24時間365日、プロの外科医として

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24時間365日、プロの外科医として

“患者さんのために”という強い思いを持って日々を過ごす宝来 哲也先生のストーリー

国立国際医療研究センター 心臓血管外科 科長、北里大学医学部 診療准教授
宝来 哲也 先生

医師になると決心しきれなかった高校時代

物心ついた頃にはすでに、医師になるという選択肢を持っていたように記憶しています。祖父も父も内科の勤務医だったため、自分も医師になるのかなと幼心になんとなく考えていたのです。しかし、年齢を重ね別の学問を知るにつれて、興味がある分野も増えていきました。高校生のときには思春期も重なり“医師にはならない”と思っていた時期もあります。当時は建築家や物理学者、数学者、小説家などになりたいと考えていましたね。そういったほかの分野への興味も強い一方で、やはり最終的には医師になるという選択肢も捨てきれずにいました。

そこで私は、東京大学の理科三類へ進もうと決めました。東京大学では、入学から2年間は全員が教養学部に所属し、あらゆる学問分野の基礎的な知識を学びます。そのうえでどの学部へと進むかを選択するのは2年次になるため、大学入学時点で自身の進路を狭めなくてよいと考えたのです。

「人と人とが接するのが医学だ」と教えてくれた父

大学入学後も、相変わらず物理学や数学は私にとって面白い学問であり続けました。しかし、それと同時に自分にこれらの学問を突き詰めていく能力はあるのかと疑問を抱きました。物理学や数学を読み物として学んでいくことは非常に魅力的ではあるものの、いざ自分が学者になったとき、それらをさらに深掘りして自分の想像を超えるようなものを証明することができるのか、と。そう考えたとき、ある言葉が思い浮かんだのです。

それは、私が大学受験のときに父からかけられた言葉でした。実は私は大学受験時、東京大学の理科三類のほか慶應義塾大学医学部の入学試験も受けていました。当時、1次試験突破後には面接があったため、面接に向けてのアドバイスとして、私に対して父が「医学は人と人とが接し、人が人を治す学問なんだ。それを頭に置いたほうがいいよ」と声をかけたのです。その言葉を伝えたことを父は忘れていると思いますが、私にとってその言葉は非常に印象的で、ずっと頭の片隅に残っていました。私はその言葉の意味をあらためて咀嚼(そしゃく)し、数式などを前に黙々と研究を行うよりも、人と接しながら学びを深めていく医学、医師のほうが自分には合っているのではないかと気付いたのです。

自身の技術が患者さんの状態を左右するところが難しさであり魅力でもある

こうして医学部に進んだ私は、次に、どの領域を専門分野にするかという選択を迫られました。祖父も父も内科医という環境で育ったものの、漫画“ブラック・ジャック”が好きだったこともあって外科医への憧れが強く、外科へ進むことを決めました。そして、医学部卒業後、3年ほどは一般外科医として勤務し、胃がんや胆石の手術をはじめとして、専門に捉われず外科全般の経験を積みました。

そうした経験をするなかで、がん手術の予後はがん自体の進行具合に左右される部分が大きいと感じたのです。その一方で、心臓の手術はしっかりと弁を付け替えたり、形成をしたり、血管を繋いだりと一つひとつの技術の高さと判断の適切さが患者さんの状態を左右します。そのうえ心臓手術では、心臓を止められる時間が限られているため、その制約のなかでいかに早く、そして的確に判断して手を動かすかという要素も加わります。こうしたことから、心臓血管外科は外科領域のなかでも特に技術力で勝負ができる領域だと考えると同時に大きな魅力を感じ、心臓血管外科医となることを決意しました。

自身の技術力が重要な分、治療の難しさや、患者さんを受け持つことの責任の大きさを感じる場面が多々ありますが、腕を磨けば磨くほど救える患者さんが増えるという点では、非常に大きなやりがいにもつながっています。

宝来 哲也先生

アメリカ留学での経験は大きな自信に

心臓血管外科医としての私にとって1つの転機になったのが、アメリカへの留学経験です。私が医師になってから7年ほどが経過した頃には、ある程度の数の手術は経験させてもらっていました。しかし、心臓血管外科医は技術力が非常に重要だと考えていたこともあり、スキルアップのために、より多くの手術を経験できないかと漠然と考えていたのです。そのとき、当時からアメリカに留学されていた先輩の高山(たかやま) 博夫(ひろお)先生(現・コロンビア大学胸部外科)とお話しする機会がありました。高山先生から「それならアメリカに留学するのがいいんじゃないか」と言われた私は、思い切ってアメリカへの留学を決めました。

留学後は初めこそ言葉の壁に戸惑い苦労したものの、自身の技術が十分に通用すると知ることができた点は大きな自信になりました。結局、そのまま7年ほどアメリカで心臓血管外科医としての経験を積み、当時の日本ではまだ症例数が少なかったロボット支援下の手術やカテーテルを用いた弁置換手術などを実際に目にできたことも、非常に勉強になったと感じています。

よりよい医療のためにプロフェッショナリズムを追求し続ける

私自身が医師としてもっとも大切にしており、後進への指導時にもよく口にしているのが「24時間365日、常にプロフェッショナルであれ」という言葉です。当然ですが、自分の体調が悪いからといって手術をおざなりにするということはあってはいけませんし、患者さんが一番よい医療を受けることに貢献しなければなりません。働き方改革が叫ばれる世間の流れには逆行しているかもしれませんが、私自身はどんなときでも患者さんのために病院に行き、空いている時間には常に患者さんや手術のことを考えてレベルアップを図るような“24時間365日、プロの外科医”でありたいのです。

また、人生が出会いの連続であるように、患者さんと医師にも巡り合わせや出会いがあります。だからこそ、「先生に出会えて、手術をしてもらえてよかった」と言っていただけると非常に嬉しく感じますし、そう言われるにふさわしい医師でありたい。自分の家族や自分自身が患者さんの立場になったつもりで考えることで自然と、患者さんにこうしてあげたい、こうしたら患者さんのためになるのではないかと親身になることができるので、その視点は常に心がけていますね。

ベッドサイドに足を運び“患者さんを診る”ことの重要性

もう一点、私が後進に大切にしてほしいと考えていることがあります。それは“ベッドサイドに足を運び、実際に患者さんを診ること”です。以前と比較してCTやMRIなどをはじめとした検査機器の性能は非常によくなってきています。そのため、それらの画像や血液検査などの結果だけを見れば多くのことが分かります。しかし、それでも私は手術前後には必ず患者さんと目を合わせて会話をし、触診や聴診を行うことが重要だと考えているのです。はっきりと言葉にはしづらいのですが、患者さんの具合が悪くなる前には何かしら“不穏な空気”を感じることがあります。こうした微妙な変化はやはり患者さんを直接診るからこそ感じ取れるものであり、また、それを感じ取れるようになるまでにも一定の期間と経験を要すると思います。こうしたことが、まさに父から言われた「人と人とが接すること」なのかもしれません。今後も、患者さん一人ひとりとの出会いを大切にしながら“プロの外科医”として患者さんに接し、治療に尽くしていきたいと思います。

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