第二次世界大戦後の混乱期、多くの人々がさまざまな感染症で命を落としたことを受け、日本では1948年に「予防接種法」が制定されました。当時、猛威をふるっていた感染症は社会的な損失を拡大させたため、予防接種法は早急に制定する必要があったのです。そして、そこから予防接種制度は現代にいたるまで、最善に向かうべく変更を重ねてきました。その変化と歴史的経緯を、川崎医科大学小児科学教授の中野貴司先生にご説明いただきました。
「予防接種法」では誕生した当時、天然痘(てんねんとう ※別名:痘瘡(とうそう))、百日咳(ひゃくにちぜき)、腸チフスなどの12疾病が対象となりました。失われていく命と社会全体を守るべく、接種は「義務」とされ、怠ると罰則を用いる“義務接種”として位置付けられていました。しかし、やがて社会状況の変化にともない、制度の変更が度々行われていくことになります。
変更を行う理由となった主な原因は、1976年ごろに社会問題化した予防接種による健康被害(主に副作用によるもの)や、感染者数の減少などです。それにより、“罰則なしの義務接種”へと変わり、接種後の健康被害における救済制度もつくられました。
さらに患者数が激減した1994年には、“義務規定”から“努力規定(予防接種を行うよう努める)”へと変更され、予防接種への強制力が無くなりました。これについては、予防接種の健康被害における判決(予防接種禍訴訟)の経験も大きく影響しています。そしてその影響は、日時を定め実施されていた「集団接種」が、かかりつけ医が個人の健康状態をチェックしたうえで接種する「個別接種」へ変更されるまでに及びました。このとき、予防接種制度が大きく変化したといえるでしょう。
また、2001年以降は、高齢者インフルエンザ集団感染などの発生で予防接種における分類が定められました。小児を対象とした一類疾病(のちの「A類疾病」)は強い感染力による流行を阻止するため “努力義務(行うよう努める)”があるとされます。一方、65歳以上の高齢者を対象とした二類疾病(のちの「B類疾病」)は発病・重症化防止が目的なので、予防接種は個人の判断に任せるというものです。
「予防接種法」が成立されたことで予防接種が普及し、ワクチンが天然痘の根絶など、感染症を制御・撲滅させる大きな力となり貢献を重ねてきました。日本でも、1961年にはポリオ(急性灰白髄炎・きゅうせいかいはくずいえん)の国内駆除を成功させています。
そんななか、予防接種以外に有効な予防手段が発見されたため、腸チフス・パラチフスは1970年に対象疾病から除外されるという変化もありました。それに対して、胎児や子どもを守るべく、風疹(ふうしん)・麻疹(はしか)などは1976年に予防接種するべきものとして追加されています。
それから保健医療が進歩し、人々の生活水準も高まって衛生面が格段に良くなったことで、感染症による被害が激減しました。その変化は、昭和後期から平成へ、そして21世紀に入り、ますます顕著に現れました。
しかしながら、2001年以降、高齢者のインフルエンザ集団感染や新型インフルエンザ(A/H1N1)の発生、また、後述する「ワクチン・ギャップ」などの課題が発生し、対象疾病の追加や臨時接種、加えて予防接種制度の見直しが行われるという経緯を辿ります。
近年になり、日本はワクチン・ギャップ(先進諸国と比べてワクチンの種類が少ないこと)が問題視され、その見直しが行われました。それにより、2013年4月には「A類疾病(前の一類疾病のこと)」にHib感染症・小児の肺炎球菌感染症・ヒトパピローマウイルス感染症が追加され、「B類疾病(前の二類疾病のこと)」においては法令で対象疾病が追加できるという柔軟な対応が可能になりました。
また、予防接種によって一定の症状があらわれたことを、医師が厚生労働省に報告する義務「副反応報告制度」も定められ、予防接種を計画的に評価したり、検討する仕組みが整いました。これについて厚生労働省は、少なくとも5年に1度検討し、必要に応じて対応するとしています。
現在においても引き続きワクチン・ギャップを解消するための取り組みは行われており、2014年10月には水痘(すいとう ※別名:水疱瘡(みずぼうそう))が「A類疾病」に、高齢者の肺炎球菌感染症が「B類疾病」に追加され、2015年1月にはB型肝炎を小児に接種する方向性も了承されたとのことです。
川崎医科大学附属病院 小児科 部長
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