連載医学研究最前線

福島県立医大が“絆のホルモン”で目指す人の復興~オキシトシンを肥満治療に

公開日

2020年03月11日

更新日

2020年03月11日

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2020年03月11日

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肥満は糖尿病や高血圧などの生活習慣病のリスクを高めるほか、いくつかのがんとの関係も指摘されています。健康診断などで太りすぎを指摘され「簡単に痩せられる薬があれば……」と思ったことがある方も多いのではないでしょうか。実は、安全に誰でもが使える“夢の痩せ薬”になるかもしれない物質の研究が、福島県立医大で進められています。この研究には、発生から9年を経てもなお癒えない傷が残る震災からの「復興」の願いも込められているそうです。研究の中心となっている病態制御薬理医学講座の下村健寿主任教授と、肥満体内炎症解析研究講座の前島裕子特任教授にお話を聞きました。【編集部】

太っているほど大きい痩身効果

そのカギを握っているのが「オキシトシン」というホルモンです。前島さんはマウスを使った実験で、肥満マウスにオキシトシンを投与したところ、摂食量、体重増加量、内臓脂肪量、脂肪細胞のサイズ――のいずれもが減少することを確認しました。一定量のオキシトシンを連続投与すると、開始前と比べて体重が約13%減少、肝臓の脂肪蓄積も減っていました。一方、有害な副作用と思われる現象は観察されなかったそうです。

オキシトシンは肥満度が高いほどよく効き、あまり太っていなければさほど効果がないことが示されています。その理由について前島さんは「オキシトシンを投与すると摂食抑制、つまり食べる量が減ります。これをもう少し高いところから見ると、やりすぎたものを元に戻すといった、生体に備わったホメオスタシス(恒常性維持機能=内部環境を一定に保とうとする傾向)のような機能だと思います」と説明します。

肥満のイメージ
写真:Pixta

地味な存在から「絆のホルモン」に

オキシトシンとはそもそもどんな物質でしょうか。それは、わずか9個のアミノ酸からできた「ペプチドホルモン」です。脳内の神経細胞で作られ、血流に乗って全身で作用する一方、脳内の情報伝達を媒介する神経伝達物質としても働いているらしいことが、最近の研究で分かっています。

類似したペプチド(アミノ酸が特定の仕組みで結合した短い鎖状の分子)は進化の過程で失われることなく、昆虫からヒトまで持っていることから、生命にとっては非常に重要なホルモンと考えられています。

1906年に発見され、分娩(ぶんべん)時の子宮収縮や、乳汁分泌を促す作用が知られてきました。また、その作用から分娩誘発剤として長年使用されてきましたが、どちらかというと“地味な”存在でした。

そんなオキシトシンに脚光が当たり始めたのは、この20年ほどのことです。オキシトシンは母親の子どもに対する愛情を深める、他人に対する信頼感を生む、などの作用があるとする論文が次々と発表され、最近では別名「愛情ホルモン」「絆のホルモン」などとも呼ばれるようになっています。

前島さんらは、こうしたオキシトシンの神経系に対する作用のうち、抗肥満作用に注目しています。

福島で研究することの意味

なぜ、福島県立医大は抗肥満の研究に力を入れているのでしょうか。その理由の1つに、2011年に起きた東日本大震災があります。

厚生労働省や県の集計では震災以降、福島県民のメタボリックシンドローム該当者の割合が増え、近年は全国でワースト2位や3位と上位に位置しています。そして、特に震災被害が大きかった海岸側の「浜通り」の該当者割合が大きく伸びています。その要因としては、震災と原発事故からの避難によって運動習慣のある人の割合が特に男性で減っていることや、調理済み食品の購入増加などがあると考えられています。

「大学病院、市中病院で糖尿病の外来診療もしているのですが、すごい数の患者さんがいます。これは、福島が今も震災から続く厳しい状況に置かれていることの1つの表れです。糖尿病、高血圧、脂質異常といった生活習慣病には、肥満が大きく関わっています。逆に言うと、肥満を治療できれば生活習慣病も減らせる。それを“絆のホルモン”で実現できれば、それこそが福島の震災からの復興になります。だからこそ、福島でこの研究をする価値があるのです」と、下村さんは言葉に力を込めます。

下村さん

血圧が高ければ血管を広げる「カルシウム拮抗薬」、脂質異常症ならば血液中のコレステロール値を下げる「スタチン」といったように治療薬はありますが、いずれも対症療法的な薬です。生活習慣病の根本には肥満があり、体重を下げることができれば血圧も血糖もコレステロールも下げられる可能性があります。ところが、現時点では安全で有効な肥満治療薬がありません。下村さん、前島さんがオキシトシンの抗肥満作用に期待するゆえんでもあります。

「肥満薬なんて、と思う方がいるかもしれませんが、痩せれば解決する問題はいろいろあります。国の医療費もかなり削減でききる可能性を秘めています」と前島さん。

目標はオキシトシンを抗肥満薬に

前述のようにオキシトシンは分娩誘発剤として、長年ヒトに使われてきたためデータもあります。さらに、動物実験でも十分なデータが得られています。下村さんは「抗肥満薬としてのオキシトシンは、臨床に還元するステージに来ています」と言いますが、1つ問題が。それは「薬」の開発で欠かすことのできないパートナー企業がなかなか見つからないことです。

前述のようにオキシトシンは20世紀初頭に発見されてすでに100年以上が経過し、医薬品の新規化合物そのものに付与される「物質特許」は期限が切れています。そのため、製薬会社が開発費用を回収しにくいことがネックになっているのではないかと下村さんは推測します。

その点については、投与方法の新規性で補うための研究も進めているといいます。これまで、オキシトシンは点滴もしくは鼻への噴霧で投与していました。しかし、一番摂取しやすいのは飲み薬にすることです。

「私たちが工夫しているのは投与方法で、論文にしています。また、開発もしています。興味を持ち、これからの高齢化社会、生活習慣病増加が見込まれる社会で人々の健康増進の役に立ちたいという理念を共有できる製薬企業があれば、ぜひ手を組みたい」と、2人は声をそろえます。

前島さん

「小太り」でも効果が出る方法も

先ほど、オキシトシンは太っているほど抗肥満効果が大きいと説明しました。それだけではなく、日本人を含むアジア人に多い小太り、中年太りでも、オキシトシンが効果を出すのではないかという方法をネズミの実験では見つけているそうです。

また、栄養素や食べ物、既存の薬などを使ってオキシトシンと同様の刺激を得られないかという方向でも研究を進めているといいます。

オキシトシンは21世紀に入ってからさまざまな作用があることが分かってきたほか、未知の部分も多く残されている古くて新しい物質です。下村さん、前島さんは、まずは肥満と生活習慣病に焦点を当て、福島の“人の復興”に寄与すべく、この「心にも体にも効くホルモン」の研究を進めています。

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