確かな技術で、患者さんの生きる道しるべをつくる

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確かな技術で、患者さんの生きる道しるべをつくる

卓越した技能で難治症例の患者さんを救う朝蔭孝宏先生のストーリー

東京科学大学 医学部 頭頸部外科学講座 教授
朝蔭 孝宏 先生

外科医の仕事は患者さんの生きる道しるべをつくること

患者さんが無事に退院していく姿をみると、心の底からほっとします。

「先生、ありがとうございました」

そう感謝の言葉をいただけると、本当に医師をやっていてよかったなと思えます。私のもとへやってくる患者さんは、他院では治療が難しいといわれた、いわゆる難治症例の患者さんが多くいます。藁にもすがる思いで訪ねてきてくれる患者さんをよく診もせずに断るようなことは絶対にしません。患者さんは、自分はもう病気を治せないのか、という失望のなかで、それでも最後の希望をもって私のところへやってきているのですから。

私の役目は「手術によって患者さんの生きる道しるべをつくること」だと考えています。唯一病気を根治できる可能性のある方法が手術だからこそ、私たち外科医はその道しるべをつくるべきだと思っています。

どうせなら、人の命に直接かかわりたい。耳鼻科から頭頸部外科の道へ

山形大学医学部を卒業して、私がまず入局したところは東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科でした。耳や鼻を診療することももちろん興味深く、面白く取り組んでいたのですが「どうせ医師として長く生活するのであれば、直接命にかかわるような医療をしたい」と思い、耳鼻咽喉科の一分野としてあった頭頸部外科へ転向。頭頸部外科医としての道を歩み始めました。

頭頸部外科では、頭や喉にできる腫瘍を中心に、首から上の外科領域をすべて担当します。扱う主な疾患は舌がんなどの口腔がん、咽頭がん、上顎洞がんなどの鼻副鼻腔がん、耳下腺腫瘍、甲状腺腫瘍、頭蓋底腫瘍など。頭蓋底腫瘍など、脳の底にできる腫瘍は手術の難易度がとても高く、手術できる医師も日本ではそう多くありません。ときには20時間以上にも及ぶ手術を経験することも珍しくありませんでした。

加えて、頭頸部外科の領域は審美・機能的にも大きく患者さんの人生を左右する部分です。いくらきれいに腫瘍をとったとしても、嚥下機能などに障害が残れば、患者さんはその障害を一生背負って生きていかなければなりません。また機能的に問題がなくても、顔はあらわになる場所だからこそ、いかに審美的に美しいかたちを保って治療をするかが鍵となります。術後の合併症にも配慮しながら腫瘍を切除し、美を保つ手術は、とても大変でした。

上司のもとで日々トレーニングを積み、高度な技術を会得するのに精いっぱいの日々。また、せっかく大掛かりな手術を行っても数か月後には再発してしまうこともあり、そのときはとても落ち込んだものです。果たして自分はちゃんと患者さんを救えるのだろうか。悶々と悩んだこともありました。しかし、考えれば考えるほど患者さんを救えるものは確かな手術以外にはないと信じ、トレーニングに明け暮れました。

自分の手に託された幼い命を救うために

今まで数多くの手術を経験しましたが、今でも昨日のことのように思い出せる手術がふたつあります。どちらも、子どもの患者さんでした。

一人は11歳の眼窩悪性黒色腫頭蓋内進展の患者さん。大規模な後方視的研究では、頭蓋内に進展した悪性黒色腫の生存率は0%という結果が出ていました。

過去に生きながらえた例のない厳しい症例ではありましたが、患者さんはまだ未来のある子ども。なんとか生かしてあげたい、元気になって、笑顔で生活してもらいたいという思いで手術に臨みました、手術は無事、成功し術後10年以上経った今でも、再発や転移も起きていません。立派な大人になり、元気に過ごされていると聞いたときはとても嬉しかったものです。

もう一人は8歳の眼窩骨肉腫の患者さんでした。もともと網膜芽細胞腫という目の病気で、片側の眼球をすでに摘出していました。しかし今度はもう一方の眼球裏に骨肉腫が現れてしまったのです。そして残った目の視力も失われつつありました。

眼球裏に生じた骨肉腫を取るには、残ったもうひとつの目を犠牲にせざるをえません。

「通常は両目とも見えなくなるような手術を行うことはないのですが、どうしますか」

私は患者さんのご両親に問いかけました。するとご両親はこちらを見据えて、強くおっしゃいました。

「目が見えなくなることは確かにつらいかもしれません。それでも、私たちはこの子にどうしても生きてもらいたいんです」

その言葉に私は胸を打たれ、絶対にこの手術を成功させるという思いで骨肉腫摘出のための頭蓋底手術を決行しました。あれから10年経ちましたが、再発や転移がなく、この子も元気でいるそうです。

どちらも難しい手術ではありましたが、臆せずに手術に臨んだこと、そして今まで堅実に自身の手術の腕を磨いていたことで、二人の未来ある幼い患者さんを救うことができました。手術から何年経っても患者さんが元気でおられることは、医師として本当に嬉しいものです。

上司から学んだ、人を診る医療の大切さ

東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科で3年間の激しい修行を積んだ私は、頭頸部腫瘍についてさらに深く学びたいと思うようになり、1994年9月、国立がんセンター東病院 頭頸部外科へ赴任することになります。そこで出会った上司が当時副院長であり頭頸部外科長を務めていた海老原 敏先生でした。

海老原先生は「すべては患者さんのための医療」をモットーに、病院全体を通して、患者さんのニーズに徹底的に寄り添う医療を提供することを心がけている方でした。赴任した当初は私も「確かにそれは大事だけれど、しょせん綺麗事にすぎないのではないか」と感じていたものです。しかし海老原先生の患者さんに対する姿勢は決して綺麗事ではありませんでした。

たとえば、がんはできるだけ取り残さないよう大きく切除する手術が定石です。しかし、それを頭頸部で行ってしまうと、患者さんの身体機能が損なわれてしまいます。そこで海老原先生は、できるだけ患者さんの機能を温存し、そして安全に腫瘍をとる、という手段を採用していました。

その手技はとても難しく、経験が不足している私が一度みただけですぐに理解できるようなものではありません。私は何度も何度も手術室に足を運び、海老原先生の手技を間近で見せてもらいました。

他にも、海老原先生は様々な領域の縮小手術を多く手がけていました。しかしそれは外科医がときに思う「新しい手術をやってみたい」といった利己的な気持ちからではありません。すべて、患者さんのニーズに寄り添って産み出された縮小手術でした。

このような経験を通し、海老原先生からは人を診る医療がいかに大切であるかを学びました。私も海老原先生から学んだことを今でも診療の礎として、たとえ同じステージングの患者さんでも画一的な医療を提供するのではなく、それぞれの患者さんの生き方や考え方を尊重しています。そして、その患者さんのニーズに寄り添った、最もふさわしい医療を提供するよう心がけています。

自身の強みによって、多くの患者さんが笑顔になれるように

頭蓋底手術や口腔咽頭の機能温存手術など、あれからたくさんの難しい症例に向き合って来ましたが、私が自身の強みと自負しているものは、多くの経験に裏打ちされた臨床能力と手術能力です。頭蓋底手術は、頭頸部外科の手術でも最も難しいもののひとつとされていますが、私はこれを毎月執刀しています。

臨床医として、確かな腕と自信がある一方、研究者としてはまだまだこれからだと自認しています。正直なところ、私は論文も他の先生と比べてあまり多くはありませんし、もしかすると現役の国立大学教授では最も少ないかもしれません。それでも、東京医科歯科大学の教授に選んでもらえたのは、難治がん手術における確かな技術があったからだと思っています。

今後はこの技術を私ひとりだけに留めることなく、後進にも確実に継承してもらう。これが教授としての私の使命のひとつだと感じています。

私のもとへ訪れてくれる患者さんへ精一杯の治療を施し、患者さんの生きる道しるべをつくり、最終的に患者さんを笑顔にする。ひとつでも多くの笑顔をつくれるよう、私も日々手術室に立つかたわら、新しい低侵襲の治療法の開発や後進の育成に努めていきたいと思っています。

 

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