もともと心臓に病気を持たない方が出産前後の期間に心不全を発症する、周産期心筋症。初期症状として動悸や息切れがあらわれますが、それらは通常の妊娠に伴う症状とよく似ているため、早期発見が難しい疾患です。周産期心筋症の原因・症状・合併症について、熊本大学医学部附属病院の河野宏明先生にお話を伺いました。
周産期心筋症とは、それまで心臓病のなかった方が周産期(出産前後の期間)に心不全を発症する疾患で、産褥心筋症(さんじょくしんきんしょう)とも呼ばれます。周産期心筋症では基本的に、心臓を構成する筋肉(心筋)の収縮力が低下することにより、血液を全身に送り出す力が弱まります。
※一般的な周産期の定義は妊娠から出産後7日未満ですが、周産期心筋症における周産期は、おもに妊娠(8〜9か月目)から出産後半年くらいまでをさします。
心臓の収縮力は、駆出率(くしゅつりつ)で測ります。駆出率とは、心拍ごとに心臓が送り出す血液量(駆出量)を、心臓拡張時の左室容積で割った値で示されます。
正常な心臓の駆出率は50%以上(たとえば100ccの血液が心臓のなかにあったら、その50cc以上を送り出す)ですが、周産期心筋症の場合、10〜20%と低いです。周産期心筋症になると心臓が送り出す血液量が減少し、全身の臓器に必要な血液が流れなくなります。心臓は代償行為として、心臓の内腔を肥大して循環血液量を増やします(たとえば駆出率20%に低下している場合、100ccの血液が心臓の中にあったら20ccを送り出すのですが、もし200ccの血液を心臓の中に入れることができたら、40ccを送り出せることになります)。このとき胸部レントゲン検査を行うと、肥大した心臓の影(拡大した心臓の影)を確認することができます。※周産期心筋症の検査については記事2『周産期心筋症の検査・治療・患者さんの予後』をご覧ください。
日本における周産期心筋症の患者さんは、1万人あたり1〜2人ほどです。高齢出産(35歳以上)、多産(4〜5人目以降の出産)、多胎妊娠(2人以上を同時に出産)の場合、患者さんがおよそ1万人に1人、一方、20代の出産であれば2万人に1人ほどです。
通常、日本では経膣分娩(膣を経由する出産)が一般的です。しかし周産期心筋症になると、いきんで出産を行う経膣分娩が難しいケースもあります。そのような場合には、心臓への負担が少ない帝王切開で出産を行います。
ヒトの体内を循環する血液の量(循環血液量)は通常5リットルほどですが、妊娠後期の8〜9か月目には1.5倍の7.5リットルほどに増加し、心拍数も通常は1分間に60回ほどですが、この時期は1.2〜1.3倍に増加します。このように循環血液量や心拍数が増加し心臓の負担が大きくなる妊娠後期の8〜9か月目は、周産期心筋症を発症しやすい時期といえます。
周産期心筋症のはっきりとした原因は、未だ解明されていません。周産期心筋症の患者さんはアフリカ系アメリカ人に比較的多く、次にアジア系、白人、ヒスパニック系という順に多いといわれています。
周産期心筋症の患者数はアジア系で2,000〜3,000人に1人ほどですが、日本人に限定すると、先述の通り1万人に1〜2人の割合です。この症例数の差は、出産前の管理体制の違いによるものと考えられます。日本では妊娠期間中、月に1回以上の定期検診や母子手帳の記録を行います。このように丁寧な母体の管理が、周産期心筋症の予防に大きな役割を果たしているのです。一方で、望まない妊娠によって出産まで病院に行くことができず、母体の管理が不足して周産期心筋症を発症するケースも見受けられます。
周産期心筋症のリスクファクターは、高齢出産(35歳以上)、多産(4〜5人目以降の出産)、多胎妊娠(2人以上を同時に出産)、糖尿病や膠原病などの基礎疾患です。不妊治療で排卵誘発剤(卵子を発育させ、排卵を促す薬)を使用している場合、4〜5つの受精卵ができることがあります。しかしながら多胎妊娠は母体への負担が非常に大きいため、通常は受精卵を2つまで減らします。
周産期心筋症では、動悸・息切れ・呼吸困難・咳・全身のむくみ・倦怠感・体重増加などの症状があらわれます。
周産期心筋症の症状である動悸・息切れ・呼吸困難などは、通常の妊娠に伴う症状とよく似ており、判別が困難です。たとえば「階段を昇って息切れがする」という患者さんの訴えに対して、産科では、お腹が大きくなり運動量が減少したことによる息切れと診断することが一般的です。しかしそのような訴えのなかには、周産期心筋症の症状が含まれている可能性があるのです。
周産期心筋症で心臓の収縮力が低下すると、血液や水分の循環が停滞し、著しい体重増加とむくみがあらわれます。通常、妊娠9か月目頃には8kg(胎児3kg、子宮1kg、循環血液2.5kg、羊水0.5kgに余剰を1kg加えたもの)を目安に体重が増加します。トイレの回数が減る、8kg以上の体重増加とむくみが同時にある、もしくは妊娠中毒症(むくみ、高血圧、たんぱく尿)の症状が出た場合には、産科の主治医に相談のうえ、循環器内科を受診することを推奨します。
周産期心筋症は、心臓の収縮力が低下することによって、感染症・心内血栓症・DIC(播種性血管内凝固症候群)という3つの合併症が起こるリスクがあり、これらは相互に影響を及ぼします。また胎児が合併症を起こし、死産や未熟児となるケースもありえます。
周産期心筋症では血液の循環が悪くなり、皮膚や傷(特に下肢)から菌が侵入しやすくなるため、感染症のリスクが高まります。また肺の血液循環が悪化し、肺水腫(肺のなかに水がたまる)になると、肺炎のリスクが高まります。
健康な心臓であれば、常に動き続けているため血栓はできません。しかし周産期心筋症では心臓の収縮力が低下することで血液の淀みができ、心臓内に血栓が発生することがあります。これを心内血栓症と呼びます。血液は心臓から出ているため、心内血栓症は脳梗塞、腎梗塞、上腸間膜動脈閉塞症など全身の血栓塞栓症を引き起こす危険性が高い疾患です。
血液は心臓から出て全身を巡り、再び心臓に戻っていきます。このように血管は閉鎖回路であり(閉鎖血管系と呼びます)、健康な血管内では決して血液は固まりません。もし血管内で血液が固まれば、血流障害を引き起こすからです。しかし、血管が傷ついて出血をすれば、出血を止めないと出血多量になり失血死の危険性が出てきます。したがって、血管が傷つけば血液を固める(凝固)作用が起こります。そして血管の修復が終了すれば、できた血栓を溶かす(線容)という作用がおこります。このように血管内は血液の固まり方に微妙なバランスを保っています。このバランスが破綻すると、心臓や血管に血栓ができ、心内血栓症やDICを引き起こします。
DIC(播種性血管内凝固症候群:はしゅせいけっかんないぎょうこしょうこうぐん)とは、毛細血管内に小さな血栓が無数に発生し、血液の流れを阻害してあらゆる全身の臓器に障害をきたした状態です。血流障害のため多臓器不全を引き起こします。なかでも脳の場合は、意識障害や性格の変化(感情をコントロールする前頭葉への影響によるもの)などを引き起こすことがあるため、もっとも危険です。また先述した感染症に伴ってDICが起こることもあります。もちろん、悪性腫瘍(がん)でDICを合併することもあります。
周産期心筋症は妊娠中に発症するため、胎盤の血流障害によって胎児に栄養がうまく行き届かず、死産や未熟児になるリスクがあります。
周産期心筋症は症例数が少なく、もともと心臓病のなかった方に起こるため早期発見が難しい疾患です。しかしながら周産期には頻繁に産科へ通う機会がありますから、先にご説明した症状を認めた場合には、遠慮なく主治医に相談してください。そして可能であれば、循環器内科の医師を受診しましょう。
記事2『周産期心筋症の検査・治療・患者さんの予後』では、周産期心筋症の検査と治療、予後についてお話しします。
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