近年、日進月歩で発展しているがんの薬物治療。現在では、「がんゲノム医療」の登場によって多くの遺伝子の異常を調べて治療に役立てることができるようになってきました。がんゲノム医療では、がんの遺伝子変異に基づいて治療薬を検討することにより、一人ひとりの患者さんに合ったがんの薬物治療を検討することが期待できます。今回は、がんゲノム医療にいち早く取り組んでこられた北海道大学病院がん遺伝子診断部長・教授の木下一郎先生に、がんゲノム医療の展望や課題についてお話を伺いました。
がんゲノム医療とは、患者さん一人ひとりの遺伝子情報に基づいて行うがん治療です。がんの多くは、正常な遺伝子に複数の傷がつくことによって生じるといわれています。そこで、がんの組織から一度に100以上の遺伝子の異常を同時に調べられる「がん遺伝子プロファイリング検査(がん遺伝子パネル検査)」によってどの遺伝子が変異しているかを調査し、その遺伝子変異に合った治療薬を用いることで、その人に合わせた治療を行うことができます。
2021年現在、がんゲノム医療は全国にあるがんゲノム医療中核拠点病院、がんゲノム医療拠点病院、がんゲノム医療連携病院を中心に行われており、今後より多くの医療機関で行われることが期待されています。今のところ保険収載されたがん遺伝子プロファイリング検査は「OncoGuide NCCオンコパネル 」および「FoundationOne CDxがんゲノムプロファイル」の2種類です。保険適用の対象となるのは、固形がんで標準治療が終了している方や終了見込みの方、標準治療のない希少がんの方に限定されており、全身状態などに応じて検討されることが一般的です。
がんゲノム医療の登場により、これまで臓器別・組織型別に行われてきたがん治療に「遺伝子変異別」という新しい軸が登場し、治療の選択肢が増えてきました。たとえば、NTRK(エヌトラック)融合遺伝子の変異によるがんは大腸、肺などさまざまな臓器で見受けられることがありますが、どの臓器に生じた場合でも同じNTRK阻害薬を投与することで改善が期待できる可能性があります。このようにがんのできた部位が違っても、同じ遺伝子変異を持つがんに対しては同じ治療薬が効果を示す可能性があるのです。
もちろん、同じ遺伝子変異を持つがんでも臓器が違えば治療薬が効きにくい場合もありますが、今後も開発を進めることによって遺伝子変異別の治療薬が増加し、薬物治療の幅が広がることが期待されています。
一方で、がんゲノム医療にはさまざまな課題もあります。
まず1つ目は、がん遺伝子プロファイリング検査を行ったとしても、必ず候補となる治療薬が見つかるわけではないということです。検査をしても、実際に効果が期待できる治療薬が見つかるのは半数程度といわれています。
また、候補となる治療薬があっても治療が受けられない可能性もあります。がん遺伝子プロファイリング検査で候補となる治療薬のほとんどは未承認薬・適応外薬ですので、治験や臨床研究に参加して治療を行うことが一般的です。しかし、その時に参加できる治験や臨床研究がなければ、治療を受けることはできないのです。そのため、実際にがん遺伝子プロファイリング検査の結果に基づいた治療が受けられる方は10~20%というのが現状です。
2つ目の課題として、遺伝性腫瘍に対するフォローアップ体制が十分ではないことが挙げられます。がん遺伝子プロファイリング検査を行うと、およそ5%の確率で遺伝性腫瘍と関連のある遺伝子変化が見つかります。遺伝性腫瘍に関与する遺伝子変化を持っていた場合、早期発見のための検査や予防的な治療を受けられることを、リスクの高い家族へ事前に説明ができることなどのメリットもあります。
しかし「がんにかかりやすい」という不安を抱えることになるのはもちろん、日本は遺伝性腫瘍に対する法制度が十分とはいえないため、就職・保険の契約など社会的な活動に悪影響が及ぶ可能性などのデメリットも考慮しなければなりません。担当医師に加え、遺伝カウンセラーともよく話し合って今後の対応を決定することが大切です。
また、3つ目の課題として、検査の対象となる患者さんがかなり限られてしまうことが挙げられます。現在がん遺伝子プロファイリング検査は、固形がんで標準治療の終了した方や終了見込みの方、標準治療のない希少がんの方でなければ保険診療で受けることができません。そのため、検査を受ける頃にはがんが進行していたり、全身状態がよくなかったりして、結果的に治療を受けられない患者さんもいらっしゃいます。がんゲノム医療には多大な医療費、人件費がかかるため、国民皆保険という日本の特性上難しい部分もあると思いますが、今後はより早くがん遺伝子プロファイリング検査を受けられるようになり、より健康な状態で治験や臨床研究に参加できる患者さんが増えることを願っています。
北海道大学病院はがん遺伝子プロファイリング検査が保険収載される前の2016年より「がん遺伝子診断部」を設置し、自由診療によるがん遺伝子プロファイリング検査にいち早く取り組んできました。2018年には厚生労働省より「がんゲノム医療中核拠点病院」に指定されたため、北海道内の連携病院と協力しながら保険収載後のがんゲノム医療に取り組んでいます。さらに、当院は「臨床研究中核病院」「小児がん拠点病院」でもあるため、治験・患者申出療養の推進や、希少がんや小児がんなどの患者さんに対するがんゲノム医療にも取り組んでいます。
このような当院が持つさまざま役割や特性を生かし、これからもより多くの患者さんにがんゲノム医療を届けるための取り組みを行っていきたいと思います。
北海道大学病院 がん遺伝子診断部 部長・教授、同 腫瘍内科 (兼任)、同 腫瘍センター (副センター長、兼任)
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