手術は、外科医にとって生きている印。自分が何のために医師になったかの確認作業なのです

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手術は、外科医にとって生きている印。自分が何のために医師になったかの確認作業なのです

外科医としての信念を貫き、今も手術室に立ち続ける國土典宏先生のストーリー

国立研究開発法人 国立国際医療研究センター 理事長 東京大学名誉教授
國土 典宏 先生

外科医の父の背中を見続けた幼少時代

私の父は香川県で外科の開業医をしていました。自宅に隣接して診療所があり、小さい手術室を併設していましたから、手術も常に身近にありました。虫垂炎から胃がんなどの手術まで行っていたと記憶しています。私自身も8歳ぐらいのときに、父に虫垂炎の手術をされています。しかも、局所麻酔で。

父は、夜中だろうが、土日だろうが、急患が来ればすぐに対応していました。自宅にいるときでも常に白衣を着ていたと思います。往診も普通にやる時代でしたから、本当に働き詰めで。要するに、24時間ずっと医師であり続けたのです。今でいうオン、オフがなかったので、息子として父と一緒に遊んだり家族旅行に行ったりという思い出は、ほとんどありません。病院を空けないわけですから、当然と言えば当然ですよね。それでも、日々患者さんに向き合う父を、子どもながらに「すごいな」と尊敬していました。

そのような環境で育ちましたから、自分も医師になりたいという思いは自然と培われていったように思います。もともと診療所で行われている手術自体に興味がありましたし、手を動かすのが好きだったので、外科医になるのだということも早くから決めていました。何より、患者さんの病気が治って父が感謝される姿を目の当たりしていましたから、人に感謝される仕事は素晴らしいなと感じていたのでしょう。自分もそうなりたいと考えるようになりました。

外科医として必要だと感じた冷静さ

1981年に東京大学医学部を卒業し、同大学の第二外科に入職しました。医師になりたての頃というのは、教授はあまりにも遠い世界の人で、具体的な目標にはなりにくいものです。自分がイメージできる未来像、「こういう医師になりたいな」という存在として、10年ほど上の先輩方を目標としていました。

最初に影響を受けたのが、三條健昌(さんじょうけんしょう)先生(現・京橋三條クリニック院長)です。三條先生はアカデミックな面でも活躍されていたので、研究に対するその姿勢も尊敬していましたが、患者さんへの対応がとにかくプロフェッショナルだなと。というのも、患者さんへの説明や手術の際に、とにかく冷静なのです。たとえ術中にトラブルが起きたとしても、至極冷静に対応される。しかし、発言すべきときはしっかり発言するという姿勢を貫いていらっしゃった。私はどちらかと言うと少々熱くなってしまうタイプだったので、三條先生の冷静さが「洗練されているな」と感じていました。

外科医として求められるものは、三條先生のような冷静さなのだなと肝に銘じつつ、日々、さまざまな症例を経験することができたのはよかったと思います。

卒後14年目にして再び研修医に……

1995年に、私にとって大きな出来事がありました。幕内雅敏(まくうち まさとし)先生(現・社会医療法人社団順江会 江東病院院長)との出会いです。幕内先生は、私のメンター、師匠とも言える存在です。先生が教授として東京大学にいらしたとき、私は卒後14年でまだ助手にはなれない年次でした。そのタイミングで幕内先生の手術を見て、衝撃を受けたことを覚えています。それまでに私が見聞きしていたものよりはるかにレベルの高い肝切除手術で、非常に正確、かつ出血量も少なかった。その根底には、手術で患者さんを死亡させないというポリシーを持っていらしたのですね。「これは近くで勉強させてもらおう」と思っていたのですが、幕内先生は部下に手術を任せない、術者をやらせない主義で。とにかく「見て覚えろ」という考え方だった。そのうち、「君はここにいても手術はできないぞ。しばらくは俺が全部やるから。術者のできる病院に移りなさい」と東京大学を出るように言われてしまうのです。

幕内先生にそう言われてしまえば仕方がありません。そこから紆余曲折あり、幕内先生の知り合いをたどる形で癌研究会附属病院の外科に入職しました。ただし、非常勤の研修医として。これには私も驚きました。入職者を紹介する院内新聞に『研修医 國土典宏』と書かれていたのですから。医学部を出て14年経ち、学位もとったのに、「俺、まだ研修医だよ」と。そこからは本当に無我夢中でやりました。ある意味、一番つらく、苦しい時代だったと言えるでしょう。しかし、ありがたいことに当時の消化器外科部長の高橋 孝先生(故人)の計らいで外科医としての待遇は最初から常勤と同じ扱いでしたから、肝臓部門のチーフをやらせていただきました。だから、なんとか気持ちが切れずに研鑽を積むことができました。

2年後に常勤になることができたときには、幕内先生は大変喜んでくださって。私自身もとても嬉しかったです。結果的に癌研究会附属病院に6年間在籍しました。この6年間は、私が肝臓部門のチーフなので、院内に指導医がいないわけです。ときどき幕内先生の手術を見に行っては、それを自分の手術で実践する。その繰り返しで、とにかく多くの手術をやらせていただきました。このときの経験は何物にも代え難いですし、導いてくださった幕内先生は肝臓についての全てを教えてくださった恩師と言っても過言ではありません。

20年前に手術した患者さんが、今も診察に

私は長いこと肝臓がん、膵臓がん、胆のうがんの外科治療と肝移植に携わってきました。通常、がんの患者さんには術後5年間は診察を受けていただきます。5年が過ぎたら一般には治癒と見なされ、定期的な診察は卒業になります。しかし、私のもとには10年以上前に手術をした患者さんが今もいらっしゃるのです。治癒はしているので、「もう診察に来なくていいんですよ」と言っても、「先生の顔を、1年に1回見ると安心するから来ていいですか」なんておっしゃる。

20年前に癌研究会附属病院時代に手術した患者さんで、私が病院を変わってもいらっしゃる方もいます。また、手術した頃は60歳代だったのですが、年を重ねて認知症になった方もいます。それでもご家族と一緒に来られて、私と話したら元気になって帰られる。ほかにも、足が悪くなって病院には行けないけれど、半年に1回ほど手紙をくださる90歳代の元・胆のうがんの患者さんもいます。

もっとドライに、治療が終わった患者さんをお断りするということが必要なのかもしれませんが、私はドライなことができないたちなのですね。元気になって私に会いに来てくださる患者さんを見られるのは、単純にとても嬉しいし、外科医として誇らしい気持ちになります。

手術は、外科医の生きている印

外科医というのは、基本的には手術が好きなのだと思います。それは、手術が『楽しみ=Fun』だからではなく、手術は外科医の生きている印、自分が何のために医師になったのかという確認作業に等しいからです。私自身も、外科医として手術をするということには非常にこだわっています。現職である国立国際医療研究センター理事長のポストの打診を受けたときも、「理事長になったら手術をしないでほしい」と言われたら断ろうと思っていました。しかし、「手術をしても差し支えない」と言われたので、理事長就任を受けたのです。それほど、手術への思い入れがあります。

今も週1回ほど手術室に立っています。それは、私が外科医として、手術をすることが患者さんのためになると考えているからです。だからこそ、「もし自分が患者だったら、私に手術されたいか」ということは自問し続けています。「自分に手術されたくないな」と思ったら、メスは置かなきゃいかんなという覚悟です。常に患者さんの視点に立ち、客観的に自分を見るということは意識しています。その上で、可能な限り外科医であり続けたいのです。

手術を“やらせてもらっている”という意識

若い外科医のなかには、多くの手術がしたいと症例の多い病院を希望する人が多いでしょう。もちろん経験を積むことは重要なのですが、私が伝えたいのは「外科医の技術は症例数の多さで会得するものではない」ということです。重要なのは、一人ひとりの患者さん、ひとつひとつの手術を大事にすることであって、単純に手術数だけではないのです。

若い医師には、自分が手術をすることを権利だと思っている人もいるように見受けられます。でも、これは考え違いです。外科医は手術を“やってあげている”のではなく、手術を“やらせてもらっている”のです。私は今も、常に「この手術は自分よりうまい人がいるだろう。うまい人がやったほうが患者さんにとっていいかもしれないけれど、今回は私がやらせてもらっているのだ」と心に刻んでいます。そして、やらせていただくからにはベストを尽くし、その手術から最大限勉強させてもらわなくてはいけないし、最大限成長して、次の患者さんに活かさないといけない。これからを生きる医師、外科医には、そういう意識を持って治療にあたってほしいと思いますね。

制限があるからこそ、できる進歩がある

外科においての最善の医療とは、最善の手術ができることだと考えています。その実現に努めたうえで、患者さんと一緒に病気に立ち向かいます。がん患者さんであれば、手術をしてがんが治ることが一番の目標です。この目標を達成するために私が目指しているのは、手術での死亡率0%というもの。これは恩師である幕内先生の教えでもあります。しかしながら、この手術での死亡率0%というのは本当に難しいことなのです。さらに、死亡率0%を目指すと、リスクを回避し、チャレンジをしなくなるという理由で、外科の進歩を妨げてしまうという考え方もあります。

けれど、私は手術での死亡率0%を目指す、つまり患者さんが命を落とさないようにするという制限のなかでの手術を追求するからこそできるチャレンジがあると思っています。このチャレンジは、外科の進歩に必ずつながるはずです。

犠牲を伴わずに、進化をしていく。その信念を持って、これからも手術での死亡率0%を目指しながらチャレンジを続けていきたいと思っています。

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