誰からも信頼される専門家になりたい

DOCTOR’S
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誰からも信頼される専門家になりたい

喘息やCOPDの診療を専門とする放生 雅章先生のストーリー

国立国際医療研究センター病院 呼吸器内科診療科長 第一呼吸器内科医長
放生 雅章 先生

中国への興味から医師の道へ

自分でもなぜ医師を志したのだろうと少し不思議ですが、ベースには「人の役に立ちたい」という気持ちがあったように思います。子どもの頃に、特にそう強く思った1つのきっかけがありました。それが、父に連れて行ってもらった中華人民共和国(以下、中国)に関する展覧会です。この展覧会で当時の中国の状況を知り、大きな興味を持つようになりました。

当時の中国は現在と状況が大きく異なりました。文化大革命*の直後だったこともあり、日本と比べて遅れていましたし、貧しい状況下の方が多かったと思います。この展覧会をきっかけに、将来は中国に関わりのある仕事に携わりたいと考えるようになりました。近代中国が好きだったこともあり、政治学者になるのもいいなと思ったこともあります。そして、高校生のときに国際医療協力に関連する仕事に従事して生きていきたいと思うようになり、最終的に医学部に進学し医師になることを選んだのです。

*文化大革命:1966〜1976年に起こった中国における政治闘争

念願叶い国際医療協力に携わる

大学卒業後は大学の医局には入らず、現在も所属する国立国際医療研究センター病院で経験を積みました。当時は、医学部卒業後には大学の医局に入局することが一般的だったので、これは極めてめずらしい選択だったと思います。当院へ入職したのは、もともと国際医療協力に携わることを希望していたからです。

当院で後期研修を終えた後は、院内の部署である国際医療協力局で8年程国際医療協力に従事しました。たとえば、ネパールやボリビア、中国、ベトナムなどを訪問させていただきました。

そうしてさまざまな国で医療協力に従事するなか、徐々に「これは自分が生涯にわたり取り組むべき仕事なのか」と迷いが生まれるようになりました。それは、日本国内でもやるべきことがまだまだあるのではないかという思いが芽生えたからです。

たとえば、ネパールでは、結核による脊椎カリエスで下半身がまったく動かなくなってしまった若い患者さんをたくさん診させていただきました。日本とは程遠い国の話と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本にも実はそのような患者さんがいらっしゃるのです。このような日本の現状を知るにつれて、外国の問題だけではなく、国内の問題を解決するためにできることにしっかりと取り組むことも世の中のためになるのではないかと思うようになりました。それから国内での診療や研究を中心に活動するようになったのです。

改善した患者さんからの報告が嬉しい

呼吸器内科を選んだのは、扱う分野が幅広い点に魅力を感じたからです。呼吸器内科が扱う病気には、感染症もあれば、喘息やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの気道系の病気もあります。さらに原因不明の病気も少なくありません。自身が飽きっぽい性格であることを自覚していたので、呼吸器内科であれば、いろいろなことに興味を持ちながら働けるのではないかと思ったことが一番大きいですね。

実際に、当初考えていたようにさまざまな経験を積むことができています。たとえば、若いときはICU(集中治療室)などの重症な患者さんの管理にやりがいを感じていました。国際協力に携わるようになってからは感染症対策に従事することもあり、たとえば、ベトナムでSARS(severe acute respiratory syndrome:重症急性呼吸器症候群)が流行したときには診療のために訪問しました。そして現在は、喘息やCOPDの診療を専門にさせていただいています。

呼吸器内科医をやっていてよかったと思える瞬間は、やはり患者さんに喜んでもらえたときですね。「今まで諦めていた生活ができるようになった」と報告を受けるときが一番嬉しいです。たとえば、喘息で咳が止まらず外にも出かけられなかったような患者さんが、治療によって外出できたり泊まりがけの旅行に出かけたりできるようになったとか。そういったお話を聞くと大きな喜びを感じます。

カナダへの留学がターニングポイント

私のターニングポイントの1つは、研究を目的としたカナダへの留学です。カナダのモントリオールにあるマッギル大学で、主に喘息のマウスを用いた実験などに従事しました。それまで実験経験はまったくなかったのですが、研究のために留学させてもらえたことに感謝しています。

現地では、ジム・マーチン先生という非常によいボスに恵まれました。ジム先生には“物事に対するアプローチの方法は1つではない”ということを教わりました。たとえば、実験の結果、ネガティブなデータしか出ないことがあっても、見方を変えるとネガティブなデータにも意味があるということを教えてくれました。

また、より科学的なアプローチを教えてもらったのも留学時代であると思っています。変な言い方ですが、それまでは目の前の患者さんを診ることのみに終始していたような気がします。目の前の患者さんを診療するだけではなく、それをいかに発展させていくのか、より深いところを理解したうえで診療に従事することが重要であると学びました。

正反対の上司から学んだこと

これまでにさまざまな先輩医師にお世話になってきましたが、特に2人の上司には大きな影響を受けました。

1人は、当院で最初に呼吸器の研修をスタートした際に、呼吸器内科の診療科長を務めていらした可部(かべ) 順三郎(じゅんざぶろう)先生です。可部先生は非常に慎重な方でした。考えに考え抜き、検討を重ねたうえで物事を動かす大切さを教えていただきました。

もう1人は、可部先生の次に当院の呼吸器内科の診療科長を務められた工藤(くどう) 宏一郎(こういちろう)先生です。工藤先生は可部先生とは正反対のやり方でした。我々凡人が思い至らない直感で物事を動かしていかれるような。

医師になったばかりの頃には可部先生にじっくりと考え慎重に物事を動かす方法を、医師として少し経験を積んだときには工藤先生にアグレッシブに物事を動かす方法を教えていただきました。このように、さまざまな個性を持つ恩師から学べたことを非常に幸せに思っています。

よい刺激を受けながら働ける環境

ほかの病院で経験を積ませていただいた3年間を除き、研修医の頃から一貫して国立国際医療研究センター病院で働いてきました。当院のよいところは、規模が大きい割に風通しがよいところだと思います。診療科同士の連携がとれる体制が築かれています。

また、私たち医療従事者にとって働きやすい環境であると思います。医療安全や感染対策への取り組みがしっかりとなされているので、安心して医療サービスの提供に従事することができます。また、多くの研修医がおり、彼らへの屋根瓦式の教育体制がしっかりと築かれている点も特徴でしょう。若い人たちから刺激をもらいながら自身も勉強し続けなければならない環境があります。このように、よい刺激を受けながら働ける点が当院の最大のメリットではないでしょうか。

いろいろな考え方があるので、若い人たちには自分たちの意見を積極的に伝えてほしいと考えています。最初の段階で絶対によくないと判断した場合にはそれは伝えますが、できる範囲内で彼らが思うような形でやらせてあげたいと思っています。言うなれば軌道修正を上手なタイミングでしていく感じでしょうか。

誰からも信頼される専門家になるために

ありがたいことに、喘息やCOPDに関しては全国の講演会に呼んでいただくことがあります。そのような際にさまざまな方とコミュニケーションをとることも楽しみの1つです。たとえば、地域の開業医の先生たちからは、我々が考えもしなかったような非常によい質問をいただくことがあります。このような交流は非常に新鮮で面白いです。

今後は、呼吸器疾患の多様性を生かしながらも、それを統合した形で高度な医療を提供できる体制を築いていければと思っています。私の専門は喘息やCOPDになるので、これらに関しては当然、もっと極めていきたいです。今の目標は、誰からも信頼される喘息やCOPDの専門家になることです。そのために、まだまだ頑張らなければいけないと思っています。

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