
視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD: Neuromyelitis Optica Spectrum Disorders、以下本記事では視神経脊髄炎と記載)とは、本来異物を排除して体を守るための免疫システムが、誤って自分の体を攻撃することにより起こる“自己免疫疾患”の1つで、難病に指定されています。ソプラノ歌手の坂井田 真実子さんはこの病気を発症し、一度は「一生車椅子かも」との宣告も受けました。しかし、リハビリテーション(以下、リハビリ)を重ねてステージに復帰し、視神経脊髄炎の患者会を設立して活動されています。「今の自分が好き」と語る坂井田さんに、ご自身の経験や患者会の活動にかける思いを伺いました。
私が視神経脊髄炎を発症したのは2016年6月、37歳のときのことです。1か月くらい前から、太陽の光をまぶしく感じる、二の腕の後ろ側にピリピリした違和感がある、しゃっくりが止まらないなどの症状があり、37℃くらいの微熱も続いていました。でも、仕事が忙しい時期だったので気のせいかな……と思っていました。
ある日、高熱が出て息ができないほど胸のあたりが痛くなり、夜間に病院を受診しました。しかし原因は分からないまま、翌日の朝、帯状疱疹の疑いで同じ病院の皮膚科を受診しました。副腎皮質ステロイド(以下、ステロイド)の投与を受け、いったん自宅に戻ったのですが、熱は下がらず痛みはよくなるどころかひどくなる一方でした。痛すぎて身の置き所がなく、ベッドやふとんに横になっていることができないのです。夕方になり、もう一度頑張って病院に行こうとしたときには、もう体が動かなくなっていました。病院に着いてからは、目を閉じていても光がまぶしくて耐えられず、目の上にタオルをのせていました。MRI検査のために撮影用ベッドに横になり、装置の中に入ると体がガタガタと震え始めました。私の記憶があるのはここまでです。その後、目が覚めるとHCU(High Care Unit、高度治療室)にいて、胸から下がまったく動かない状態になっていました。
翌日、家族とパートナーが病院に呼ばれ、一緒に医師からの説明を聞きました。私が本当に運がよかったのは、入院した病院の神経内科の先生がMRI画像の所見と年齢、性別から、視神経脊髄炎の可能性があることに気付いてくださったことです。確定診断のためには検査の検体を別の施設に送る必要があり、結果が判明するまで2週間ほどかかる見込みでした。しかし、私はその時点ですでに横隔膜の神経が侵されていたので、あと数分遅かったら呼吸ができなくなっていたかもしれません。「人工呼吸器を使用する可能性があります」という書類に署名し、確定診断を待たずすぐに治療が始まりました。
私は国立音楽大学大学院を修了してから、ソプラノ歌手としてのキャリアを歩んできました。ロータリー財団奨学生としてイタリア・ボローニャに留学した後、2013年には文化庁新進芸術家在外派遣員としてオーストリア・ウィーンへ派遣されました。視神経脊髄炎を発症したのはウィーンから帰国して、歌手としてのキャリアが本格的に始まろうとしていた矢先のことでした。
医師からは、再び舞台に立つことは難しいかもしれない、一生車椅子かもしれないとの説明や、当時60歳代だった私の母に「娘さんのお世話をするために介護の勉強をしてください」といった話もありました。でも、私は全然悲しくありませんでした。本当に普通に「あぁそうですか」と受け止めたことを覚えています。後述しますが、私には大きな支えがあると感じていたからです。
初発時は第2頸椎(C2)から第10胸椎(T10)まで炎症が生じていました。そのため、告知直後からステロイドパルス療法*1を計7クール受けました。加えて、血漿交換療法*2を7回以上、そして血漿免疫吸着療法*3も行いました。入院していた病院には使用する血漿吸着装置の在庫がなかったそうで、先生が取り寄せて行ってくださったことをよく覚えています。
HCUには10日間くらいいて、その後一般病棟に移りました。治療の選択にあたっては医師とよく話し合いました。私は歌手として活動しており、発症する前に自身で企画していたコンサートがあったのです。そのため「そのコンサートに出たい」と医師に希望を伝え、それを治療の目標にすることにしました。当時はステロイドの副作用も出ていたので「顔があまりむくんでいない状態でステージに立ちたい」と正直に伝えました。医師は私の気持ちを受け止めてくださり「ステロイドパルスは早めに行い、その後のステロイドも早めに減らしていきましょう。ステロイドによって感染リスクが高まるので、多くの人と接するときは感染対策をしっかり行いましょう」といった話をしてくださいました。納得して治療を受けられたことを感謝しています。
*1ステロイドパルス療法:多量のステロイドを投与することで、強力に炎症を抑える治療法。効果が乏しい場合は繰り返し行うこともある。
*2血漿交換療法:血液中の病因物質を除去するため、血液から血漿を分離して取り除き、健康な人の血漿と入れ替える。
*3血漿免疫吸着療法:血液から血漿を分離し、そこに含まれる病因物質を血漿吸着装置で吸着して除去する。
一般病棟に移ったときは病気によって体幹を失っていたので、まったく歌うことができない状態でした。再びステージに立つために歌を歌える場所を確保してほしいと病院にお願いし、ピアノがある部屋を使わせていただけることになりました。車椅子に座っても姿勢を保持できず倒れてしまうので、ひもを使ってたすき掛けで背もたれに体を固定する必要がありました。ピアニストであるパートナーが毎日病院に来てくれ、ピアノを弾いてもらって歌う練習を繰り返したのです。「坂井田さん、歌えていますよ」と言っていただけることもあったのですが、自分が思っているような声とはまったく違っていて、悔しい思いでいっぱいでした。
最初に入院した急性期の治療を行う病院には2か月、その後別の病院に転院して5か月リハビリを続け、発症する前に企画していたコンサートも開くことができました。
ステロイドと免疫抑制薬で再発予防の治療を行っていましたが、2023年3月に初めての再発がありました。2月ごろから左手のしびれやいつもとは違う胸のあたりの痛みがあり、MRI検査と髄液検査を行ったのですが異常は認められませんでした。しかし、その後左足にしびれが出てきて、靴下を履こうとしても車に乗ろうとしても足が上がらないのです。再度受診してMRI検査と髄液検査を行った結果、第1胸椎(T1)から第2胸椎(T2)に炎症が確認され再発と診断されました。明らかに感覚としては“おかしい”にもかかわらず、それがなかなか検査結果として現れなかったのです。同じような経験はほかの患者さんからも困り事として聞くことがあります。このときは入院して、ステロイドパルス療法を2クール、それに血漿交換療法を3回、血漿免疫吸着療法も受けました。
その後、再発予防の治療を生物学的製剤*に変更したのですが、2024年10月に2回目の再発がありました。このときは8月ごろから右足の指に違和感が、左手の指にしびれがあり、医師と相談して経口ステロイドを増やして様子をみていました。しかし症状が治まらず、MRI検査を受けたところ第8頸椎(C8)に小さな炎症がみつかり、再発との診断でした。このときは仕事のスケジュールが詰まっていたため、医師と相談して入院はせず通院でステロイドパルス療法を受けました。
*生物学的製剤:生物が生み出すタンパク質などの物質を利用してつくられた薬。
視神経脊髄炎は一生付き合っていく必要がある病気です。今も痛みは常にあります。私の場合は、胸のあたりを熱した剣山でガリガリ引っかかれているように感じます。肌に服が触れるだけでも、エアコンの風が当たるだけでも痛みが強くなります。その影響でひどく疲れを感じますし、鎮痛薬の副作用によって頭がぼーっとしてしまうこともあります。排泄障害や頭痛、目の痛み、感覚障害などもあり、運動障害で長い距離を歩くのは難しいため外出時は車椅子を使用しています。でも、私は視神経脊髄炎になった後の自分のほうが好きなのです。
なぜなら、世の中にはこんなにも支えてくれる人がいるのだと思えるようになり、患者会の活動などを通じてたくさんの素敵な方々に出会うことができたからです。病気をどのように捉えるかは本当に人それぞれだと思います。ただ、この視神経脊髄炎という病気を新しいピースとして、自分の人生のパズルに組み込むことができると、少し見え方が変わってくるかもしれません。
私にとって大きな支えになっているのはやはり歌です。歌うことは仕事として日々の糧を得る手段でもありますが、練習を重ねることで上達していくものなので体調を見直す指標にもなります。リハビリを重ねて新しい歌を歌えるようになることは本当によいものだと感じます。
2021年10月には日本視神経脊髄炎患者会を立ち上げました。すこし大げさな表現かもしれませんが、私にとって患者会の活動は“使命”のようなものであると感じています。
始まりは2020年6月のあるつぶやきでした。視神経脊髄炎は多発性硬化症とはまったく異なる病気なのですが、指定難病としては共に13番とされています。当時、World MS Day(世界多発性硬化症の日)はすでにあったのですが、視神経脊髄炎の日はありませんでした。その素朴な疑問をTwitter(当時)に投稿したところ、MSキャビン*1の理事長 中田 郷子さんが反応してくださったのです。瞬く間にさまざまな扉が開き、2020年から10月24日が「視神経脊髄炎(NMOSD)の日*2」となりました。
*1MSキャビン:多発性硬化症や視神経脊髄炎、MOG抗体関連疾患の情報提供を行っているNPO法人。理事長の中田さんは多発性硬化症の患者。
*2視神経脊髄炎(NMOSD)の日:10月24日は1894年に最初に視神経脊髄炎を報告したフランスの神経内科医ユージン・デビック先生の誕生日。
*3日本多発性硬化症ネットワーク:多発性硬化症を診療する専門医を中心に設立されたNPO法人。日本における多発性硬化症や視神経脊髄炎の診療レベル向上や治療薬開発の促進を目指して活動している。
私が発症した2016年ごろ、視神経脊髄炎の患者は全国で約4,000人といわれていたのですが、最近の調査では約6,500人まで増えています。それにもかかわらず、当時、日本には視神経脊髄炎に特化した患者会はありませんでした。ちょうど製薬会社の方と共同でいろいろな企画を検討し始めた時期でもあり、Rare Disease Day(世界希少・難治性疾患の日)事務局の西村 由希子さんも「視神経脊髄炎の患者会をやるなら真実子だと思うよ」とおっしゃってくださいました。まわりに背中を押してくださる方が多く、「じゃあ立ち上げてみようか」ということになったのです。
患者会では、“スラッシュ(/)問題”の解決に向けて取り組んでいます。“スラッシュ(/)問題”とは、難病指定において視神経脊髄炎が「多発性硬化症/視神経脊髄炎」とされていることによって生じている弊害です。スラッシュで区切られてはいるものの、両者が指定難病13番と一括りにされていることで誤解を招き、さまざまな困り事につながっています。2023年に厚生労働省が募集したパブリックコメントでも「別の疾患として扱ってほしい」「視神経脊髄炎なのに区の担当者に多発性硬化症と誤解された」「疾患が併記されていることの影響で介護施設の入所を断られた」など多数の意見が寄せられました。患者会としてはスラッシュを取ること、すなわち視神経脊髄炎単独で難病指定がされるように声をあげていきたいと思っています。
そのほかにも、病気や治療薬の正確な知識を得るための勉強会、月1回のオンラインイベント、「みんなに会いに行く」活動など、多角的にさまざまな活動を行っています。「みんなに会いに行く」活動とは、企業の支援を得て全国各地に会場を設け、その地域に暮らす会員の方に会いに行くという活動です。患者数が多くない病気なので、皆さん普段の生活の中では同じ病気の人に会ったことがない方ばかりです。でも、患者会に来れば同じ病気の方に会うことができて、すごくうれしい気持ちになります。その土地に1人でも患者さんがいれば私たちは会いに行きます。「あなたのことを思っています」という気持ちを大事にしたいからです。
医療サービスには地域格差があるため「どの病院の先生が丁寧に診てくれた」といった情報交換は大切だと思っています。また、病気に対する心持ちについても同様で、まだ職場に病気のことを伝えられていない、なかには家族にも話せていないという方もいますが、「みんなに会いに行く」の会場には来てくださいます。先日も、「まだ病気であることを受け入れられない」と泣きながら話す方のことを、隣で別の方が「私もそうだったよ」と支えていて、その姿は本当に愛おしく感じました。患者同士だからこそ分かりあえることがあり、患者同士の支えあい、ピアサポートはとても大切だと思っています。
視神経脊髄炎になると「再発したらどうなるのだろう」「治療薬は体に合うだろうか」と不安は尽きないと思います。病気をどのように受け止めるかは本当に人それぞれですが、私は視神経脊髄炎になった後の自分のほうが好きだと感じます。患者会に入ってくださった方の中には「坂井田さんがいたから」「真実子さんのおかげです」とおっしゃってくださる方もいて、そのような有難い言葉は本当に力になります。このように声をかけてくださる方の存在そのものが、私自身の励みになっているとも感じますし、多くの素敵な出会いに心から感謝しています。視神経脊髄炎という病気を、喜びをもって人生のパズルに組み込んでいけるとよいのではないかと思います。
視神経脊髄炎の症状はさまざまで、なかなか神経内科の受診につながらず、正確な診断までに長い時間がかかってしまう患者さんもいます。たとえば、足のしびれで整体へ通ったり、目の痛みで眼科を、帯状疱疹を疑って皮膚科を受診したりといったことを聞いたことがあります。そのため、医師をはじめとする医療関係者の方々には、それぞれの診療科に関連する視神経脊髄炎の初期症状を知っていただき、少しでも疑いがある場合は早期に神経内科に紹介いただきたいと思っています。また、医師に自分の症状を正確に理解してもらうことは難しいと感じている患者は少なくありません。患者側もなるべく例えなどを用いて伝わりやすい工夫ができればと思っていますが、たとえ検査結果に明らかな異常が認められなくても患者の“何かおかしい”という訴えは大切にしていただきたいです。何でも気軽に相談できる関係であることが、適切な治療につながっていくのだと思っています。
関連の医療相談が10件あります
寝れないほどの腰痛
寝れないほどの腰痛は、何科を受診したらいいですか?
原因不明の右胸付近の痛み
昨日起床時から右胸付近に痛みが出ています。体をのけぞったり、息を強く吸い込んだりする際に痛みが出るので、肺の痛みなのか肋骨の痛みなのか分かりかねています。特に思い当たる原因はなく、起床時から息が吸いづらいと思ったところ痛みに気づいた状況です。昨日より少し痛みは良くなっていると思うのでおそらく時間が経てば治るかなと思っているのですが、念のため思い当たる症状がないかお伺いしたい次第です。
2日前から続く胸痛
2日前の起きた時から凄く胸の中心(若干左寄り)が痛いです。 何もしなくても痛くて息をしたり笑ったり少しでも動くと痛みが増して、くしゃみをすると激痛が走りました。 そして、今度は、左の肩甲骨付近も痛くなってきました。 胸だけなら肋軟骨炎とかなのかなぁと思って湿布を貼ってみたりしていたのですが(湿布の効果は無いように感じる)、肩甲骨らへんも痛くなってきたので別の何かなのでは?と不安です。 また、もし肋軟骨炎だとしたら肋軟骨炎は何が原因でなるのでしょうか? 因みに筋トレなどは一切行っておりません。 ただ、心臓の手術を幼少期にしたことがあります。それが多少は関係したりするのでしょうか?
全身の痺れ
一昨日から全身に時折、痺れ・チクチクピリピリ感が生じます。 ずっと同じ箇所ではなく全身を転々としています。頭、顔、舌、腕、足、本当に全身です。何かに触れた部分が痺れるわけでもありません。 脳神経外科で脳をMRIで検査してもらいましたが異常は見られませんでした。 何が原因でしょうか? または何科を受診すれば良いでしょうか?
※医療相談は、月額432円(消費税込)で提供しております。有料会員登録で月に何度でも相談可能です。
「視神経脊髄炎」を登録すると、新着の情報をお知らせします