日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会は6月3日、「日本耳鼻咽喉科頭頸部(とうけいぶ)外科学会」に改称したことを発表しました。一般には「耳鼻科」としてなじみ深い診療科ですが、実はその診療範囲は耳と鼻だけにとどまりません。「耳鼻咽喉科頭頸部外科」とはどんな病気のスペシャリストなのでしょうか。そして改称の背景と目的は。同学会理事長の村上信五先生にお聞きしました。
「顔面神経麻痺(まひ)」という病気があります。顔の片側の筋肉に突然筋力低下や麻痺が起こって表情筋の動きが悪くなり、まぶたが閉じない、食べ物が口からこぼれ落ちるなどの症状が現れます。この病気を治療する場合、どの診療科に行こうと思われるでしょうか。まぶたが閉じなくなるので眼科? 病名に「神経」とあるので神経内科? あるいは脳神経外科? 実は、耳鼻咽喉科に行くとスムーズに治療につながります。口の中にできる口腔(こうくう)がんや舌がんはどうでしょう。口の中だから歯科と思われるかもしれませんが、これらのがんの治療は頭頸部外科の領域になります。
皆さんが「耳鼻科」と認識しているクリニックでは、耳と鼻、喉についての内科的治療が主となっていますが、病院の耳鼻咽喉科頭頸部外科がカバーする範囲は「脳と目を除く首から上の全ての病気の外科的治療」なのです。そうしたことの認知がまだ十分浸透していないので、広く国民の皆さんに知っていただけるようにするのが今回の学会名改称の目的であり、今後の課題だと思っています。
学会名改称のもう1つの目的は、先にお話しした口や喉、甲状腺などにできる良性・悪性の腫瘍、顔面神経麻痺はもちろん、めまい(平衡機能障害)や嚥下(えんげ:飲み下すこと)障害、睡眠時無呼吸症なども耳鼻咽喉科頭頸部外科が専門に診療していることを知っていただき、患者さんがどの診療科を受診したらよいか迷わないようにできればと思います。さらに、これらの診療にも専門性があることを分かりやすくアピールしていきたいと考えています。
国民の皆さんには、これまでは3月3日を「耳の日」、8月7日を「鼻の日」として耳鼻咽喉科をアピールしてきましたが、残念ながら頭頸部外科については十分な広報活動ができていませんでした。今後のPR戦略の一環として、来年からは3月を「耳鼻咽喉科月間」として耳だけでなく鼻や喉の病気を、7月27日が「世界頭頸部がんの日」ですので7月を「頭頸部外科月間」と仕切り直しをしてアピールしていく予定です。また、若い世代により情報が伝わるように、1月にYouTubeにチャンネルを開設して、病気や治療、予防などの情報を動画で発信しています。
最近のトピックとしては、「頭頸部の扁平上皮がん」に対して、第5のがん治療である光免疫療法が保険適用になりました。これはがん細胞の表面に多く現れるタンパク質に結合する薬剤を投与したのち、レーザーを照射することでがん細胞を死滅させる画期的な治療法です。これまでの手術や放射線治療に加え、新たな低侵襲かつ効果的な治療として期待されています。
ここで130年ほどさかのぼって、耳鼻咽喉科学会の歴史についてお話しします。日本はヨーロッパ、特にドイツから近代医学を学びましたが、西洋医学が日本に入ってきた当時、欧米に「耳鼻咽喉科」という概念はなく、一般外科として診療が行われていました。それを東京慈恵会医科大学初代学長の金杉英五郎先生がドイツ留学後に、耳と鼻と喉頭を統合して世界に先駆けて耳鼻咽喉科を創設し、専門に診療するようになりました。そして、1893(明治26)年に「東京耳鼻咽喉科会」を結成したのが日本の耳鼻咽喉科の始まりであり、当学会の創立でもあります。日本では設立当初の名称を尊重してきたこともあり、学会の名称に「頭頸部外科」が入っていなかったのですが、アメリカの学会は40年も前から「Otolaryngology-Head and Neck Surgery(耳鼻咽喉科、頭と首の外科)」を名乗っていましたし、そして現在では、先進国のほとんどが頭頸部外科を含む名称になっています。
近年、口腔や喉、甲状腺に発生した腫瘍の治療や手術が進歩し、耳鼻咽喉科が「耳・鼻・喉」だけの専門ではないということを国民の皆さんに知っていただくことが学会名改称の大きな目的です。また、学会名改称の後押しになったのは、日本の大学の72%で講座名や診療科名が「耳鼻咽喉科頭頸部外科」または「耳鼻咽喉・頭頸部外科」となっている現状がありました。改称にあたっては、学会のウェブサイトを通じて会員からパブリックコメントを募るとともに、日本医学会、日本専門医機構、厚生労働省にもコンサルトしました。このうち会員からは70数件余りのパブコメが寄せられ、「頭頸部外科」を加えることに賛同する意見がほとんどでした。日本医学会は慎重を期して、加盟136学会にアンケート調査をしてくれました。というのも、以前ある学会の名称を変更した際に後から苦情が出たことがあったと伺っています。136学会から2、3の質問はいただきましたが、反対はなかったと聞いています。訳も分からない名称が突然出てきたわけではなく、これまでの頭頸部疾患の診療実績と海外に下地はあったのでスムーズに進められたと思います。
せっかくですので、もう少し耳鼻咽喉科頭頸部外科をアピールさせていただきたいと思います。子どもの病気は小児科、生活習慣病や認知症など大人の病気はそれぞれの専門科がありますが、耳鼻咽喉科は新生児難聴から扁桃(へんとう)肥大、中耳炎、副鼻腔炎、アレルギー性鼻炎、咽喉頭(いんこうとう)炎、頭頸部がん、加齢性難聴など、全ての世代の病気を診療するので、人の一生涯に関わることになります。
また、ヒトの五感である視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のうち、聴覚、嗅覚、味覚の3つを耳鼻咽喉科が担当します。言葉を耳で聞いて言葉を発して会話をする、音楽を楽しむ、花や香水のにおいをかぐ、おいしい食べ物を食べるなど、人が社会生活の営むための円滑なコミュニケーションや生活のQOL向上に関わっています。ですので、耳鼻咽喉科は感覚器とコミュニケーションの医学ということができます。
新型コロナウイルス感染では嗅覚と味覚の障害がクローズアップされましたが、嗅覚や味覚障害はインフルエンザや感冒でも起こります。そして、大切なことは、これらの感覚器障害は自然治癒もありますが、重症例では早期に治療を開始しなければ回復しないことです。風邪で「鼻が詰まっているから」と放置して、1カ月ほどして鼻は通ったのに、においを感じないと分かったときには手遅れになっていたということが少なくありません。においや味を感じないと、文字どおり生活が味気なくなってしまいます。そうしたことを避けるには、早期治療につながる情報を多くの方に知っていただくことが大切です。
それから鼻、口、喉は呼吸や摂食・嚥下の玄関になります。鼻で空気を吸って口で食物を食べて食道、胃に飲み込むことは、人間が生きるために不可欠な機能です。耳鼻咽喉科頭頸部外科は呼吸や嚥下などの生命に不可欠な機能を維持し、命を守る診療科でもあることを最後に加えさせていただきます。
学会の名称が変わっても、これまでの診療や研究が変わることはありません。ただ、改称を機に頭頸部外科をよりいっそう社会にアピールしていきます。従来のメディアやウェブサイト、SNSなどさまざまなチャンネルを通じて、国民の皆さんに病気や治療、予防の正しい知識を提供し、健康と福祉向上に役立っていけることが私たちの願いであり、今回の改称もその一環になるかと考えています。
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