がん治療が進歩し、がんを克服できることが多くなりました。その一方で、抗がん剤や放射線治療などの副作用による不妊に悩まされる方も増えてきています。そこで近年発展しつつある考えが、がん治療を受ける前に患者さんの妊孕性(妊娠をする能力)を温存し、がん治療後に治療の影響なく妊娠・出産ができるようにするというものです。妊孕性温存の基本からがん治療が女性の妊孕性に与える影響、妊孕性温存の種類までについて解説します。
妊孕性とは、一言でいうと妊娠する能力のことを指します。この妊孕性は女性であれば卵巣・子宮の機能、男性であれば精巣の機能が正常かどうかによって左右されます。
まず、妊娠において重要な役割を果たすものが卵子です。その卵子の元となる卵胞は精子と違って生後つくられることはありません。女児が母体の胎内にいる間に、その胎児の卵巣ではおよそ700万個もの卵胞がつくられ、その後、減数分裂を経て出生時には100万〜200万個になります。それから、初潮(初経)が始まるころには約30万個にまで減少します。
また、卵胞は新しくつくられることがないため、その女性と同程度に歳を重ねます。たとえば、30歳の女性の場合、卵胞は30歳+1歳(胎児期につくられるため)ということです。一般的にいわれる「卵子が老化する」というのはこのことです。健康な方の場合、妊孕性は30歳を過ぎたころから徐々に低下し、30歳代半ばにはその低下のスピードが高まります。さらに40歳を過ぎると急速に低下します。
がんなどの病気の治療により卵巣や子宮が影響を受けて妊孕性が一度低下すると、現代の医学では妊孕性を回復させることはできません。そのため、病気の治療などで妊孕性を失わないよう、対処をすることが重要なのです。
では、病気の治療が妊娠・出産時に具体的にどのような影響を与えるのでしょうか。がん治療に絞って説明します。
がん治療が妊娠・出産に影響を及ぼすパターンとして、1)腹部や骨盤、頭部への放射線治療を受けたことがある、2)抗がん剤治療を受けたことがある、3)外科手術を受けたことがある、の3つが挙げられます。
〈腹部・骨盤の場合〉
時として、以下の影響があることが報告されています。
〈頭部の場合〉
放射線の影響でホルモンの分泌を司る視床下部や脳下垂体前葉のはたらきが阻害され、十分にホルモンが分泌されないことで妊孕性低下を招くことがあります。
また、妊娠後については流産の確率が少し上昇するという報告と、流産・早産の確率は変わらないという、相反する報告があり、頭部の放射線照射による流産・早産への影響はいまだ解明されていません。
死産や新生児死亡の確率については、健康な女性との差はないといわれています。
使用した抗がん剤によっては卵子や卵胞などの卵巣組織に影響を与え、妊娠しづらくなる可能性があります。
卵巣組織への影響が少ない抗がん剤であれば、流産・早産や胎児の発育への影響は認められないといわれています。ただし、抗がん剤によって心臓や腎臓などの機能が低下していると、妊娠の継続が困難になる可能性があります。
当然ですが、子宮や卵巣などの妊娠に関わる機能を持つ臓器を切除すると、妊娠はできません。
また手術により腹腔内に癒着が生じた場合は、妊娠中の腸閉塞や帝王切開時の腸管損傷などのリスクがあります。
放射線治療や抗がん剤による治療を実施すると、その女性から生まれた子どもが、いわゆる先天異常やダウン症などの染色体異常による病気を持つ頻度が増えるのではないかと心配される方も少なくありません。しかし、放射線治療や抗がん剤治療を行ったことのある女性から生まれる子どもに、そのような先天異常が現れる頻度は健康な女性から生まれた子どもと変わらず、新生児の約3〜5%といわれています。
それでは、なぜがんの治療で妊孕性は低下するのでしょうか。次項ではそのメカニズムについて解説します。
がん治療による女性の妊孕性が低下する理由には、次の3つが考えられます。
抗がん剤などの細胞に影響を与える治療は、卵巣に大きなダメージを与え、時には卵巣内の卵胞を死滅させてしまいます。このように、卵巣や卵胞に影響を及ぼすことを“卵巣毒性”といいます。
しかし、一概に全ての抗がん剤の卵巣毒性が高いとはいえません。使用する抗がん剤によって卵巣毒性の強度は変わります。また、抗がん剤の組み合わせや全使用量によっても妊孕性低下の程度が左右されます。
卵巣毒性の高い抗がん剤として、小細胞肺がんや悪性リンパ腫に用いられるシクロホスファミドに代表されるアルキル化剤が挙げられます。乳がんの場合だと、40歳以上の方へ行われるCMP/CEF/CAF療法も卵巣毒性の高いものだといわれています。
卵巣毒性の低い抗がん剤もあります。たとえば、乳がんなどに使われるフルオロウラシルは卵巣毒性が低いといわれています。ほかに、ビンクリスチン、メトトレキサートなども卵巣毒性の低い抗がん剤です。
そのほかには、以下の薬剤も卵巣毒性の低いものです。
治療中・治療後は一度月経が停止しますが、その後月経が再開し一定期間を経てからの自然妊娠例も報告されています。ただし、なかには治療後に月経が回復せずに閉経してしまう患者さんもいらっしゃいます。
放射線も抗がん剤と同様に、部位や照射量によって卵巣、卵胞に影響を与えます。放射線治療で卵巣に影響を与える照射部位は全身、腹部や骨盤です。また全脳照射もホルモン調節を司る視床下部から脳下垂体前葉にまで影響を及ぼし、ホルモンの分泌低下から妊孕性の低下を招くリスクがあるといわれています。
放射線量については、成人は被ばくの総量が2.5〜6Gy(グレイ)程度、小児では10〜20Gy程度が永久的な不妊になるかどうかの境目の値だといわれます。40〜50Gy(小児では20Gy)を超えると数年後に不妊の症状が現れ始め、放射線量が多いほど早期に症状が発現します。
両側卵巣摘出術、単純子宮全摘出術や広汎子宮全摘出術によって卵巣や子宮自体を全て摘出してしまうと、絶対的な不妊となります。
これらの原因に加えて、がんの種類やステージ、年齢によっても、妊孕性が低下するといわれています。
このように、多かれ少なかれがん治療は妊孕性に影響を与えることがあります。今までは何よりもがん治療によってがんを克服することが最優先であったうえに、がん治療後の予後が必ずしも芳しい状況とはいえなかったため、がん患者さんの妊孕性を温存することについて大きく注目されることはありませんでした。しかし、医療の進歩により予後が飛躍的に向上したことから、がんを克服した患者さんのQOL(生活の質)の維持・向上の一環として、妊孕性を温存することの重要性が唱えられるようになったのです。こうして、がん治療前に卵子凍結や受精卵凍結、卵巣組織凍結などによって妊孕性を温存することを、「妊孕性温存」というようになりました。
妊孕性温存には多くの方法があり、一例として以下のものが挙げられます。
がん治療開始前に卵子を採り、凍結保存する方法です。妊孕性温存の方法の中でもっともよく知られる治療法です。卵子1個あたりの生産率は5%程度です。
外科手術によって卵巣を摘出し、卵巣を凍結保存する方法です。がん治療後に妊娠を希望する際に、卵巣を融解して再度患者さんの体内に移植します。
2004年に世界で初めて卵巣組織凍結を実施した卵巣を使用しての妊娠・出産が報告されました。全ての妊孕性温存療法の中でも新しい治療法のため、有効性や安全性はまだ研究段階で、実施施設も限られています(2017年時点)。
採卵した卵子を精子と受精させた状態で凍結保存を行います。精子提供者となるパートナーがいる場合のみに実施される方法です。胚盤胞という受精5日目の着床する直前の状態で凍結保存し、別周期で子宮内膜の状態を整えて最適な環境で移植する凍結融解胚盤胞移植では、一度の移植あたりの妊娠率は40〜50%といわれています。この数字は全妊孕性温存療法でもっとも妊娠率が高いといわれています。
骨盤へ放射線治療を行う患者さんに対して、照射前に卵巣の位置に金属ブロックを置くことで放射線を遮蔽(さえぎること)します。そして卵巣に照射される放射線量を減らし、卵巣の機能を温存します。
卵巣遮蔽と同様、骨盤への放射線治療を行う患者さんに対し、照射前に片方または両方の卵巣を手術によって照射位置とは別の場所へ移動します。移動したままでは自然妊娠が不可能なため、再度手術で元の位置に戻すか、体外受精を経て妊娠に至ります。
初期の子宮頸がん(1A2期から1B1期)の患者さんを対象とする方法です。子宮頸がんの手術では、通常、子宮体部を含めた子宮全体を摘出しますが、広汎性子宮頸部摘出術では、がんのある子宮頸部だけを切り取り、子宮体部を残して治療を行える可能性があります。子宮体部が残っていれば妊娠が可能です。
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