医師という職業の根底にあるのは患者さんの役に立つこと

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医師という職業の根底にあるのは患者さんの役に立つこと

一人ひとりの患者さんの声を真摯に受け止める梶尾 裕先生のストーリー

国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 糖尿病内分泌代謝科 非常勤
梶尾 裕 先生

筋ジストロフィー患者さんとの交流をきっかけに医師の道へ

私は広島県の山奥で豊かな自然に囲まれて少年期を過ごしました。小学生の頃はお坊さんになりたいと思ったり、新聞に投稿した川柳が掲載されたことが嬉しくて詩人を目指すのもよいなと思ったり、6年生のときには、当時社会問題になっていた公害に関心を持ち「科学者になりたい」と作文に書いたりと、いろいろな夢を抱いていた記憶があります。

私の父が高校の教員だったことも影響したのか、勉強には熱心に取り組んでいました。中学・高校は、広島市内の進学校に入りました。高校では数学や物理など理数系の科目が好きで得意分野でもあったのですが、一方では哲学などにも興味があり、なかなか自分の進む道を一本に絞り込むことができませんでした。

そんな高校2年生のとき、学校のボランティア活動で、難病である筋ジストロフィーの患者さんがいる施設に行く機会がありました。そこにいた患者さんと当時の私の年齢が近いこともあったからでしょうか、すぐに患者さんたちと打ち解けることができました。なかには「あなたはすごくよい人ですね」と言ってくださる方もいらっしゃり、初めて会った私のことを気に入ってくださったことが、とても嬉しかったですね。このときの体験から“人と関わる仕事”に就きたいと思ったことが、医師になろうとしたきっかけだったのではないかと思います。

「人と関わる分野に携わりたい」——​​糖尿病内科を選んだ理由

大学医学部に入ったときには精神科や小児科にも関心を持っていましたが、最終的には糖尿病内科を選びました。その理由は、研修医としていろいろな診療科を回ったときに、糖尿病内科の先輩医師が持つ仕事に対する価値観や考え方に共感できる部分が多かったことと、人と人との関わりが日々の診療に生きてくる分野だと思ったからだと思います。実は進路を決める時期に、ほかの分野でご活躍されている先生から「うちに来ないか」とお誘いを受けていたのですが、その道は選びませんでした。当時から、自分は直接に“人と関わる”ことに向いていると自覚していましたし、私にとってどちらかというと“人”ではなく“物”を中心にする仕事には、不得手というほどではありませんが、どこか不似合いな服を着ているような感覚を抱いたからです。

このようにして私は、糖尿病内科医としての道を歩むことになりました。それから現在に至るまで、本当に多くの患者さんや仲間たちと関わりながら、充実した日々を過ごしてきました。

立場や肩書きにかかわらず、よりよい医療のために最善を尽くす

副院長として、臨床医の1人として

2020年3月現在、私は副院長という立場で、患者さんと向き合う仕事以外にもさまざまな役割を担っています。

私自身の専門は糖尿病ですが、最近では、キャンサーボードと呼ばれる診療科の垣根を越えた多職種の合同カンファレンスを通して、がん診療にも携わっています。また、中央検査部門、薬剤部、人間ドックセンターなどの各部門や、医療保険やDPC(包括医療費支払い制度)などのお金に関する業務、医師の教育指導の部門も一緒に担当しています。そのほか、国際協力として協力施設と一緒に研究を進めるために、ベトナムに何度か行くこともあります。

副院長になる前から何らかの形でこうしたことには関わっていたため、その時々で新たなことを学びながら、置かれた立場で最善を尽くすという意味では、私自身の基本的なスタンスは、昔も今もあまり変わっていません。もちろん、副院長という立場になれば入ってくる情報の質や量も違ってきますし、事業への関わり方やその重みも同じではありません。しかし、さまざまな仕事の一つひとつが、この病院をよりよくし、世の中の一人ひとりの役に立つことにつながっていくのだと思い、私はどのような仕事に対しても精いっぱい努力しています。

大規模プロジェクトの立ち上げやまとめ役も経験。しかし、「もう十分」と思うことはない

国立国際医療研究センターでは、ほかでは味わえないような貴重な体験の機会に多く恵まれたことを、大変ありがたく思っています。

過去には、当センターの春日(かすが) 雅人(まさと)名誉理事長の下で診療録直結型全国糖尿病データベース事業“J-DREAMS”の立ち上げに関わらせていただきました。日本における1型糖尿病の根治療法の開発に向けてデータベースを整備する“TIDE-J”という研究プロジェクトのまとめ役もさせていただいています。また、東日本大震災では桐野 髙明(きりの たかあき)先生(国立国際医療研究センター病院 元理事長木村 壮介(きむら そうすけ)先生(国立国際医療研究センター病院 元病院長)の下で​、救援隊の一員としての体験もさせていただきました。

その都度、精いっぱい取り組んでいる仕事であっても、もうこれで十分と思う仕事はまったくありません。むしろ、自分が“こうしたい”と思ったことがなかなかうまくいかないということのほうがたくさんあります。当然、自分一人ができることは限られていますから、ほかの方と協力して自分がどのように動けば、組織全体がよい方向に進むだろうかという視点で考えることも大切にしています。

厳しい声も嬉しい声も、患者さんからの手紙につづられた声が成長の糧となる

ときには患者さんから手紙をいただくこともあり、これまでにいただいた手紙は今もずっと持っています。なかなかうまくいかず、治療半ばでご家族と一緒に田舎に帰られた患者さんから、その後、元気で過ごしているという手紙をいただいたことがありました。離れてしまってからも近況を知らせていただけると安心しますし、やはり嬉しいものです。

しかし、思い出すのはよかったことばかりというわけではありません。むしろ、当時を振り返って「もっとこうすればよかったな」「あれじゃいけなかったな」と思い返すことのほうが多いかもしれません。患者さんから、厳しいお声のお手紙をいただいたこともあります。そのような手紙こそ、自分を省みるよいきっかけだと思い、今でも見返すようにしています。

医師という職業の根底にあるのは“人の役に立つこと”

皆さんもそれぞれ、いろいろな職業に就いていらっしゃることと思いますが、医師もまた数ある職業のひとつです。私が思うに、職業とは社会の中で一緒に生活していくために必要な機能を分担しているということであり、皆が幸せに生きていくためのものです。

私はさまざまな巡り合わせで医師になりました。医師という職業は、毎日その仕事を行うことで、患者さんやそのご家族、そして一緒に働く病院関係者など、社会で関わる誰かの役に立つことができる職業です。ですから、私は医師として、私のもとを受診して治療を受けた患者さんの役に立つために働いており、患者さんが元気になって帰っていただければ、それが一番嬉しいことです。そして、その思いは、この病院を受診される患者さんお一人お一人はもちろん、全国にいらっしゃる糖尿病患者さんやその治療にあたっている医療従事者の役に立ちたい、そのために、自分にできることをしようという思いにつながっています。

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