加齢とともに耳が遠くなることは、周囲の人とのコミュニケーションに支障をきたすだけにとどまらず、孤立やうつなどの原因にもなり、さらには認知症のリスクも高める。日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会(以下「日耳鼻」)は、高齢者の難聴を予防し健康寿命を延ばすことを目的に「きこえ8030キャンペーン」を展開する。聞こえは高齢者特有の問題ではなく、現代社会では若者の耳もまた「イヤホン難聴」の危機にさらされている。3月3日の「耳の日」を前に開かれたメディアセミナー「ライフサイクルに対応した難聴対策」から、同キャンペーンの概要と若者向けの難聴予防について解説した山形大学医学部耳鼻咽喉・頭頸部外科学講座、欠畑誠治教授の講演内容をまとめた。
「ヒアリングフレイル」という言葉を聞いたことがあるだろうか。フレイルとは年齢を重ねることで筋力や心身の活力が低下した「虚弱状態」を指す言葉だ。同様に加齢によって「聞こえ」が衰えるのがヒアリングフレイルだ。
フレイルから状態がより悪化すると要介護になるように、ヒアリングフレイルから加齢性難聴の症状が進むと要介護となってしまう可能性がある。高齢者の難聴は▽コミュニケーション不全▽社会的孤立▽うつ▽自信喪失▽危険察知能力の低下――などさまざまな社会的支障をきたす。また、認知症の発症リスクが大きくなることも知られている。加齢性難聴が進んでしまうと薬や手術などの有効な治療方法はないため、その前段階で対策をしていくことが重要だ。
加齢性難聴の進行には▽遺伝的要因▽糖尿病、虚血性心疾患、腎疾患などの後天的要因▽騒音曝露、耳毒性薬剤、化学物質、喫煙などの環境要因――が大きく作用すると考えられている。遺伝的要因は避けようがないが、後天的要因や環境要因は個々人が注意することで影響を抑えることができる。
加齢性難聴に至る前段階のヒアリングフレイルを予防しようと、日耳鼻は「きこえ8030キャンペーン」を提唱している。これは「80歳で30デシベル(dB)の聴力維持」を目標とするもの。30dBは「ささやき声」程度の音の大きさという。
日本人約1万人を調査したビッグデータの解析*では、80歳代でも約3割の人は30dBの聴力を保っている。難聴対策によってこの割合を3割から5割に、5割に到達したら次は8割に伸ばしていくのがキャンペーンの目標だ。
日耳鼻はキャンペーンを通じて、以下について啓発。また、難聴予防は高齢者の健康寿命延伸に寄与することや、「デシベル:dB」という聴力単位の周知も図る。
自治体レベルでは、2022年秋時点で▽山形市▽東京都豊島区、西東京市▽埼玉県入間市▽大阪府豊中市、吹田市、堺市▽鹿児島県霧島市――の8市区で高齢者のヒアリングフレイル予防や啓発の取り組みが始まっている。
このうち山形市では、「難聴は対策をしないと認知症などにつながる病気で、早期発見が大切」であるとの啓発を基本とし、早期発見のために自身の聴覚を客観的に意識してもらうようにする。また、スクリーニングで聴覚に問題がありそうな人を見つけて正式に聴力検査を受けてもらう。難聴が分かった人に対しては補聴器使用をすすめる。一方、“難聴以前”の人に対しては難聴を予防するための生活指導などを実施する。
「超高齢社会においては、耳鼻咽喉科医に加えて認定補聴器技能者(日本補聴器技能者協会)、言語聴覚士など多職種協働で自治体と連携して、シームレスな聴覚支援をすることが必要になってきます」と欠畑教授。
「きこえ8030キャンペーン」により、見過ごされている加齢性難聴対策に取り組むため日耳鼻としての目標を掲げ、運動を通じて社会貢献を目指すという。
* Koichiro Wasano et al. Patterns of hearing changes in women and men from denarians to nonagenarians. THE LANCET Regional Health Western Pacific Volume 9, 100131, April 2021
“聞こえの危機”は高齢者だけの問題ではない。世界保健機関(WHO)の「ファクトシート2021」によると、2050年には3人に1人が何らかの難聴に、10人に1人は障害を伴う難聴になり、その経済的損失は日本の一般会計予算に匹敵する年間9800憶ドル(約130兆円)に達すると予測している。
さらに、世界の11億人の若者がスマートフォンのようなポータブルデバイスとイヤホン/ヘッドホンで音楽などを聴くことによって聴覚障害のリスクにさらされていることも指摘されている。
こうした障害はなぜ起こるのだろうか。
空気の振動である音は鼓膜から耳小骨という3つの小さな骨を介して内耳の蝸牛(かぎゅう)という組織に伝わる。蝸牛の中にある有毛細胞という神経細胞が音の振動を電気信号に変換し、聴神経を通じて脳に音情報を送る。長時間、過大な音にさらされると、このうちの有毛細胞がダメージを受け細胞死に至ることで聴力の低下が起こる。
また最近の研究では、騒音曝露が続くと有毛細胞のシナプス(神経細胞同士の接続部分)の数が減少することが分かってきた。それによって起こるのが「隠れ難聴」といわれる状態で、聴力検査の結果は正常だが雑音があると言葉が聞き取りづらくなる。
つまり、大きな音を聞き続けると、まず有毛細胞のシナプス減少による隠れ難聴になり、限界点を超えると有毛細胞自体が不可逆的に死滅して感音性難聴に至る。
感音性難聴や加齢性難聴には、今のところ有効な治療手段がない。聞こえを保つためには大きな音を長時間聞き続けないことがまずは大切だ。WHOは、大人では80dBで40時間、子どもは75dBで40時間という「1週間の安全な音の大きさの目安」を発表している。80dBは「騒がしいレストラン内」、75dBは「掃除機の音」に相当するとされる。目安を超えてこうした音を聞き続けると、聴覚が不可逆的にダメージを受ける恐れがある。
これを避けるため、イヤホン使用時に
――の「あいのて」を意識することで難聴を予防するよう啓発していく。
日耳鼻は高齢者も若者も健全な聴覚を維持するため、3月の「耳鼻咽喉科月間」を通じてこうした問題の周知と対策の徹底を呼びかけていく。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。