上部消化管がいいんじゃないか」といわれました。

私は「へえ、そうなのか。ならそうしよう」と素直に受け止め、そのまま上部消化管を専門にしました。当時の仲間との何気ない会話の中で、私は上部消化管の道を進むことになったのです。

この友人の一声がなければ、私が消化管外科医になることはなかったと思います。

多くの病院を転々としながらも舞い戻った東京という場所

今は東京大学の教授に就いているので、ずっと東京大学でキャリアを積んだように思われるかもしれませんが、実はずっと東京大学にいたわけではなく、別の病院や他県の病院を転々としています。

1984年に東京大学を卒業した私は、先にお話ししたように東大の医局に入り研修をしました。そして、1992年には東京大学を離れ、チーフレジデント(専門修練医)として国立がんセンターで勤務します。そこで胃がんの最先端手術を1年間学びました。東京大学に戻ってからは第一外科の医局長として医局を取りまとめていました。

39歳のとき、当時の旧第一外科の教授に旧第三外科への移動を指示され、第三外科講師に就任します(後から聞いた話ですが、当時第三外科教授の上西先生から「瀬戸を講師として第三外科に招きたい」という依頼があったそうです)。

その後、第三外科でのキャリアから離れ、私は地元である秋田に戻ることにしました。父親が院長である総合病院をできれば継ぎ、秋田で地域医療に専念しようと考えていたのです。意外に思われるかもしれませんが、そのときは再び東京に戻ってくるつもりはありませんでした。

しかし、人生には思いもよらないことが起きるものですね。私が秋田で働いている頃、癌研病院で食道疾患を担当されていた先生が辞められることになりました。それをきっかけに私の人生の風向きは大きく変わっていきます。

当時、私が医局長時代に東京大学第一外科の教授だった武藤 徹一郎先生が癌研病院の副院長を勤められており、「ちょうど秋田に瀬戸という奴がいる」と私をその後任に推薦してくれたと聞いています。

また、これも偶然なのですが、私の父親の出身大学の後輩にあたる高橋俊雄先生の弟子である山口俊晴先生も癌研病院におられ強力にサポートしてくれたのです。

こうした縁があって秋田にいた私は再び東京に戻り癌研病院に着任します。2003年、私が44歳のときのことです。

私が食道外科を専門にしたのも「縁」ありきといえるかもしれません。東京大学では上部消化管全般を手掛けていましたが、食道がん手術は症例数自体が胃がんと比べて多くありません。ですから食道疾患の手術を多く行っているというわけではありませんでした。

しかし、そもそも癌研病院に来たきっかけが食道を担当されていた先生が辞められたからです。その後、自然の成り行きで食道外科の専門になっていったのです。「縁」としか言いようがありません。

こうして国立がんセンターと癌研有明病院という2つの癌研施設に通算6年間勤務し経験を積んだのち、また別のご縁があって東京大学に帰ってきました。

人との縁があるから今の自分がある―私が医局に入ることを勧める理由

同級生に言われるままに上部消化器を専門とし、第一外科だった私が上西先生に声をかけていただき第三外科に移り、秋田に行ったにもかかわらず縁によって癌研病院のある東京に戻り、そこで流れのままに食道を専門にし、再び母校に戻り、気がつけば教授になっている。振り返ると、つくづく私のキャリアは人との縁に支えられてきたのだと感じます。

人と人とのつながりは、どこでどう「縁」になるか予想もつきません。

たまたま担当医がいなかった食道外科に呼ばれ、食道疾患の治療に専念していなければ、私の医師としての経歴は全く異なっていたはずです。医局を中心とした医師の世界の狭さには驚愕するものがありますが、こうした狭い世界だからこそ、人と人とのつながりが自然と形成されます。これは医局の素晴らしい側面だと思います。

私は同じ医局にずっと在籍していたわけではなく、むしろ医局に所属していた期間は短いです。そう考えると異色なキャリアといえるかもしれません。それでもこれだけの「縁」に支えられてきました。「縁」とは非常にありがたく、独力でなかなかに得難いものです。

縁のおかげで私はここにいる。だからこそ若い医師との縁は大事にしたい

医局に対してネガティブなイメージを持つ若い医師もいるかもしれませんが、悪いことばかりではありません。医局に入ると皆が知り合いになります。例えば私が所属している旧第三外科ひとつをとっても何百人規模の同窓会があり、外科全体となると2000人以上のつながりができるのです。

私も若い医師との縁を大事にしたいと思っていますし、医局に入ることは、こうしたネットワークの構築を意味します。何気ないと思っていた縁から、人生を変えるキャリアがつくられる。ですから一人で悩まず、怖がらずに、医局の門を叩いてみてください。

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