糸川昌成先生は分子生物学者としての研究と同時に、精神科医としても診療を行う統合失調症研究の第一人者です。東京都医学総合研究所で2015年から病院等連携研究センター長を務めるかたわら、隣接する東京都立松沢病院で現在も非常勤医師として診療を続けておられます。
今回は統合失調症をめぐるトピックスとして、糸川先生が遺伝子研究に取り組み、1990年代に大きな発見をされるまでのお話をうかがいました。
精神疾患におけるゲノム(DNAの遺伝子情報)研究のスタートは1990年代にさかのぼります。精神疾患に遺伝的側面があるということは昔から知られていました。罹患同胞対(りかんどうほうつい)といって、兄弟姉妹に統合失調症の患者さんがいる場合、もう一人も同じ病気にかかる確率を計算すると、明らかに一般の方よりも高くなっています。これは一方で当事者や家族の方を苦しめる情報でもあります。「うちの子はこういう病気だから(遺伝するから)結婚しないほうがいいのではないか」と考える方もおられます。
しかし、罹患同胞対のオッズ比は、糖尿病・高血圧・統合失調症ではほぼ同じです。つまり、統合失調症は「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」や「ハンチントン病」などの遺伝的な要因が比較的大きな(正確にはメンデル型の遺伝)神経難病のように単一の遺伝子の疾患ではないため、遺伝子診断はできないのです。「こういう遺伝子の変異があったので100%発症します」とか「なかったので発症の心配はありません」と断言することはできません。
ただ、リスク診断という意味で、候補遺伝子の遺伝子多型(たけい)をリスクファクターとして研究しようという動きが1990年代から始まりました。遺伝子多型というのは、4種類のDNAの配列において、個々の蛋白質を規定している遺伝子配列のところどころにみられる個人差のことをいいます。この個人差が特定の疾患に多い、または少ないといったことをリスクファクターとして研究したのです。
実は、私はまさにそのゲノム研究第一期生でした。平成元年、つまり医師免許をもらった1989年にドーパミン神経の遺伝子配列がすべて明らかになったのです。配列が分かれば、それを実際に患者さんの遺伝子で読めばよいという発想になります。
1989年にアメリカのデイヴィッド・K・グランディがD2受容体(ドーパミン受容体のひとつ)のクローニングをしました。クローニングとは目的の遺伝子だけを分離して増殖させることをいいます。なぜD2受容体だったのかというと、抗精神病薬がドーパミン神経の受容体を阻害していくこと(ドーパミンを受け取れないようにすること)がわかっていたからです。
これは1952年にフランスの外科医アンリ・ラボリが偶然に発見したクロルプロマジンがきっかけでした。彼は手術時の身体的ショックを防ぐために患者に飲ませるカクテルを調合する際、抗ヒスタミン作用に注目してクロルプロマジンを使ったところ、周囲に対して興味を示さなくなった(indifferent)ことから、何らかの精神作用があると考えたのです。
同じくフランスの精神科医ジャン・ドレが精神障害者にクロルプロマジンを注射したところ、非常におだやかになったことが報告され、これは統合失調症に使えるであろうということで、世界中にクロルプロマジンが広まりました。少し遅れてハロペリドールが発見されましたが、抗精神病薬はこの1952年をきっかけに普及したのです。
その後長い間、なぜこれらの薬で幻聴や被害妄想が減少・消失するのかは分かっていませんでしたが、1970年代にカナダのフィリップ・シーマンという学者によって、これらの抗精神病薬がドーパミン受容体を阻害していることが確認されました。
ドーパミンの受容体を阻害すると幻聴が止まるということは、幻聴が起こる理由はドーパミンのシグナル伝達が強まっているからなのではないかという仮説が成り立ちます。そこで私はD2受容体の遺伝子に何か変化があるだろうと考え、1991年からD2受容体の遺伝子配列を読み始めました。3年間遺伝子配列を読み続けて、1994年についに世界で初めて、D2受容体にある遺伝子多型を見つけたのです。
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